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【GERAラジオ「ボケ学」書き起こし #3配信分】「ハゲとるやないか!」を検証してみた

このnoteの楽しみ方

本記事はお笑いラジオアプリGERAで配信中の特別番組「ボケ学」の内容を書き起こしたものです。
「もう少し手軽に「ボケ学」を楽しみたい!」「分からなかった部分をじっくり確認したい!」「知り合いに布教したい!」など、皆さんのスタイルに合わせてお楽しみください。

▼過去の書き起こしはこちらから


オープニングトーク

高木:
どうも、お笑いコンビストレッチーズの高木です。
福島:
ストレッチーズの福島です。
高木:
よろしくお願いします。

高木:
この番組は、ツッコミで訂正されてしまうボケが、本当に間違った発言であるのかを専門家の力をお借りして真面目に検証する番組でございます。第3回ということで。
少しコンセプトややこしいので説明しますと、《ボケを辞書でひくと「間の抜けた態度や発言を指していたが、今ではそれを意識的にすることを指す」つまり、ボケは間違っていなければならない。しかし、一般人から見て間違っていても、専門家から見たら間違っていない可能性があるはず。そのボケは本当にボケと言えるのかを真面目に検証して行こうと》
まあ、何回読んでも野暮なことしてますよね。
福島:
野暮ですね。
高木:
しなくていいですけどね。
福島:
これ言っちゃうと笑いにならないですけどね。まあでもそういう番組ですから。
高木:
でも非常に楽しい、面白い。
福島:
そう。第1回、第2回もよかったので今日も...。
高木:
fanyでありながらinterestingでもあるという。
福島:
めちゃめちゃ楽しみです、今日も。
高木:
いい番組ですけれども。


テーマ発表

高木:
今回のテーマとなるボケは?
福島:
ハゲとるやないか!
高木:
今回はこれが。
福島:
僕らも使わせてもらってますね。
高木:
使わないです。どっちもハゲてないので。
ただ、バラエティ番組とか、ハゲてる芸人さんは全員やってるんじゃないですか?
福島:
そうですね。
高木:
俺らもゆくゆくハゲ出したらお世話になるボケだしね。
福島:
M-1で優勝した錦鯉さんだって絶対やったことあるだろうし。
高木:
これがなくなったらいよいよ、ハゲ芸人たちの救いがなくなっていきますよ。
福島:
おじさんが食えなくなっていくという。
高木:
夢がないですね!
福島:
夢ないよ!
高木:
せっかく錦鯉さんが去年の年末に与えてくれたおじさんに対する夢を、今回ボケ学で壊す可能性が...。
福島:
ちょっと老人に優しくなくなっちゃうな。
高木:
こちらのボケ、説明させていただきますと、《頭皮の薄い人物の頭頂部が露呈した際に、頭を叩きながら言われることが多い。》こんな辞書的な言い方やめてよ。
福島:
頭頂部とかあまり気にしたことない...。
高木:
「露呈したとき」とか言わないよ...。《「薄毛はカッコ悪い」という認識のもとに成り立っているボケ。ネタ中より、バラエティ番組などで披露されることが多い。》でも、ハゲは間違ってないから、ボケじゃないんじゃないかという説もあるんですよ。今まであり得ないことをボケとするって辞書にも載ってたんですけど、ハゲって全然あり得ることじゃないですか。じゃあなんで、あり得ることなのに笑いが生まれるのか、というところを今日は。
福島:
なぜハゲは面白いのか、と。
高木:
そうそう。なぜ、ハゲって面白いのか?
福島:
笑っちゃうからでいいんじゃない?
高木:
それだけ言っちゃダメなのよ。そう言いたいところなんだけどね。
ということで、今回のゲストは江戸川大学名誉教授、文化人類学者の斗鬼正一教授です。
斗鬼:
よろしくお願いします。今日は適任ですね。さっきから私とっての禁句が飛び交ってますね。
2人:
(笑)
斗鬼:
ちょっと聞くに堪えないですね(笑)
高木:
この「ハゲがなぜ笑いになるのか」というところから、斗鬼教授に説明していただきたいなと思うんですけれども、今回のテーマについて解説いただいてもよろしいでしょうか?


