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FC東京編③(2010年~2011年)

はじめに

2004年にFC東京を観戦しはじめてから
今までの印象的だった試合をいくつか振り返りながら
備忘録的な記事を書こうと思っています。
そのため、戦術などより、感想・イメージを多く書きますので、主観的な視点になることをご容赦ください。

今回は2010年から2011年まで振り返ります。

2010年(城福浩→大熊清)


J1 16位 (8勝12分14敗)
ナビスコカップ:ベスト8 天皇杯:ベスト4
主な移籍・加入
IN 森重、松下、リカルジーニョ、キム・ヨングン、重松、(途中)前田俊、大黒
OUT 茂庭、佐原、ブルーノ・クアドロス、浅利、藤山、(途中)長友、赤嶺

PICKUP MATCH

スルガ銀行チャンピオンシップ 
VSリガ・デ・キト @国立競技場
2-2(PK4-3)
得点
(東京)平山、大黒
(リガ)エルナン・バルコス、パトリシオ・ウルティア

躍進の2009年を受けて、いよいよリーグ制覇を目指したこの年。
しかし相次ぐけが人の影響とJ1では最小登録26人という編成上の選手層の薄さに見舞われ、
メンバー固定ができない。点を取り切れない、守備が踏ん張れない。
かなり苦しいシーズンを過ごすことになりました。

その中で、前年のナビスコカップの優勝を受けて出場した
「スルガ銀行チャンピオンシップ」
正直コンディション面も、リーグの状況も含めて、なかなか想いを込めることが難しい大会となりました。
それでも、ゴール裏で「ギンギラギンにさりげなく」にのせて
「スルガをとって世界一♪そいつがトーキョーのやりかたー♪」とチャントを歌い始めたところから、やっぱりとれるものはほしい!!という気持ちになったのをよく覚えています。

長友がW杯の活躍が認められ、イタリアセリエA、チェゼーナに移籍しましたが、
中断明けからは大黒将志を期限付き移籍で獲得。代表経験のあるFWが加入し、なんとか浮上を目指しました。

救世主としてやってきた大黒が最大に輝いたのはこの試合でした。
平山がシュートのこぼれ球を拾うゴールを決めながらも先行を許す苦しい展開の中
後半AT、後方からのフィードのスクランブルにいち早く反応した大黒がしっかりゴールに流し込むという「大黒らしさ」溢れるゴールで同点に持ち込み
最終的にはPK戦で勝利しました。
この年優勝した名古屋グランパスとのアウェイゲームでも決勝点をとったりと、大黒はチームを確実に助けてくれた選手だと思っています。
そんな選手がタイトルに貢献したという事実が残ったことが大きな価値だと思っています。

やはりタイトルは嬉しいです。
しかも南米のクラブチームとやったことは楽しさもありました。
しかし、これがリーグ戦の盛り返しにつながらなかったことが悲しかった記憶があります。


J1 第22節
VS浦和レッズ @味の素スタジアム
0-1
得点
(浦和)ポンテ

前述の通り怪我人と層の薄さで苦しんでいた2010年シーズン。
特にダメージを負っていたのがボランチでした。
米本が開幕前のトレーニング期間中に膝の大怪我で長期離脱
梶山も怪我から復帰途中で開幕を迎えました。
開幕戦のダブルボランチは徳永・羽生というセット。

そこからは、梶山の復帰とコンディションを見ながらボランチの軸として据え、徳永や羽生といった本職外の選手との組み合わせを敢行。
そして徳永の負傷離脱を機に、森重をボランチに上げ、CBをキム・ヨングンに任せるという布陣も行われました。

梶山も継続的に出場はできず
徳永は守備をソツなくこなし、信頼感はあるものの、やはりSBでのボールの持ち方と360°の視野が必要なボランチでのボール捌きには不安も見えました。
羽生も元々ハードワークで前線への飛び出しや、リンクマンとしての役割が本職で、少しボランチは良さが消えることも
そして森重はボール捌きもうまく城福サッカーのポゼッションに関しては、今野を上げるより適任だったように見えましたが、90分間走るスタミナはありませんでした。

これだけボランチのやりくりに苦しめられたシーズンの中で迎えたホーム浦和戦。
大卒ルーキーだった「高橋秀人」をアンカーに据え、梶山と羽生をインサイドハーフに配する4-1-2-3で挑みました。
ボランチに苦しむ東京において、浦和戦の入りで持ち前の高さを活かしながらプレーする高橋秀人の存在は私には一筋の光のように思えていました。

