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「揚げ足の取り合い社会をぶっ壊したい」どんな人も夢も肯定するコミュニティを作りたい。

どうもジョージです、毎日インプットが多くて幸せです。新しいチャレンジをたくさん考えている時間って幸せですね。

さてタイトルにもありますが、僕自身の体験談からも日本って人の夢だったりチャレンジする人を否定から入る人ってたくさんいると思っています。

「絶対に無理だよ」

「ふざけた事言ってないで真面目に生きろ」

「なんでこんなことも出来ないの?」

などなど、僕自身掛けられた言葉もこれらに類似する物が多かったです。
多分皆さんも当たり前のように経験しているかと思います。日本じゃなかったらこんなこと言うやつはいない!とかそんなことを言っているわけではなくて、あくまで僕の経験で肌感覚で否定されることって多いなぁと思っているわけです。

ありがたいことに視聴者さんからDMで、人生相談をされることが多いのですが大半が一歩踏み出したいけどどうしたらいいですか?などなど。

僕は彼らにこう伝えたいです

「絶対に出来る」

「もっとふざけよう、挑戦しまくろう」

「出来ないことなんてない、君は十分出来てる」

肯定の言葉を掛けれるし、みんながそう言い合うコミュニティを作りたい。理由が簡単で誰もが人生を歩む中で否定されるから、過保護くらい褒めてあげたいしチャレンジできるメンタリティーに持っていきたい。僕自身も肯定されると嬉しいし、やる気がでるからです。そんな僕だって元々の癖で否定的なことを言ってしまう時もありますが、常日頃から訂正するよう努力しています。

相方のジローと飲みに行ったりすると、それぞれのプロジェクトの進行度を報告しあうのですが二人揃って

「君は天才だね、君がいなかったらここまで到達してないよ、さすがです」

とか言い合って話しています。

ではなぜこんな否定的な人が多い感覚を受けるのか考えてみました(僕の見解です)
インターネットの加速とともに匿名性カルチャーが強くなりより発言が多岐に渡る様になった。それに付随し顔が見えない特性が重なり、今まで否定されてきた人は憤りが生まれれていて、それを誰かに押し付けないと自分が壊れそうになってしまう。結果みんなSNSでは削り合い、言いたい放題、揚げ足の取り合いだらけで失敗や欠点を探してきてきては相手を前に進ませないようにする人達が増えたのかなと思います。

僕の意見は社会とずれているのかと疑問に思い、最近一緒にプロジェクトを進めている20歳のこに原因ってなんだろうね?と質問を投げてみました。

返ってきた回答は以下です(彼は天才です最高です)

1)「目立つ人は嫌われる or 恥ずかしい」

2)「事象」と「人格」を同一として捉えてる点」

そんなカルチャーが浸透しているかもしれないと言っていました。
目立つ人は嫌われるのはなぜなんだろうと考えていると、個性を育てない教育がベースにあったのかなとか、国民性なのかなとか、、思考はグルグル周ります。答えは分かりません。

アメリカの大学に入学してビックリしたのは、教授が授業中に質問を受け付けるといったらほぼ全員が手をあげていたことでした。あげていないのは僕だけで心の奥底には質問して間違っていたら恥ずかしいと思っていたなと、とにかくチャレンジすることに臆病になっていたのかもしれません。

「事象」と「人格」を同じとして捉えている点も納得で、やってしまったことは間違えたけど、それを根本的にその人自信に欠陥があるからだとコネクトしてしまう人も多いと思います。なので一度失敗してしまうとセカンドチャンスって考えにくいのかもしれません。僕らには誰かの人生を決めつける権利なんて全くないのです。

僕たちは大前提として、生まれた時点で否定が溢れている世の中に生きているのかもしれません。

今までの文章だとそんなに日本を否定してくれるなや。と思う人もいらっしゃるかもしれませんが、それによって良い部分もたくさん生まれてくると思っています。人の目を気にすることでマナーやモラルは守られると思っています。

ただ、褒められることが足りないだけなのかな。

皆さんも音楽を聞くと思います、よく聞くとほとんどの曲が応援歌になっていると思います。GReeenやファンキーモンキーベイビースもド直球応援ソングです。数え切れないくらいのアーティストが応援や肯定を基準に曲を作っているのかもしれません。僕はへこむと音楽に助けられるので、そうして日々のプレッシャーや否定で削れた心を補っているのかもしれないです。

心の隙間を補える、そんなコミュニテイを築きたいと思っている今日この頃です。

ジョージ


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