「美しい」とは一体なんなのか?

斗鬼:
はい。ハゲっていうのはね、「汚い」とか「醜い」とか言われるんですよね。
高木:
いや、そこまでは...。
斗鬼:
でも、そもそも汚いとか綺麗とか、これなんなのかというところから話します。
化粧すると、美しくなりますよね?なんでですか?
福島:
あぁ...。
高木:
化粧すると美しくなる...。
斗鬼:
意外と難しいでしょ、こういうのって。
福島:
でもこう、目がぱっちりするとか、いわゆる“綺麗な顔”っていうのを作れる。例えば、ニキビとかがあった人が、それは別に醜くないけど、そういう“美しくなる”っていうのを作ってるってことですかね?
斗鬼:
それは若い人の答えですね。もう少し年上の人になりますと、化粧してどうなるかというと、実は隠してるんじゃないですか?白髪とかシワとかシミとか。それを隠すと“美しく”なるんですね。
福島:
隠す。なるほど。
斗鬼:
で、白髪とかシワとかシミですね。これ、なんですか?
福島:
なんですか...?えーっと...。
斗鬼:
“老化”じゃないですか?
高木:
あぁ、確かにそうですね。
斗鬼:
“老化”の先には何があるかというと...?
福島:
…死?
斗鬼:
死ですよね。で、もう一つ別の質問。若い女性はなぜ“美しい”のか?
高木:
若い人はなぜ“美しい”のか...。まあそれは...、難しいですね。肌が綺麗だし、逆にそういうシミとかがない...から?
斗鬼:
まあそういうことですよね。“老化”から一番遠いんですよ。つまり、若い女性っていうのは本人が一番“死”から遠い人。
福島:
“死”から遠い人!?
斗鬼:
人間も動物ですから必ず死ぬんですよね。だから人間にとって“死”というのは一番恐ろしい、嫌な、醜い事に決まってるんです。だけど、若い女性って一番生命力がある。本人が一番死ににくい。さらにですね、次の命を生み出せる力があるんですよ。
2人:
あぁ〜!!
斗鬼:
だから、しから一番遠くにいるのが、若い女性。ただしですよ、若ければいいって訳じゃないですよ。だったら赤ちゃんが一番“美しい”はずですよね。
高木:
あぁ、確かに!
斗鬼:
けど赤ちゃんは“美しく”ない。可愛いかもしれないけど。これはどういうことかといえば、赤ちゃんは、今の日本ではそうでもないかもしれないけど、本来は死にやすいんですよ。
高木:
ああ、そうかそうか。
斗鬼:
だからいわゆる“お年頃”の人が死から遠い。“美しい”と、こういうことなんです。だから、白髪を隠す、シワを隠す、シミを隠す。これは“美しく”なる。つまり、人類にとって最大の敵である“死”という自然、その手前の“老化”。これから遠ざかること、これが“美しい”。逆に近づくこと、これが“醜い”“汚い”と、こうなるんです。
高木:
なるほど、若い女性って死ににくいから可愛かったんだ...。
福島:
そうなんだ...。
高木:
マジで知らなかったわ。
福島:
だからSPに守られてるとか、ラプンツェルみたいな、守られてる人は確かに“美しい”(笑)
高木:
だから、お化粧とかしてシミシワを隠すのは、「私は死にづらい存在ですよ」というのをアピールするためにやってると。
斗鬼:
そうですそうです。
福島:
防弾チョッキとかそういうのをつけてると...。
高木:
いや、そんなに死にづらい話はしてないのよ。SPとか。
斗鬼:
だから女性の皆さんは毎日化粧する際に「私は死に対抗してるんだ!」という気持ちで。ちょっと不気味ですけどね。
高木:
確かに(笑)
ああ、そうだったんですね。
斗鬼:
というのが基本的な考え方です。
ですから老人が、言葉は良くないですけど“美しくない”というのは、死に近いからなんですね。これが一番問題なんです。