しかしこの試合で20分に羽生が負傷交代に続き、
37分にはその高橋も負傷交代。
彼がピッチを後にする姿をスタンドから見ながら、自分の視界がぼやけるような、暗くなるようなそんな気にもさせられました。

最終的には、その2試合後の大宮戦からは城福監督から大熊監督に交代。
10月末の米本の復帰から粘りを見せるもJ2降格という結果になってしまいました。
降格するほどのシーズンですので良くない試合はいくつもあったと思います。
しかし個人的にはこの試合は悪い意味でのターニングポイントになってしまったように感じています。

そしてホーム最終節山形戦に勝ちきれなかったのが決め手だったと思います。
正直、もう最終節、西京極の試合は記憶にすら残っていないです。
今の私であれば「最後まであきらめるな」というマインドを持ち合わせているとは思いますが、
当時は沈み切るチームを見慣れていなかったのと、
自分のメンタルを必要以上に追い込まないために、変な諦念をこの浦和戦から持ってしまっていたなと今考えるとそう思います。

なんにせよ、こんな悲しいシーズンはもう過ごしたくない。
それしかありません。


2011年(大熊清)

J2 1位(23勝8分7敗)
ナビスコカップ:なし 天皇杯:優勝
主な移籍・加入
IN ロベルトセザー、ホベルト、ペドロ・ジュニオール、高松、上里、谷澤(途中)ジェイド・ノース、坂田、ルーカス
OUT 松下、リカルジーニョ、大黒、前田俊(途中)ホベルト、ペドロ・ジュニオール、大竹

PICKUP MATCH

J2 第11節 
VSカターレ富山 @味の素スタジアム
1-0
得点
(東京)羽生

大熊体制を継続しJ2に挑んだ2011年シーズン
新加入の選手はどちらかというと実際にJ2経験がある選手が多く、しっかりと地に足をつけてJ1昇格を確実にものにするという方針がみてとれました。

しかし、米本と平山が大怪我で序盤から戦線離脱。
特に米本は千葉戦での怪我は再び膝ということでかなりショッキングでした。
その試合は今でも語り草になる
「戦術オーロイ」
ミリガンからのロングスローを200cmオーバーのオーロイに投げ続けられ根負けし先制点を奪われ
最終的に3-0で負けるという試合でした。

ロベルト・セザー、高松、ペドロ・ジュニオールといった新戦力のアタッカーもフィットしないという状況でかなり深刻な状況。

「1年間お世話になります J2舐めてません」
という横断幕を開幕では掲げていましたが
その横断幕の『せん』のうえから『した』という垂れ幕をさげ、とんねるずの某番組みたく自虐するのもこのシーズンの語り草です。

開幕戦の勝利から1つも勝てないまま
(東日本大震災により途中延期開催があるため3試合の勝ちなし、しかしすべて無得点)
迎えたのがこの富山戦でした。

この日も1点が遠い展開
ゲームを動かしたのは途中出場の羽生・谷澤の2人でした。
スローインを受けた谷澤がヒールで羽生に落とし、シュート。キーパーの手を弾きゴール。
ゴールの後一目散にゴール裏にやってきたことが印象的でした。
後のインタビューで話した
「サポーターに22番はここにいるというのを見せたかった」
という言葉とともに胸が熱くなる光景でした。

そしてヒーローインタビューでは
涙を見せながら語る羽生。
ジェフ千葉で主力としてオシム監督から教えを受け日本代表まで上り詰めた羽生が
移籍してきたFC東京に対してここまでの情熱を持っていてくれたこと。そして2010年から本当に苦しい展開しかなかった東京に少しの安堵をくれたこと。
今もすごく色々な想いがめぐります。

今やS.Oを名乗りドロンパと戯れる優しい人でもありますが、やはりこうやって一緒に戦ってくれた記憶があるのでいつまでも東京と関わりをもってほしい1人です。

J2 第36節 
VSガイナーレ鳥取 @とりぎんバードスタジアム
1-5
得点
(鳥取)福井
(東京)森重、ルーカス、谷澤、鈴木、上里

「サッカーの本質」にこだわった大熊サッカー
高橋、田邊、椋原といった若手をうまく織り交ぜながら、球際で戦うといった根本的なことを取り戻したようにみえました。

特に前任の城福監督は良くも悪くも影響力の大きな監督でした。
良いときは監督が巻き込みいいサッカーを組み立てられていましたが
崩れてからは選手は監督に頼りっきり、
しかしその監督は明確な答えを見つけられないまま
そしてチーム全体で沈んでいった印象でした。
この年はその選手の沈んだメンタルはなんとか立ち直ったと思っています。

