レン

何気ない日常を残したいnote。九州の田舎町より。

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最近の記事

究極の選択〜Coffee by the baby〜

今朝、私は究極の選択に迫られた。 それは赤ん坊を寝かしつけた後、朝の楽しみであるドリップコーヒーを入れようとした時に突如訪れる。 リビングにある電気ポットで80℃のお湯をドリップコーヒーに注ぎこもうとする私。 満足な量のコーヒーを作るのであれば最低4回はお湯を注ぎたいところだ。 しかし、お湯を注ぐためには「ロック解除ボタン」&「注ぐボタン」を押さなければならず、それぞれ押した時に割と音が鳴ってしまう。 1、2回目までは何とか注ぎ終えたものの、3回目のロック解除時、つ

    • 偉大な教育

      中学の頃まで歴史があまり好きじゃなかった。 というのも、とにかく昔の年号と出来事を暗記しまくらないといけない意味や面白さが分からず、テストでもあまりいい点が取れなかったから。 典型的な「こんなこと将来何の役に立つの?」状態だった。 「歴史は過去の過ちを繰り返さないように学ぶんだよ!」と言われても何となくピンとこずに「じゃあ鎌倉幕府ができた年とか覚えなくてよくない?」なんてひねくれたことも考えてた。 中1の時あまりに覚えられなかったので姉に赤い字が隠れる赤シートを借りたり

      • ミクロからマクロを学ぶ

        今の職場では未経験の部署に異動すると、異動者用の基礎研修みたいなものがある。 その仕事に最低限必要な知識を広く浅く身につけるようにするためのものだ。 未経験の部署にいくとまずこの研修を受けるわけだが、正直机上で研修を受けただけではそれを生かす実務のイメージが湧かないため「それでこの知識どの実務で使うんだろう...??」となってしまうこともしばしば。 しかし、実務を何ヶ月かやってみて、改めて基礎研修の内容を見直してみると「ああ〜あの知識はここで使うものだったんだ」とか「あ

        • 没入力

          家で過ごすことが多くなると、本や動画、アニメなど誰かの作品を楽しむことが多くなる。 今やスマホ一つで無数のコンテンツに触れられる時代になったわけだが、これだけ作品が溢れていると自分の好みドストライクで心を揺さぶられるような作品もあれば、そうでないものもある。 ただせっかく時間を割いて鑑賞するなら「どんなものでも楽しみたい!」と思うのが人の情。 そんな時に、いかに作品を楽しめるかを決める一つの鍵が作品への没入感だと思う。 自分の中では、この没入感がどれくらいあるかがその作

        究極の選択〜Coffee by the baby〜

          せっかく入門書があるんだから

          「何かを学びたい!」となった時に本を借りたり買ったりすることがよくある。 今やある程度新しい本でも図書館に結構揃っていたりするので、それが無料で何冊も借りれるなんて正直驚異的だと思う。 そしていざ本を手に取ろうとする時、学びたい分野の分かりやすい入門書的な本から読むのか、いきなり分厚くて複雑そうな本から読むのか、これが迷いどころである。 というのも、今までは何となく「分厚くて文字の多い本こそ学びが多いんだ!」みたいな感覚に支配されていて、漫画風だったり図解されているよう

          せっかく入門書があるんだから

          立ち読書と継続性と固定観念

          仕事終わり、ご飯食べてちょっとダラっとした後「何か有意義なことがしたい...」と思い本に手を伸ばす。 でも、仕事終わりの食後に本なんて読み始めた頃には、地獄的な睡魔がすぐにやってくる... 最近はそんな悩みを抱えながら「自分ってこんなに夜何もできなかったっけ?...」と思いながら寝落ちを繰り返す日々でした。 どうしたものか...と思いながら「そうだ!軽く運動しながらだったら眠くならないかも!」と思いたち、さっそく部屋をうろうろしたり、軽くスクワットしたりしながら読書して

          立ち読書と継続性と固定観念

          教養とは何なのか?

          「教養」とは何なのか?大学生の頃くらいから持ち始めた疑問だ。 大学以降、いわゆるビジネス書を読む機会が増えたが、それからやたらと「教養」という日本語を目にするようになった気がする。 そして色んな本で「これからは教養が大事だ!」ということが書かれているが、そもそも「教養」という言葉の意味合いが各本や人によって違うため「教養って何だよ!」と学生だった僕はメロスばりに激怒。 もちろん辞書的には「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること...」みたいな定義が載ってたりす

          教養とは何なのか?