ハゲが「恥ずかしい」になった要因

福島:
ということは、ハゲっていうのも死に近い...?
斗鬼:
そう。ハゲ自体が死ぬ訳じゃないですけど、ハゲてくるということはやはり“老化”。“老化”の先には“死”があるということですよね。なので基本的にハゲは“汚い”“醜い”ものに決まっているんです。
高木:
まあ、なんともコメントしづらいですけど...。
斗鬼:
そこでですね、さっきそれに対抗して化粧って言いましたよね。ですから、人間にとって“死”は自然ですけど、「自然をそのままにしておくこと」これが“汚い”んですよ。
高木:
あぁ。
斗鬼:
それに対抗手段、何か人工的に。すると“美しく”なるんです。ですから、例えば「カツラをかぶる」とか「養毛剤を使う」とか、そういうことをやったら結果的に“美しく”なるんですよ。だから化粧と同じことなんですよ。もちろんね、老化って他にもいろいろある訳ですよね。だけど、なんでこんなに「ハゲハゲ」って、ボケとして使われるのか。
今の日本ではですね、老化の中でもやたらに髪の毛に関すること、これに関心が異常に高いんですよ。だから笑いの材料になるんですね。
福島:
なんでなんですかね?
斗鬼:
いくつかあるんですけれども、元々日本の社会ではハゲというのは必ずしも悪いことではなかった。ところがですね、特に戦後の高度経済成長期、それからバブル期ですね。この頃に実は“ある産業”が非常に発達した訳です。60年代、80年代、有名なカツラの会社とかですね、養毛剤・育毛剤の、誰でも知っているような会社たくさんありますよね。ああいう会社が誕生したのが、実は高度経済成長期なんです。
高木:
なるほど!
斗鬼:
そして、当時有名なテレビコマーシャルがたくさんあったんですよね。そういうので、元々があまり“美しい”ことではないんですけれども、ハゲというのがますます“汚い”“醜い”ことだというのが強調されてしまったという。その結果今の日本人は、もう強迫観念のように「何かしなきゃいけない!」と、こういうことになっちゃったんです。
福島:
じゃあ、割と最近というか。
高木:
そうだね。
福島:
古来から日本はそうとかではなくて、本当にこの間。団塊世代が作り出したものなんだ。
高木:
結構「ハゲとるやないか!」なんて、めちゃめちゃ古来からの、お笑いの第1ページ目くらいの、「ハゲなんてシンプルに面白いじゃん」くらいに思ってたけど。意外と最近、ここ5,60年の話なんだね。


