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この先には、何がある? 2┃群ようこ

やめたとたんに体調は好転し、毎日、家でぶらぶらしてずーっと本を読んだり、レコードを聴いたりしていた。

だがそれを許さないのが働いている母と大学生の弟だった。再び「怠け者」と私を非難し、すぐに就職先を探せという。私は貯金を食いつぶしたら、探すつもりだったのに、早くしろと急かして、私の至福の時間を奪おうとする。

(金を貯めたら家を出てってやる)

と腹の中で毒づきながら、新聞の求人広告を眺めていた。

私は最後に落ち着いた「本の雑誌社」にたどりつくまで六回転職したが、すべて新聞の求人広告で見つけた。

某録音スタジオの面接を受けたときは、女のなかでも就職差別があるのがわかった。面接官の男性五人が、スタイルのいい美人に対するのと私に対するのと、まったく態度が違うのがわかったからである。そりゃ、そうだろうと納得したものの、幸せな家庭、裕福、コネ、男、スタイルのいい美女、のすべてにおいて、「じゃないほう」として、社会でやっていかなければならないとわかった私は、腹が立つよりも、まあ、仕方がないとあきらめていた。

それでも家を出るためには、自活しないといけないので、目についた会社には履歴書を送った。書類選考で落とされたところもあるが、だいたいは試験を受ける機会を与えられた。

給料に目がくらんで応募した大企業は、試験に一週間かかって合格したのに、上司と喧嘩して二日でやめた。

時間が自由になりそうなので受けた、日本橋にある全員七十歳は過ぎているおじいさんたちが四人いた会社は試験もなく、「とにかく来て」と懇願され、翌日、出社したけれど、仕事は彼らにお茶を淹れるだけだった。彼らは会話を交わさず、机の前に座ってずっと口をもぐもぐさせていた。どんよりとした泥沼のような雰囲気で、ここにいると自分の若さを吸い取られるような気がして、丁重にお断りをしてその日のうちにやめた。

その後、音楽雑誌に一年ほどいて、社長の怪しさに疑問を持ってやめた。

当時の私の楽しみは、母と弟が会社、学校に出かけた後、家事を済ませて、最寄りの路線でいちばん近くて大きい、高田馬場の芳林堂書店に本を買いに行くことだった。

ここで私は平台に置いてあった「本の雑誌」を知った。本が好きな私としては、「本の雑誌」と書いてあったら、無視できない。厚さが五ミリあるかないかの雑誌だったが、何気なく開いて私はその雑誌を読むのをやめられなくなってしまった。

私は本は大好きだが、学校で書かされる読書感想文が大嫌いだった。その本を褒めないと先生に叱られるというのも違うと思っていた。「本を読んでいると偉い」といった雰囲気になるのも嫌だった。

しかし「本の雑誌」はまったくそんなところがなく、どの人もみんなただ単純に本が好きというのに、大きくうなずいたのである。

そんな私にとって喜ばしい日々も、またまた母と弟に就職しろと小言をいわれて長続きせず、六本木にあった編集プロダクションに就職した。

一九七八年頃の六本木はまだのんびりしていた。明治屋の前をねんねこ半纏で赤ん坊をおぶった、黒人女性が歩いていたりした。しかし周辺の価格帯と給料のバランスが取れず、昼食はもちろん、食後のコーヒー一杯飲むのにも躊躇するような有様で、弁当を持っていき、残業の友は近くのビルにあった牛丼店だった。

何事もなければそこで働き続けていたかもしれないが、直属の上司が私の机の中の印鑑を持ち出し、私の母の名前で領収書を偽造していたのを知って、その会社に勤める気は薄れていた。

そんななかで会社の帰りに芳林堂に寄って本をチェックするのが、より楽しみになっていった。もちろん「本の雑誌」も欠かさず買っていた。

しばらく経って、新聞の求人欄に「ストアーズ社」の求人が載っていた。「本の雑誌」の編集長の椎名誠さんが、本業の勤め先と書いていたのを覚えていたのだ。「本の雑誌」は目黒考二さんと椎名誠さんと、彼らの知り合いや助っ人で成り立っているとも書いてあった。

この会社に勤めれば「本の雑誌」の手伝いができるのではないかと、履歴書の応募動機の欄に、「『本の雑誌』を読んでいるから」と書いた。

それが履歴書を整理していた、椎名さんの部下兼助っ人の男性の目に留まり、私の履歴書を椎名さんに見せた。私の履歴書はそのまま椎名さんの手元に置かれ、ちょうど女性の事務員を探していたタイミングと重なって、私は本の雑誌社の事務員として働くことになった。

椎名さんも目黒さんも本業で忙しく、仕事を一から教えられないので、広告、編集に知識がある経験者がいいと考えていたと聞いた。私は転職を繰り返したけれど、その経験が無駄にならなかった。

当初のお給料は三万円だったが、やっと長く勤められそうな場所を得て、ひとり暮らしもはじめた。

大学卒業から会社をやめて独立するまでの話は『別人「群ようこ」のできるまで』(文春文庫)に書いてあるので詳細は省くが、「本の雑誌」がなければ、確実に「群ようこ」は存在しなかったのである。

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