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NY Timesにある満州国の記事

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当時の新聞が、どのように満州、満州国について記述していたかを描いています。
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記事一覧

1932/2/15(昭和7年)日本は上海での衝突を抑えるだろう。

日本は上海での衝突を抑えるだろう。

陸軍大臣は支那の軍隊と衝突しない方法を模索しています。

奉天の和平交渉は続いています。

東京、2/15(月)
陸軍大臣の荒木は本日の記者への声明で、「日本は上海での事変を抑えるつもりで、今は支那兵と紛争をするつもりはない」と宣言しました。日本人の中国への遠征の目的は、彼いわく、在邦人の保護のためです。もし、支那の軍隊が引き揚げれば状況は平和的に解決するが、

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1932/2/13(昭和7年)満州での全ての計画の平等

民族主義は支那からの独立国において、落胆させます。

奉天 2/12
日本は、明確に満州を開発しようとしており、その場所は、日本人の顧問により指導された規則で、名目上は中国人による規則を遵守する全ての国民のために開放されます。
「民族主義は3千万人の住民を落胆させるだろう」とアナウンスされています。また全ての民族は、奉天州知事のShih-yi、吉林省知事のHsi Hsia、黒竜江省知事のChang

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1932/2/10(昭和7年)以前の奉天の支配者は鉄道の権利を主張している

失脚した政権が、鉄道を再び取り戻す望みを失った証拠が見られます。

大連、2/10
以前の満州統治者が、ついに満州鉄道を取り戻す望みを失ったという証拠は、以下の声明を含んでいます。
”前東清鉄道の委員会に請求権を持つ全ての人々は、委員会に言いました。そして、現在、管理している鉄道は、これを持って現在の書類に要請しています。加えて証拠を必要とします。
外国人は、領事に対して証拠を送ることを必要として

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1932/2/9(昭和7年)君主制主義者が新しい満州では優勢です

憲法を作っている人達は溥儀を王位に置きたい。名前はまだ探しています。

東京 2/9 火曜日
満州で憲法を作っている人達は、どんな中国名を新しい国に命名するか、まだ話し合っています。そして、それが皇帝制か共和国かどうかも。
 共和国制の理論的な優位性は認めながらも、大統領のポジションは政治的な能力と素晴らしい人格が求められ、今のところ、そのようは候補者はいないといったことが話し合われています。彼等

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1932/1/29(昭和7年) ロシア皇帝派による満州国の計画にシリル伯爵が関心を持っています

フランス BRIAC市 1/28.
以前は伯爵であり、ロシアの王位を主張しているシリルは、満州で独立国家を作ろうとしている(祖国を追われた)ロシア人の努力についてコメントしました。「私は彼らと付き合うことはできないが、非常に感心を持っている。」「満州で、15万人のロシアからの難民は、不十分な中国人の管理政策とそれによる満州の貧弱な経済状況を遺憾に思っています。また、彼らは日本人の保護領を受け入れる

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1932/1/25(昭和7年)

高い地位の日本人の役員は、清国の前皇帝であるヘンリー・溥儀を隠居生活から連れてくる計画の復活を認めており、彼を満州、内モンゴル、熱河省の傀儡の大統領として、彼を昇進させるようです。
 溥儀を満州の皇帝にするという最初の計画は、11月に日本人の過激派には支持されていましたが、影響力の大きい日本人、例えば、本庄繁将軍や満鉄の総裁である内田康哉伯爵などからは一貫して批判されていました。
 しかし、現在の

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1932/1/20(昭和7年)溥儀が政府のトップになることが予想されます

少年のような支那の前皇帝であったヘンリー・溥儀は、旅順港の近くで軟禁状態で隠居していましたが、満州の新しい政府の最初の大統領候補に指名されていると、本日、ある方面から報告がありました。懐疑派は、ある少数派の野望を代弁しただけだと断言しています。しかし、多くの記者は政権構想に必要になる重要な空白部分である大統領の名前を予測しています。

記事に対する所感
他にも大統領候補っていたんですかね?溥儀の名

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1932/1/19(昭和7年) 日本は、東京によって統治される自由な満州を計画しています

軍隊とリーダーは全地域を日本の保護下にしようとしています。

門戸開放

中国政府は、外国人政策により東京のアドバイスを受け入れます。

溥儀が政権の長になる

前皇帝が、新しい統治の大統領になる可能性に言及しています

満州の未来の情勢については、多くの人を悩ませており、また多くの興味深い意見が述べられています。下記の要約は、どのような風が吹いているかを示しており、50%は予言的っぽく証明される

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1932/1/16(昭和7年) 日本人はハルビンには近づかない

東京はロシアと中国と同時には対立しないというポリシーを設定した。

ロシアの貸付金への質問

購入に使う5千万円のローンの計画は若槻内閣によって拒否された。

ロシア当局への問い合わせと日本のある筋によると、両方とも現在のところは北満州でトラブルを招きたくないとの見方を示しています。満州の問題は、ロシア、中国、日本の3つがあります。それは、結果として、ロシアと中国を同時に巻き込みたくない日本の外交

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1932/1/8(昭和7年) 満州で前皇帝が王として即位します

公式な日本軍が「独立政権が溥儀のもとで設立される」と発表しています。

デイリー・ヘラルド紙の至急報によると、ヘンリー・溥儀、清帝国の前皇帝が満州国の王として、まもなく戴冠します。この予言は、本日、飛行機で東京に戻った日本軍奉天本部の板垣大佐によって発表されたと言われています。板垣大佐によりますと、奉天での独立政府の設立は進展中です。日本はいかなる妨げも容認しないだろうとヘラルド紙の特派員は伝えて

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