「恥ずかしい」は本能ではない

斗鬼:
「ハゲが恥ずかしい」。そもそも“恥ずかしい”って本能だと思うじゃないですか。
高木:
まあ、確かにそんな気がします。
斗鬼:
“美しい”とか“醜い”も、見て感じちゃうから本能みたいに思うんですよね。でも、実はこれ本能じゃないんです。例えば他の例でいきますと、「裸は恥ずかしい」そんなこと当たり前だろと。本能みたいに感じるじゃないか、というふうに思うわけです。でも世界には、いわゆる我々から見て“裸族”という人たちいますよね。でも、あの人たち“裸族”だなんて思ってないわけですよ。
福島:
ああ、そうか!
斗鬼:
アマゾンの、一番最後にいわゆる“発見”された民族がいるんですけど、この方達は我々から見たら全裸なんです。衣服を全く身につけていない。ところが、逆に彼らから見たら初めて見たいわゆる“文明人”ですね。「うわ、なんて恥ずかしい格好しているんだ!」と思ったわけですね。つまりですね、人類ってすごく違うようで実は共通なんです。なぜかというと、「自然のまま」これが恥ずかしい。何かしら人工的に手を加えている。これが恥ずかしくないんです。で、この民族。実はアゴに穴を開けて棒を刺すんですね。「プックル」っていうんですけど。それをやっていれば正装、ちゃんとした格好なんです。
高木:
え?
斗鬼:
だから、人前でそれを外すのはすごく恥ずかしいことなんです。我々が人前で服を脱ぐのと同じ。ですから、確かに隠しているわけではない。だけれども、自然のままの身体になんらかの手を加えている。これは服を着るのもプックルを着けるのも同じ。だから人類は意外と共通なんですよね。で、その恥ずかしいも、「どこを隠すべきか」は日本人だって時代によって違いますよね。ミニスカートって70年代に初めて誕生して、あの頃初めて履いた女性たちはすごく恥ずかしかったと思いますよ。
福島:
あぁ。
斗鬼:
だけど今は恥ずかしくないでしょ?それから、今の日本人の女性を見たらね、我々のご先祖様たち腰抜かしますよ。「我々の子孫はなんちゅう恥ずかしい格好をしているんだ!」
福島:
「脚出して!」って。
斗鬼:
つまり、何を隠すべきか、あるいはどうするべきか、これが時代によって民族によって違うだけで、それからはみ出した状態が“恥ずかしい”んです。だから、“恥ずかしい”とか“みっともない”とか、これをその文化でその規範から外れないように作り出した。これが“恥ずかしい”という文化です。
高木:
なるほど、めちゃめちゃ興味深い...。
だって、裸で出ていったら面白いみたいなところあるけど...。
福島:
宴会芸とかでもあるもんね。
斗鬼:
そうそう。規範から外れてるから。
高木:
そのさっきの民族でいうと、「プックルを外した状態で人前に出る」みたいな宴会芸があってもおかしくないということですよね。
斗鬼:
そう「お前外しとるやないか!」
高木:
「お前人前で外すなよぉ〜!」
福島:
「恥ずかしい恥ずかしい!」