          ヘムヘムとコミュニケーションで大事なこと

          今朝、奥さんがヘム鉄のサプリを飲んでいたのを見て、そういえば昔「忍たま乱太郎」っていうアニメでヘムヘムっていう犬いたよねという話になった。 ちなみにこの忍たま乱太郎は、忍術学園という忍者の学校で子供達が忍者を目指していく漫画である。 (漫画に出てくる忍者というと、影分身の術!とかで人が増殖するようなファンタジーっぽい感じをイメージするかもしれないが、忍たま乱太郎はかなり現実的な忍術(木に登って隠れるとか)を使い、そこもまた面白かった。) ちなみにヘムヘムは忍術学園の学園長

          ヘムヘムとコミュニケーションで大事なこと

          作り手の思考量

          とある休日の昼下がり、家族と公園に行こうとしていると、途中にある美術館で「隈研吾展〜新しい公共性を作るためのネコの5原則〜」なるものが開催されていた。 隈氏と言えば国立競技場をはじめ、数々の壮大な建築物を手がけた建築家。 自分自身、建築に強い興味があるというわけではなかったが「何となく面白そうだな〜、ていうか猫可愛いな〜」くらいな気持ちで足を運んだ。 会場の中に入ると隈氏が手掛けた建築物の模型がずらり。 これを緻密な設計踏まえ1から作りあげたと考えると、そこにかけられ

          作り手の思考量

          環境によって変わる価値

          ある道路の歴史に関する本を読んでいると「昔は情報も人が伝えていたので、道の合間合間に連絡用の馬が配置してあった」という風な内容が書かれていた。 考えてみると、ひと昔前にはインターネットなんて魔法のようなものはなくて、人や動物が情報を運んでいたのだ。もはやネットが日常に馴染み過ぎて、そんなことも忘れそうになる。 そこでふと思うのが、その時はさぞかし「速く移動できる」という能力が重宝されたんだろうなということ。 今や情報を伝えるだけなら、どんな乗り物よりも速くネットが伝えら

          環境によって変わる価値

          「無理」とは何か

          先日「心の疲れを取る技術」という本を読んだ。 いわゆるメンタルヘルス関係の本であり、心理学系の本は時々読み漁っている。 この本は自衛隊のメンタルヘルス関係の仕事をされている方が書かれている。確かに過酷な現場に居合わせる自衛隊の方々にとって、メンタルケアというのは超重要なのだろう。 内容もとても参考になったのだが、読んでも多くのことを忘れてしまう私の頭の中に、特にに印象に残っていた内容がある。 それは「無理というのは作業量だけではない」ということ。 「無理すんなよ!」

          「無理」とは何か

          喉元過ぎたとしても

          「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがある。 学生の頃の部活のきつい練習も、社会人1年目の時の何も分からず四苦八苦した記憶も「まあ今考えればいい経験だったな〜」とか思えることを考えると、やっぱり人間にはそういう習性があるんだろうとつくづく思わされる。 まあ過去のストレスをそのまま再現できちゃうと体がもたないので、本能的にそうなってるだろうとは思うが、喉元過ぎたが故に、他人が感じる喉元すぎる前の痛みまで分からなくなってしまうことがある。 例えば職場で後輩に仕事を教え

          喉元過ぎたとしても

          どこかにリダンダンシーを

          最近「道路の日本史」という本を読んでいると、「リダンダンシー」という言葉が出てきた。 また耳慣れない横文字だなーと思い調べてみると、いわゆる冗長性といった意味らしい。 国土計画などで道路整備をする中では、災害時に一部の道路が破壊された時に、交通全体が機能不全にならないよう、あらかじめ交通ルートを多重化したり、予備の手段を用意しておいたりする。 他にシステム関係でもこの冗長性という言葉は使われるようだが、つくづく仕事の中でも自分の中にどこか冗長的な部分というか、自分や周り

          どこかにリダンダンシーを

          基礎が大切な理由と数学

          「基礎をおろそかにしてはいけない」 勉強、スポーツ、どんな分野でも、口酸っぱく言われる言葉だ。 部活をしていた時も、面白くない基礎練をサボっていると監督から怒号がとんできていた。 じゃあ、なぜこれほど「基礎」というものが重視されるかというと、理由の一つとして「基礎ができていないと、応用も転用もできないから」というのがあると思う。 例えば今の事務職の仕事では、「表面的な事務処理自体はマニュアルに書いてある手順をなぞればできる」というものが結構ある。 しかし、「なぜそれ

          基礎が大切な理由と数学

          考える時の型

          昨日、「考えることこそ教養である」という本を読んだ。 何を「教養」と呼ぶのかはそれぞれの解釈があって、個人的にはこだわりが無いのですが、この本に出てくる「川を登り、海を渡る」というフレーズには、考えさせられるものがありました。 これは、物事を考える時の型を表したような言葉で、物事を考える時には 1.川を登ること(歴史を遡って見識を深める) 2.海を渡ること(海外に目を向けて視野を広げる) の2つが大事ということ。 自分自身、1つ目の川を登ることはまだやってる気がするけど

          考える時の型

          「今しかできないこと」とお金

          人生において、お金をどう使っていくか? 自分含め、多くの人が悩む課題だと思う。 そんな中、何ヶ月か前に「DIE WITH ZERO」という本を読んだ。 タイトルが中々ショッキングだが、voicyでよく聞いてるラジオでお薦めされてたので読んでみると、一つ自分に大切な視点を与えてくれた。 それは、「若い時の、お金から価値を生む力」と、「高齢になってからの、お金から価値を生む力」には差があるということ。 例えば、若い時にスノーボードに行ったら、1万円で1日中遊べてめちゃく

          「今しかできないこと」とお金