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#2 善いことを勧め、悪いことを諌める…どんな人の心にも「王さま」が住んでいる
今いるところが、あなたの居場所。そこで根を伸ばし、大きく、美しい花を咲かせなさい……。多くの読者に感動を与えた国民的ベストセラー、『置かれた場所で咲きなさい』。刊行から8年がたち、故・渡辺和子さんのメッセージがふたたび光を放ち始めています。心迷いがちなこのご時世、今こそ読み返したい本書から、胸に響く言葉をご紹介します。
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「良心の声」に耳を傾けよう
旧約聖書の中には、神が度々、預言者たちに呼びかけて、なすべきことを示しておられる様子が記されています。
新約聖書では、「私についてきなさい」というキリストの呼びかけに応じて、十二人の弟子たちはキリストに従いました。聖パウロはダマスコへ行く途中で、「サウル、サウル」という呼びかけに回心し、偉大な使徒となったのでした。
司祭、修道者になった人々は、このような神の呼びかけに応じて、その道に入ったと考えてよいでしょう。神は今も、私たちに日常生活の中で、呼びかけておられます。
ある小学校の六年になる女子の一人が、次のような詩を書いています。
「王さまのごめいれい」
といって、バケツの中へ手を入れる
「王さまって、だれ?」
「私の心のこと」
おそらく、寒い朝、ぞうきんをゆすいでいるのでしょう。冷たい水の入ったバケツに手を入れ、しぼらないといけない時の心の動きが、この詩に表現されています。「いやだなあ」という気持ち、「でも、しないといけない。王さまのご命令だから」という、自分自身との会話。
実は、私たち一人ひとりの心の中にも、この“王さま”は住んでおられるのです。ためらっている私たちに、善いことを「しなさいよ」とすすめ、悪いことを「してはいけません」と制止していてくださるのです。
神の呼びかけは、かくて、電車の中で、高齢の方に席を譲ろうか、譲るまいか、嘘をつこうか、つくまいか、こぼした水を拭こうか、そのままにしておこうかと、ためらっている私たちに、どうしたらよいかを囁いてくださっています。この「王さまのご命令」に耳を傾け、従って、生きてゆきたいものです。
ほほえみを絶やさないために
「顔で笑って、心で泣いて」という言葉は、何となくわかるのですが、心に笑顔を持つというのは、どのような場面をいうのでしょう。
信仰詩人といわれ、若くして亡くなった八木重吉が、次のような詩を残しています。
いきどおりながらも
うつくしいわたしであろうよ
哭きながら 哭きながら
うつくしいわたしであろうよ
この詩がうたっている「うつくしいわたし」こそが、心に笑顔のある人なのかもしれません。
三十代の後半で四年制大学の学長に任命された私は、教職員や学生から、あいさつされるのが当り前と考え、そうしない相手に、“いきどおり”を感じる傲慢な人間でした。
その私が、ある日「ほほえみ」という詩に出合って変わったのです。
その詩の内容は、自分が期待したほほえみがもらえなかった時、不愉快になってはいけない。むしろ、あなたの方から相手にほほえみかけなさい。ほほえむことのできない相手こそ、あなたからのそれを、本当に必要としている人なのだから、というものでした。
最初、「そんな不合理な」と思った私はやがて、これこそキリストが求める「自分がされて嬉しいことを、他人にしなさい」という愛の教えなのだと気付いて、実行したのです。
ところが、私からのほほえみを無視する人たちがいました。そんな相手に“いきどおらず、美しいわたしであるために”、私はこう考えることにしたのです。「今の私のほほえみは“神さまのポケット”に入ったのだ」と。
そう考えて、心の中でニッコリ笑うことができるようになりました。美しいわたしであるために、むしろ、ありがたくさえ思えるようになったのです。