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#5 片桐はいりさん号泣、青春がつまった「東急文化会館」の記憶

新型コロナウイルスの感染拡大で、存続の危機に瀕している映画館。そんな今だからこそ読みたいのが、俳優、片桐はいりさんの『もぎりよ今夜も有難う』です。映画館が活況だったころの懐かしい思い出、銀座の映画館でもぎりのアルバイトをしていた7年間、旅先の映画館での温かいエピソードなど、映画館にまつわるあれこれをユーモアあふれる筆致でつづった名エッセイ。その中から、読めば映画館に行きたくなるエピソードをお届けします。

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消えゆく思い出の場所

悲鳴のような電話がかかってきた。

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「無い! 無いのよお!」

それは先輩筋の女優さんからで、いきなり泣き声からカットイン。

「今渋谷なんだけど、無いの。なくなってるの! 東急文化会館!」

なぜそんな苦情がわたしに寄せられるのかはさておき、この時すでに東急文化会館は解体がはじまって一年が過ぎていた。

屋上に五島プラネタリウムの銀色ドームを乗せ、わたしがいちばん親しんだ名前で呼ぶなら、パンテオン、渋谷東急、レックス、東急名画座、四つの映画館を抱えた映画の殿堂は、その前の年、平成十五年、半世紀に少し足らない生涯を終えていた

さよならイベントも華々しく行われた、はずだ。わたしはとても足を向けられなかった。閉館が決まってからは、むしろ渋谷のそちら口からは目をそらして過ごした。

「思い出、わたしの、うっ、思い出……」しゃくりあげる電話口に、とりあえずそこで待っててください、と告げて、わたしは渋々渋谷へむかった。

ずいぶんたくさんの映画館を見送ってきた。銀座文化で働いていたころは、もぎり仲間たちと誘い合って、いちいち劇場にお別れを言いに行ったものだ。銀座のはしっこテアトル東京、有楽町の駅前の日劇に丸の内ピカデリー、日比谷映画、有楽座と並んだ日比谷映画街

ひとりになったら、そんな勇気もなくなった。なくなっていくものがあまりにも多すぎて、そのたびに立ち止まってはいられなくなった。

東急文化会館とは反対口の駅前の、やけににぎやかな喫茶店でその人はしおれていた。なだめるつもりが、気がついたらわたしのほうがうぉんうぉん泣いていた。

はじめて観た人工の天の川、はじめて観た巨大人食い鮫。思い出したら止まらない。知り合いだらけの銀座地区には行きにくいから、学生時代の映画館デートはもっぱらあの建物だった。プラネタリウムにも、幼き日の思い出と、青春盛りの思い出と、ふた種類の思い出がある。昭和三十年代以降東京で暮らしたことがあるならば、おなじような感傷を抱く人は限りなくいるはずだ。

入れかわり立ちかわり水をつぎ足しに来るウエイトレスたちが、「何? なんなの?」とささやきあっている。昼日中から、混みあう店内で、どこかで見たことがある女二人、むせび泣く。どうぞ見のがして、と祈りながら、わたしは鼻水をすすっていた。

日本に残る2つの「映画街」

今さらそんな間のぬけた話を思い出したのは、先日出かけた静岡の映画街のせいである。そこで行われたシズオカシネマパークフェスティバルに、ゲストとして呼んでいただいたのだ。盛岡と、今この国にたった二つだけ残る“映画街”。静岡の方はそろそろなくなってしまうらしい、という噂も耳にしていた。

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その映画館が並ぶ通りの壮観は、わたしの予想をあっさり超えるものだった。静岡市の中心街七間町、通称七ぶらシネマ通りには、二百メートルも行かない間に、五つの劇場の建物が軒をつらね、十三ものスクリーンが映画を映していた

中でも“静活”が運営する三つの建物は、映画館というよりムービーパレスと呼びたくなるような御殿ぶりだった。オリオン座なんて、地上五階分のファサードが全面スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のタイル画で飾られている。

洞窟探検に行くような立派な懐中電灯を携えてあらわれた静活の佐藤支配人の案内で、すべての劇場の裏の裏まで見せていただいた。小雨ふる二月の終わりというのに、階段だらけの館内を汗をふきふきうろつきまわる。

大はりきりで、昭和三十年代に建てられたというそれらの建物たちをめぐっているうちに、わたしは、すごく幸せな夢を見ながら、「これは夢なのだ」と気づいてしまっている時のようなせつなさを感じていた

この劇場で映画を観たことは一度もない。だけど、オリオン座の入り口の大階段をのぼれば、もぎり仲間たちと通った旧丸の内ピカデリーの大階段がよみがえる。大理石の柱を見れば、銀座文化の壁に埋もれていたアンモナイトの化石を思い出す。

かつては千席を超えていたという大海原みたいな客席。国内じゃ最大級の広大なスクリーン。ありえないほど高い天井。どれも、わたしがもっとも映画と近しかったころの劇場の、そのままの姿なのだ。

しかもこれらの劇場の名前が、ピカデリーにミラノに有楽座ときている。頭にはもちろん、静岡、がつくけれど。死んだはずの恋人が、見知らぬ街で生きていた。なんだかそんなメロドラマみたいだ。

映画街めぐりのおしまいに、ピカデリーが入っている静活文化会館の屋上にぽっこり残された、小さな小さなプラネタリウムを見た。前の年につくられた東急文化会館のものと比べたら、それは、かまくら? というほどのかわいらしさである。どれくらい使われていないのか、今は機械も椅子も取りはずされて、ほんとうにかまくらみたいになっていた。

小雨がいきなりどしゃぶりになって、あわててわたしは屋上からおりた。いつかこの建物とこの街がなくなったら、またわたしはうぉんうぉんと泣くのだろう。懐古趣味のおセンチと笑わば笑え。でもその時だけ、目をつぶって見のがしてほしい。


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