“老化”を“尊敬”にするため人類の施策

斗鬼:
人間にとって“死ぬこと”、一番嫌なことだし、それに近づいていく“老化”、嫌なことに決まってるんですよ。つまり、“歳を取る”というのは基本的に悲しいことに決まっているんですよね。でも、もしそれをそのまま、まさに「自然のままに」しておいたら、人間は誰でも生きていれば歳を取るわけですから、もう夢も希望もないですよね。どんどん悲しくなって死んでいく。そういう社会って良い社会ですか?
2人:
良くないですね。
斗鬼:
だから、それを埋め合わせる仕掛けというのを作るわけです。過去の日本でもそうですし、世界でもそうなんです。まず世界からいきましょうか。例えば中国の場合なんですけど、ハゲてる人って、もちろん若干は笑われるようなことなくはないんですよ。だけど、頭のハゲている人っていうのは「頭を良く使った人」「いろんな勉強をした人」「知恵がたくさん詰まっている人」、そういうある種「尊敬の念」にもなるんですよ。
高木:
はぁ〜。
斗鬼:
これ中国だけじゃなくて、ベトナムとかヨーロッパ人でもそういう考え方ってあるんですよ。だから、まさに埋め合わせですよね。歳を取ることは体力から何から落ちていくに決まってるんだけども、逆に経験と知を積み重ねてきた人と。
2人:
あぁ〜。
斗鬼:
それからですね、現代でも結構ある。例えばスポーツの世界とか実業の世界、芸能の世界でツルツルの人たちが随分活躍してますよね。スティーブジョブズなんてツルツルじゃないですか。
2人:
そうですね。
斗鬼:
でもあの人大変な苦労をして、そしてああいう大実業家になったわけでしょ。だからあれ言ってみれば栄光の印みたいなものですよね。これ実は中国でもそういうこと言うんです。というのは、IT業界で成功した人、(頭髪が)薄い人が多いと。そうすると「頭一生懸命使ってすごい努力したんだ」ということで、ある種「尊敬の念」で見られる。こういうふうになるんですよね。
福島:
素敵な社会ですね...!
高木:
素敵かもな...。
斗鬼:
すごく上手い仕組みですよね。ただ悲しくなる老後なんてね。
福島:
そうですね。死に近づくにつれて尊敬に値するっていうのは...。
高木:
「アハハ〜!ハゲてるぅ〜!!」...ダメだよ。
福島:
ハゲてる人を見たらお礼を言わなきゃいけないくらいの。
斗鬼:
そうですよ。それからですね日本でも実は時代を遡ると、江戸時代の人相学の最高権威、日本の人相学・観相学の祖と言われている水野南北って人いたんですね。この方、「南北相法」という日本の人相学のもとになる本を書いている方なんですけど。この人の本をよんだらですよ、江戸時代はハゲ天国だ!ということがわかるんですね。
高木:
ん?どういうことですか?
斗鬼:
《年齢に応じて髪の生え際が薄い人は運が強い》と。
高木:
え?!すご!!
斗鬼:
《若いうちに髪の生え際が程よく禿げ上がる人は発達も早いし、運気も強い》と。
《歳不相応に髪の生え際が厚い人は運が悪い》と、そういうふうに書いているんですね。
高木:
とんでもないこと言ってるな!これは大きく出過ぎじゃないですか!?運が強い弱いとか...!
斗鬼:
いやいや、ただ単なる当てずっぽうで言ったのではなくて。この人実は子供の時に不幸だったんですね。親に捨てられたりしてね。いわゆる非行少年だったんですよ。盗みをやったりして、今でいう刑務所に入れられたんですね。で、その牢屋の中で、いろんな人たちがいるわけじゃないですか。そういう人たちの人相を観察したんですよ。で、人相とその人の運命が非常に関係があるんだということに気づいたんです。そして、今でいう出所した後、顔の研究をするために今でいう床屋さんで3年間働いた。それから次に、身体を観察するためにお風呂屋さんで3年間働いた。その後今度は、骨の研究をするために火葬場で3年間働いた。
福島:
へ〜。綺麗に全部3年...。
斗鬼:
なぜ3年だか良くわからないですけど。で、その結果この本を書いたんですよ。だから、たくさんの観察と実例に基づいて書いているんです。だから、江戸時代の人はハゲてることは“悲しい”“醜い”とは、必ずしもそう思ってはいなかった。ある意味良い時代ですね。
高木:
そうですね。しかも実例に基づいて、実際に見て書いてるわけだから。現代の水野南北みたいな人がいて、今もこれが通用するんだったらガラッと変わるよね。
福島:
ガラッと変わるね。
斗鬼:
見てください私。
高木:
そう...ですね...。う、運が強い...。
福島:
そうですね、斗鬼さんも、一応...。
斗鬼:
一応じゃないですよ。ハゲまでいってないですけど、かなり薄い。でも自分でも運が強かったと思ってるので。
高木:
(笑) 運が強かったですし、ほら、教えてもらったじゃん。こういう時こそ、頭をたくさん使って、
福島:
ほんとそう。
高木:
すごく勉強された方なんだって。尊敬の目を向けないと。
福島:
努力の頭。