しかし、前述のようにアタッカーがハマらず停滞感が漂ってもいました。
4-2-3-1システムの1トップに苦しんでいました。
ロベルト・セザーが起用されることも多かったですが、本来彼はSTやウイングに近いポジションの方が活きやすそうなプレースタイル。なかなか収まらない展開が多かったように思います。

その停滞感を救ったのがルーカスでした。
東京からガンバに移籍、その後ブラジルに戻りサッカーを続けるもその年限りで引退をしていました。
しかし、シーズン途中に東京からのオファーを受け現役復帰。
両足、頭、FKどこからでもゴールを狙え、かつポストプレーやパサーとしても活躍するかつてのプレーは健在。
引退を決めた選手とは思えないほど存在感を放ち
2011年シーズンのラストピースとなりました。

そしてこの鳥取戦は
昇格&J2優勝がかかった試合となりました。
この試合も危なげなく大量得点で勝利し昇格&優勝となりました。
この試合の印象的なポイントは内容というより
現地のカニを食らって盛り上がる「蝗」っぷりをみせた東京サポーターの相変わらずさと
私たちの優勝をも祝ってくれた鳥取の横断幕でした。
まさに「J2にお世話になりました」と言わんばかりの締めくくりでした。

天皇杯決勝
VS京都サンガF.C @国立競技場
4-2
得点
(東京)今野、森重、ルーカス、ルーカス
(京都)中山、久保

2011年シーズン
J2優勝の勢いそのままに天皇杯でも躍進を見せます。

特に準々決勝
熊谷で行われた浦和戦
寒空の中、石川のらしさ溢れるゴールをしっかり守りぬき、2004年ナビスコカップ決勝以来の対浦和戦の勝利。
クリスマスイブということで
サンタ帽子を被り
クリスマスソングとお正月ソングをモチーフとしたチャントを歌い狂うのは楽しかった思い出があります。
初めて車でプチ遠征して観戦したのもこの試合でした。

本題の天皇杯決勝
史上初のJ2同士のカードとなりました。

ほぼほぼ理想的なスターティングメンバー
J2も優勝した勢い、相手もJ2ということもあり、
個人的には正直勝てるかなぁというやんわり思ってしまっていました。

そのなかでの13分の先制点被弾は完全に冷や水を浴びせられた気持ちになりました…。
一発勝負の怖さをまざまざと見せられたものの
15分にはCKの流れから今野がヘディングでゴール
大喜びしたと同時に、ホッとしたのを覚えています。
とにかく失点後にすぐ点を返したところがこのゲームのポイントになったと思います。
そして36分ちょっと蹴りだしたFKを強烈に蹴りこんだ森重のシュートかゴールに突き刺さり逆転。
加入からここまでキックの精度で違いを見せてきた森重が大一番の仕事をしました。

ジャーン以来自身のアイドルを見つけられないなかで
「3」番のCBとして存在感を増しつつあった森重の活躍は素直に心が揺さぶられました。
前年は退場も含め1対1のステップワークなどなど本人も足りないところがあったという認識があるなかでこのシーズンから徐々に課題に取り組み日本を代表するCBに駆け上がります。

そしてゴールキックを高橋秀人がヘディングで弾いたところを抜け目なく飛び出したルーカスがものにし、綺麗に流し込み3点目
カウンター気味に左サイドを破り、椋原からのクロスを受けたルーカスが冷静に運び4点目をゲット
ここでさすがに少し勝負は落ち着いた形になり
楽しみながら見ることができました。

久保裕也に1点返されたものの勝ちきり優勝。
ナビスコカップに続く2つ目のタイトル。
夢にまでみた元旦決勝、元旦優勝を実際に体験できたことをひしひしと噛み締めました。

というのもこの試合にあたり
母親が少し体調を崩し、念のためにメインスタンドの東京ゴール裏サイドの指定席に陣取っており(念のためとは?)噛み締めメインでした(笑)
しかし、コレオはよく見えて
綺麗な「12」がよく見えました。
(一瞬ブラックジョークとして「J2」って書いてあったようにみえたのは内緒の話)

J2降格の憂き目を
J2優勝と天皇杯優勝で切り抜けた2011年
本当に今考えても1年での復帰は大きかったと感じています。

それではまた来週。