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#2 この世に「雑用」という用はない…仕事に思いを込めていますか?

国民的ベストセラーとして一世を風靡した『置かれた場所で咲きなさい』。著者の渡辺和子さんが逝去された現在も、幅広い読者に読み継がれています。しかし、この作品に「続編」があることを、みなさんはご存じでしょうか? 『面倒だから、しよう』は前作で語りきれなかった、より深いメッセージが詰まった「隠れた名作」。そんな本書から、中身を少しだけご紹介しましょう。

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時間の使い方は、いのちの使い方

一人前の修道女になるためには、数年の準備期間があり、三十歳近くで入会した私は、その後五年近くをアメリカで過ごしました。当時は、修道女を志す人も今と違って多く、二十代の若いアメリカ人百数十名と、ボストン郊外の広大な修練院で修行していた一年間の、ある日のことでした。

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修練という言葉が示すように、朝五時の起床から夜九時の就寝まで、厳格な規律のもとに祈り、黙想、食事が行われ、その他の時間は主として草取り、洗濯、食事の下ごしらえなどの単純な作業に当てられます。

その日は夏の暑い午後でした。私は、割り当てられていた配膳の仕事を食堂で果たしていました。百数十の皿、コップなどを長机の上、パイプ椅子の前に一つひとつ並べてゆく仕事を、沈黙のうちに手早く行っていた時です。

突然、「あなたは、何を考えながら仕事をしているのですか」と問いかけられ、振り向くと、そこには厳しい顔をした修練長の姿がありました。

「別に何も」と答えた私は、「あなたは時間を無駄にしている」と叱責され、一瞬、戸惑いを隠せませんでした。命ぜられたことを、命ぜられたようにしていたからです。

修練長は、そんな私に今度は優しく諭すのでした。「時間の使い方は、そのままいのちの使い方なのですよ。同じ仕事をするなら、やがて夕食の席につく一人ひとりのシスターのために、祈りながら並べてゆきなさい」

何も考えないで皿を並べるなら、ロボットの仕事と同じです。「つまらない」と考えて過ごす時間は、つまらない人生しか残してゆきません。同じ時間を費やすなら、一つひとつの皿を並べる時に、「お幸せに」と、私にしかこめられない愛と祈りをこめて並べて、初めて私は、愛と祈りの人生を送れるのだということを、その日、その時、教えられたのでした。

幸せは「自分の心」が決める

三十歳まで、英語を使うやりがいのある仕事に就き、修士号も取得していた私は、当初こそ、「これが修道生活というものだ」と納得して、単純労働にもいそしんでいたのに、時が経つにつれ、知的な刺激の少ない生活に対して「つまらない」と考える不遜な人間になっていました。

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時間の使い方は、いのちの使い方。この世に“雑用”という用はない。用を雑にした時に、雑用が生まれるのだということを、心に叩きこまれた修練院での一コマでした。

果たして、私が「お幸せに」と祈りながら皿並べをしたから、夕食で座ったシスターが幸せになったかどうかは、わかりません。わからなくていいのです。これは私の時間の使い方、私の人生の問題だからです。しかしながら一つ、たしかに変わったことがありました。それは、私から仏頂面が消えたことです。

生きていく上では、嫌なこと、したくないこと、欲しくないもの、気に入らない相手など、数々の自分にとって“ありがたくない”物事に向き合わないといけないことがあります。つまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術を、若くして修練院で教えてもらえたことを私は、感謝しています。

「幸せは、いつも自分の心が決める」のであり、私たちは、環境の奴隷でなく、環境の主人となり得る人間の尊厳を忘れてはいけないのです。

マザー・テレサは、炊き出しをするシスターたちに必ず三つのことを実行するように諭しておられました。パンとスープボウルを渡す時には、相手の目を見て、ほほえむこと。手に触れて、ぬくもりを伝えること。そして短い言葉がけをするという三つです。それは、ロボットにはできない、人間の、他の人間に対する愛と祈りの表現です。

仕事を“する”doingも大切ですが、どういう思いで仕事をしているかというbeingを忘れてはいけないのだと肝に銘じています。


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