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「わが身をつねって人の痛さを知れ」渡辺和子さんが生涯忘れなかった母の言葉

今いるところが、あなたの居場所。そこで根を伸ばし、大きく、美しい花を咲かせなさい……。多くの読者に感動を与えた国民的ベストセラー、『置かれた場所で咲きなさい』。刊行から8年がたち、故・渡辺和子さんのメッセージがふたたび光を放ち始めています。心迷いがちなこのご時世、今こそ読み返したい本書から、胸に響く言葉をご紹介します。

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母が私に教えてくれたこと

三歳ぐらいの子どもを連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語って聞かせています。「おじさんたちが、こうして働いていてくださるおかげで、坊やはおいしいお水が飲めるのよ。ありがとうといって通りましょうね

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同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。子どもに向かっていいました。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ

価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられることがあるのです。最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、労働への感謝の念を子どもの心に植えつけたのに対し、二番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植えつけたのではないでしょうか。

私の母は、決して学歴のある人ではありませんでしたが、人間として大切にしなければならないことを、しっかり伝えてくれました。

聖書を一度も手にすることなく人生を終えた母でしたが、思いおこすと、母の価値観の中には、キリストが大切になさったことが、たくさん含まれていたことに気付きます。

「わが身をつねって、人の痛さを知れ」意地の悪い私が、母からよく聞かされた言葉です。これは、「他人からしてほしいと思うことを、あなたたちも他人に行いなさい」というキリストの愛と思いやりを他の側面から表現したものといってよいでしょう。

「人をつねってはいけない」と、禁止の言葉で教えるのでなく、まず自分自身をつねって、つねられた痛みのわかる人になりなさいということでした。価値観は言葉以上に、それを実行している人の姿によって伝えられるものなのです。

子は「親の背中」を見て育つ

文房具類を万引して捕まった子どもに、父親がいったそうです。「馬鹿だなあ。このぐらいのものなら、いくらでもパパが会社から持って帰ってやったのに」

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子どもは、親や教師のいう通りにはなりませんが、親や教師のする通りになります。ですから、子どもには、周囲によい手本がなければならないのです。「なってほしい子どもの姿」を、親も教師も自ら示す努力をしなければならないということでしょう。

私の母は、高等小学校しか出ていない人でした。父と結婚後、田舎から都会へ出てきて、父の昇進とともに、妻としてのふさわしい教養を苦労して身につけたのだと思います。

その母が「あなたたちも努力しなさい」といった時、自ら手本となっていた母の姿に、私たち子どもも返す言葉がなく、ただ従っていたのでした。

母はよく諺を使って、物事のあるべきようを教えてくれました。その一つに、「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」というのがありました。

母は本当に我慢強い人でした。私などにはわからない苦労を、黙って耐えていたのでしょう。誰にでもできる我慢は、我慢のうちに入らない。ふつうなら到底できない我慢、忍耐、許しができて、初めて「堪忍」の名に値するのだという教えでした。

この教えは、私の八十五年の生涯を何度も支えてくれました。ある会議の席上で、きわめて不当な個人攻撃を受けたことがありました。会議終了後、何人かが「シスター、よく笑顔で我慢したね」といってくれたのですが、母のおかげです。私は亡き母に、「よいお手本をありがとうございました」と、心の中でつぶやいていました。


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