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【書道具(墨)買取/骨董品・福岡市】

書道具(墨)買取/福岡・骨董品|福岡県福岡市南区にて書道具の硯や墨。掛軸など買取させて頂きました。中国墨の呉昌碩墨です。角型の上質な墨です。ありがとうございました。呉 昌碩(ご しょうせき 、1844年9月12日 - 1927年11月29日)は、中国の清朝末期から近代にかけて活躍した画家・書家・篆刻家です。清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家と評価が高い方です。
初めの名は俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)、字をはじめ香圃になります。1912年(民国元年)、69歳から昌碩としています。別字に蒼石、倉石、倉碩とあり号に缶廬、苦鉄、破荷、大聾、老蒼、石尊者、石人子、石敢当、破荷亭長、蕪青亭長、五湖印丐などがあります。呉昌碩の書・画・篆刻が持つ魅力は、なんといっても深く黒い線から湧き出るような力強さと重厚感のある筆感で、生命力そのものを静かに表現した花卉画は、繊細でありながら力強いという独特な作風が人気を博しました。また、少し右に上がった文字がエネルギッシュな書は、重厚感と迫力感が多くの人を魅了しており、日本にも数多くの愛好家が存在します。呉 昌碩は17歳で戦争により、家族を失い一家離散し、21歳で帰郷します。周囲から才能を認められていましたが、官職には就かず、22歳から書画や印を売って過ごします。その後、書家の楊峴(ようけん)に書法と詩文を学びます。
収蔵家として有名な呉雲・呉大澂・潘祖蔭・沈汝瑾との交流により、知名度が高まりました。51歳で呉大澂(ごだいちょう)に招請され、日清戦争に従軍します。61歳、金石や篆刻を研究する団体「西泠印社」が創立され、その長となります。晩年も創作活動にいそしみ、亡くなるまで詩・書・画・篆刻で独創の境地をひらきます。詩は孟郊(もうこう)の詩風を学び、詩集に「缶廬集」があります。画は、明の徐渭や清の八大山人らから多くを学び、独自の画風を確立します。作品は梅・藤・菊・牡丹などの花卉画を得意としました。

骨董品買取の福岡玄燈者では書道具を買取ります。お見積りや査定だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。

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