テッド・チャン短編「理解」再読。
これは主人公が「美」に向かう話であり実は簡潔に「悟り」の話なのだと知る。
物事を統一的全体像(ゲシュタルト)で理解し始め近づく境地。内側を限りなく分解して見つめていく過程は瞑想。最終的に無我を理解する(させられる)が、そのトリガーの描写はまるで爆誕した釈迦が7歩進んだ絵に見えた。ゆえに仏教を想う。
天上天下唯我独尊の「我」。これは「個々人それぞれの存在が尊いもの」という意味らしい。となると主人公は敵対者に負けるはずだ。勝敗というか収まるべき出口を理解というか。
主人公は「心のコンピュータ化」を考えてもいた。安易にサイバーパンク!昔、深く概念を知らないのに「仏教とサイバーパンク相性良くね」と密かに興奮していた自分を思い出した!当時はそこからブラックロッドというラノベに行きついて買ったけど内容は覚えていない。
3本目の薬剤摂取ら辺から主人公が頭良くなるにつれてどんどん自分の読解力が追い付かなくなり途中がよくわかっていない「理解」に対しての理解だった。
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