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夕方、追憶

前回の記事というか日記は、写真だけで成り立たせたかったので、幾つか言葉で補足を(本当は要らないのかもしれませんが)。

まず、あの写真、あのライブイベント、だいぶ古いです笑。
2009年か2010年くらいのものです。
詐欺です、すいません。
パソコンを整理していたら物凄い量のライブやイベントの写真が出て来て、使わないままは写真が報われないな、と思い、あまり考えないままnoteに貼り付けました。

貼り付ける作業をしているうちに、脳内風景や写真の流れなどは自然と考えていましたが。

そして、あのダンサーさん。
極端に言ったら殆ど知らない人なんです。
素性は知らないまま、プロのダンサーだということ以外はあまり内情を話さないまま、「一緒に何かやろう」となりました。
同世代だったので、打ち合わせなどで通常の会話は勿論しました。
それが自然だったので、それだけであまり問題ありませんでした。
また、僕の詳しい素性も話した覚えがありません。

で、暫く経った今、あの人がどうしているか。
それも知りません。
かなり前に、ベルリンに移り住み、そこでまたダンスを学んでいたような連絡を貰ったきりでした。
それからはどうしているのでしょうね。
その頃は、ああ、思い出しますね。
何か忙しかったです。楽しかったですけれど。
忙しい+楽しい=これ驚く程時間が速く過ぎますね。
まあよく聞くことですよね。

覚えているのはコンテンポラリー(脱構築)(前衛)(非古典)(など)のダンスというか、解釈が難しいんですけど、そんな舞台の音楽として、自分の楽曲が使用されたこと、
これは非常に面白かったです。

【どこの場面でどの音がどういう役割でどういったタイミングでどのような音響で、聴こえるのか。】

そもそも舞台の内容はどのようなものなのか。
開演前にパンフレットを貰うも、
「タイトルだけではわからぬ…」
「…いや…説明文を読んでも…これは……」
状態だったので、余計楽しむことができた覚えがあります。
少し考えれば、自分もまた実験音楽、非音楽、永続音、環境音、などを好むので(四六時中聴いてもなく、また詳しくもないのですが)、すんなりと入り込めました、自分なりの解釈、素人感覚ですが。

他の人、所謂「舞台を観に来た人」とは、恐らく、かなり違う角度で客席に座っていて、
「場違いかなあ」と思う瞬間もありました。
場が違っている人間がその場に来る意義はしかしありますね。色んな場に。

そういった舞台、
観て、率直に面白いと思いました。
動き、表情、間合い、照明、空気、と、音楽。
全て相まって懐かしい情景が浮かんだりした舞台でした。
結局は僕も「舞台を観に来た人」でした。

ん、

なんか長くなってきたな笑。

はい、その後、そのダンサーさんの劇団か何かの全国ツアーでまた楽曲を使って頂き、その後、横浜のほうのアートスペースで舞台と同時に生演奏、
など色々ありました。

※当たり前のことなんですけれど、写真をnoteに載せてみて感じたこと、自分だけでなく、共演の画だったからか、この写真たちは自分ひとりで成り立つものではなく、ダンサーの方は勿論、撮影してくれた友達のプロカメラマンの協力のお陰で、
もっと言ったら、場所を提供してくれたライブハウスのお陰で、
その場所、高円寺まで乗せてくれ、移動させてくれた電車のお陰で、
森羅万象のお陰で。

どうも皆さんいつもありがとうございます。

使う前から「いつも綺麗にお使い頂きありがとうございます」の公衆トイレの脅迫文が少し違って読めた最近でした。

現実

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