日本の価値観の変化と、海外文化からみた漫才

斗鬼:
それがですね、現代の日本ではやたらに髪の毛に集中して「醜い」だ「汚い」だ、みんな笑うんですけど。でもこれもね、社会的な背景を考えていけば、高度経済成長期、バブル期に効率一辺倒でどんどん生産してどんどん消費して。つまり“新しいこと”が良いことで、“古いこと”は悪いことで、人間も歳を取れば取るほど物を買わなくなるし、企業にとってはあまり都合の良くない世代ですね。そういうのもあって、実は高齢者を貶めるとまでは言わないけど、かつては尊敬されていたのが、今では「あの人たちはどちらかというと邪魔な存在」みたいに今の社会はなってきてるわけですよ。それから知識も経験も古いものってどんどん陳腐化していくわけですよ。「新しいことが良いことだ!」という世界では。そういう意味でも高齢者に対する評価というのはすごく変わってきちゃったわけですよね。そういうことも実は、ハゲがやたらに蔑まれる、笑われるという背景にあるわけです。ですから、必ずしもいわゆる毛髪産業、CMだけの影響ではない。社会的な背景がある。
高木:
なるほど...。
斗鬼:
あともう一つは、お坊さん、僧侶。やはり日本では昔は尊敬されていたわけでしょ。
福島:
まあ、今も...。
斗鬼:
今は特に尊敬されるっていうわけでは...。
高木:
いや、そんなことないと思いますよ!!!まあ、昔ほどではないのかもしれないですけど...。
福島:
人によるというかね。
斗鬼:
そんなことも影響しているのかなとも思いますよね。それからもう一つは、今の日本ではハゲがあまり日常的ではない。例えばね、タイでは人生に一度、男性は必ず出家するわけでしょ。
福島:
あ、そうなんですね。
斗鬼:
じゃないと一人前の人間にならないですから、タイでは。つまり、男性はみんなツルツル、当たり前なんですよ。みんな経験しているんですよ。タイの街行けば、朝お坊さんが托鉢でたくさん出てきますよね。みなさんも本当に尊敬してお布施差し上げてますよね。ああいう社会で「ハゲはみっともない」っていう感覚にはならないですよね。
高木:
確かに...。
斗鬼:
日本ではですね、ハゲをからかうっていうのもありますけど、漫才で頭を叩くっていうのよくありますよね。
2人:
ありますね。
斗鬼:
あれね、タイ人からすると「なんちゅう野蛮な人たちだ!」と。タイの文化では頭というのは人間の身体の中で一番重要というか、聖なる部位なんです。というのは“ピー”という精霊が宿っている。それが宿っているから人間は健康で、もしピーが弱ると病気になってしまう。ましてピーが出ていってしまったら...。その人病気になって死んじゃうんですよ。だから、タイではよく「子供の頭を触っちゃいけない」っていうじゃないですか。
高木:
はいはい、聞いたことある。
斗鬼:
あれね、ピーがびっくりしちゃうんですよ。まして、叩いて出ていっちゃったら大変なんですね。その大事な大事な頭を叩いて、「お前ハゲてるやないか!」なんてやってる日本人は「とんでもない!」というふうになるわけで。
2人:
じゃあ、錦鯉さんは...。
福島:
タイじゃ大スベり。
高木:
終わり。
福島:
スベるとかじゃないのか。
高木:
逮捕かもしれない。なんかわからないけど、逮捕かもしれない。
福島:
カミナリさんも...。
高木:
大スベり。


日本の価値観の今後

高木:
そうか。もうほんとに文化とか時代とかによるってことなのか。
斗鬼:
だから、今の時代、今の日本では、ハゲというのは“醜い”“汚い”“恥ずかしい”ということになっちゃったということですよね。
福島:
今後はわからないってことですよね。
斗鬼:
わからないですね。時代によって文化はどんどん変わっていきます。つまりですね、一つは日本は高齢化が進んでいますけれども、人口比でいったら高齢者の方が消費者の数として多いわけですよ。今までは若者をおだてて物を買わせていたわけですけど、高齢者に物が売れないとダメな時代ですよね。そういう時代に、高齢者を相手にして宣伝していかないと物も売れなくなっちゃいますよね。価値観も「なんでも新しいのことが良いことなんだ」とそういう価値観、「どんどん変化していくことが良いことなんだ」という価値観、これも恐らくだんだん変わってくる。というのは、高齢化の他にもう一つあるんです。今これから日本はね、もう高度成長とかそういう時代じゃ全くないですよね。成熟社会をこれから日本は目指していくわけですよ。成熟社会というのは、新しいものがどんどん出てきて、どんどん大量に消費して、SDGsに反する社会とは真逆じゃないですか。もっと知恵を大事にして、経験を大事にして、心豊かな社会なわけでしょ。新しいもの、若々しいもの、これが良いことという価値観からだいぶ変わってくるはずなんです。だから、また元のような価値観に戻っていく可能性は大いにあると。またそうでないといけないと思います。今みたいに「歳を取ることは悲しくなることだ」みたいな社会って良くないですよ。賢くないですよ。
高木:
まさか「ハゲとるやないか」から今後の社会がどうなっていくかという話に...。
福島:
俺もうちょっと、ハゲじゃ笑えないな...。
斗鬼:
笑えないですよ。
高木:
俺も全然面白くない。
福島:
全然面白くないな。
斗鬼:
全然ボケじゃないですよ。
高木:
全然面白くないわ。
斗鬼:
もう一つは、日本はどんどん多文化社会になっていかざるを得ない。それこそさっきのタイの方じゃないですけど、社会にいろんな価値観を持った人たちがくるわけで。今までの日本はかなり単一文化だったわけですよね。だけどもうそうはいかない。いろんな価値観の人がいる。だから、ただ「ハゲとるやないか」で頭叩いてみんなが笑う。そうじゃなくなってくるはずなんですね。そういったことも考えないといけない。


