この先には、何がある? 4┃群ようこ
私たち四人は徒歩で組事務所に行き、丁寧に招き入れられ室内を案内していただいた。どこもかしこも掃除が行き届いて磨きあげられ、ちりひとつなかった。和室に入った私が、
「ずいぶん照明が明るいんですねえ」
と天井を見ながらいったら、
「あはははは」
とみんなに笑われて、あれっと首を傾げたり、まるで高級料亭のように、美しく並べられているすき焼きの材料に目を奪われたり、私は、「はああ」「ほおお」と感心していた。どれもとてもおいしくて、
「おかわりはいかがですか」
と聞かれたので、
「ありがとうございます」
と御飯を二回もおかわりしてしまった。もちろんすき焼きもまったく遠慮をしないで食べた。
その後、話を聞くと、子供に会えなくて寂しいという組員が多かった。
「うちの子はわしに似ないで、とても頭がいいんですわ」
と笑う人もいた。
どうして反社会的勢力に属する人たちが、出てきてしまうのか、私は考えさせられた。新聞やテレビなどで観ていて、どうしてだろうと思うことはあるが、現実にいる人たちと会うと、彼らにも家族がいて生活があり、子供をかわいがる姿も堅気の人たちと変わりがなかった。しかし法律に反する行為が明らかに問題なのは間違いない。
記者にうながされて、十時前には事務所を後にしたと思う。
「絶対に後ろを振り向かないでくださいね」
彼にいわれて妙な緊張感が走った。私が取材に行って、いちばん緊張した瞬間だった。
しばらく歩いて繁華街に出て、私たちは居酒屋に入った。そのとたんみんなで、
「はああ」
とため息をついた。男性陣は運ばれてきたビールを飲んで、
「はああ」
とさっきとは別のため息をついていた。そこでカメラマンに、
「よくあの場であんなに食べられますね。おまけにおかわりまで」
と感心した表情でいわれてしまった。
「えー、だって、おいしかったし」
お腹が減っていた彼らは、
「ああ、急にお腹がすいてきた」
と遅い食事を取っていた。
私はすでに腹一杯すき焼きをいただいたので、野菜サラダをつまんだ記憶があるが、その居酒屋で私は、どうやって原稿を組み立てればいいかを、ずっと考えていた。
編集者は、
「好きに書いていいですよ。まずいところがあったら、あとでチェックをいれますから」
といってくれた。
私は家に帰って今回の取材について考えた。市販はされない号とはいえ、私が書くのは署名原稿である。
しかし間に入って尽力してくれた記者の男性の名前は出ない。私は組長の彼に対する態度を見て、信頼関係が築かれているのがとてもよくわかった。彼が間にいてくれたからこそ、この取材が成り立った。
もしかしたら私は、彼の手柄を横取りしているのではないか、彼を踏み台にしているのではないかと、心苦しい部分があった。
私が「Emma」に原稿を書いたのは、このパイロット版だけである。
大学時代に親しくしていた人たちとは、連絡を取っていなかったけれど、文芸学科の創作コースという性格上、作家志望の学生も多かった。
美大生の村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を「群像」で読み、そして芥川賞を受賞したのを知り、学生でもチャンスがあると、一気に盛り上がっていた。私も群像を買って読み、すごいなあと驚いていた。
しかし他の学生と違って、小説誌の新人賞に応募する気もなく、ただ本を買って読むのを続けているだけ。
物を書く仕事をしたくて浪人までして合格した学生と、希望した大学を落ち、そこしか受からなかった私との間には、意識として相当な差があった。
それでも本が好きな人が周囲に多くいるのは、私にとって刺激があって楽しい学生生活だった。
それから八年経って、作家になるのを熱望していた学生ではなく、何のお墨付きももらっていない私が物書きになったのは、申し訳なくもあった。私は本はたくさん読んだけれども、書く修業はほとんどしていなかった。
ゼミ誌を作って合評するのは授業で決められていたが、やる気もなく、締切ぎりぎりになって、やっとこさ提出するというひどさだった。私にとっては書くよりも、読むほうがずっと楽しく、書く作業はどちらかというと苦痛だった。
本だけ読んで原稿は書かずに済む仕事はないかなあなどと、考えたりもした。
連載のうち、スポーツ誌は取材もので、他はすべてエッセイだった。
毎日、こつこつとできない性格の私は、昼前に起きてだらだらした後、散歩がてら書店を巡り、本を読み続けていた。そして締切の二日前になると、これはいかんと、夜中に原稿を手書きで一気に書き上げる。二十枚は書けた。
ワープロのほうが使い勝手がよさそうで、早く打てるようになるには、どうしたらいいかと考えていたら、はやっている歌の歌詞を、曲に合わせて打つといいと、どこかで読んだ。東芝のワープロを購入した私は、小泉今日子の「なんてったってアイドル」や、中森明菜の「ミ・アモーレ」を聴きながら、それに合わせてキーボードを打つ練習を続けていた。
* * *