「ハゲとるやないか!」が面白いのは超〇〇的

高木:
そうなってくると、「ハゲとるやないか」がタイの人にはウケないということは知ったけど、じゃあ俺らタイの人の前でなんのネタやるんだって話もあるよな。
福島:
だからその...、ピーを宿らす漫才...。
高木:
ねえよ、俺らそんな漫才。
福島:
「もうちょっとでピーが宿る!」みたいな。
高木:
ないないそんなネタ。じゃあそうか、もう本当に文化の違いでもあるし、たまたま今の、ここ4,50年はそういう高度経済成長期のCMなりなんなりで、「ハゲとるやないか!」「どん!」ってなってるけど、今後はもう、クソスベり。
福島:
クソスベり。
高木:
ぜんっぜん面白くない可能性ある。
で、この「ハゲとるやないか」のボケが成立しなかったらハゲ芸人たちが可哀想だと思ってたけど、そうなったらハゲ芸人たちはハゲ芸人って呼ばれない世の中になってるんだね。
福島:
そうだね。
高木:
だからもう、可哀想とかもないのか。
ということで今回は、ボケ成立不成立ではないですけど、今のこの文化ではボケ成立だけど、今後は成立していかないんじゃないかという見解で。
福島:
まあ、いろんな国だったりとか、そういうかなり狭い中で笑いになっているという。
高木:
本能的に笑ってるんじゃないぞ、と。本当に局所的な文化・時代の中で笑ってるんだぞ、という自覚を持ちながら、みなさんは「ハゲとるやないか」で笑ってください。
福島:
確かにでも「ハゲとるやないか」って、全部いけるみたいな、無敵のボケみたいなふうに捉えられがちじゃん。「もうこれさえやっておけばウケる」みたいな。
高木:
マジでハゲてる芸人全員、頭見せるのやるじゃん。「危ねえ!ここでなんか欲しい!」って時やるじゃん。そのくらい無敵なボケのイメージあるよ。
福島:
でも今後は考えて使っていかなきゃいけない。
高木:
気をつけて使っていかなきゃいけない。
福島:
俺らも使わないようにしよう。
高木:
ということで、興味深いお話、たくさんありがとうございました。
斗鬼先生でした。
斗鬼:
ありがとうございました。

📻音声版はこちらから

◇ ◇ ◇

斗鬼正一さんのプロフィール
1950年鎌倉市生まれ。江戸川大学名誉教授文化人類学者。専門は都市人類学、異文化コミュニケーション。明治大学大学院修了後、明治大学や江戸川大学で教鞭を執る。著書に『世界あたりまえ会議』(ワニブックス)、『頭が良くなる文化人類学』(光文社)、『こっそり教える世界の非常識184』(講談社)、『目からウロコの文化人類学入門-人間探検ガイドブック』(ミネルヴァ書房)。

ストレッチーズさんのプロフィール
太田プロダクションに所属する福島敏貴と高木貫太からなるお笑いコンビ。2014年結成。
慶應義塾大学お笑い道場O-keis出身。2021年M-1グランプリ準々決勝進出。
ツギクル芸人グランプリ2022優勝。


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