月給たった60円! 刑務所の「労役」とはどんな仕事か?
国際指名手配、薬物、殺人未遂……。8年の刑を言い渡され、30代のほとんどを獄中で過ごした茶話康朝氏。著書『三獄誌 府中刑務所獄想録』は、私たちが知らない「塀の中」の意外な真実を教えてくれる。留置場、拘置所、刑務所という「3つの獄」は、実際はどのような場所なのか? 本書の一部をご紹介しよう。
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拘置所とは大違い
アカ落ちをすると、それまでの生活とは急に違ってくる。
余計な私物は持つことができず、それまであった菓子や缶詰などの食料は一切手元に置くことができなくなる。
書籍やノートも冊数が制限される(最近はそれも改正された)。未決の時は本でも雑誌でも好きな時に読むことができたが、アカ落ちしたらそうはいかない。刑務所に移管されるまでの間も、しっかりと労役が待っている。
二カ月近く拘置所の独居で作業をさせられた。内容は“袋貼り”で、紙に折り目を付け、糊を塗って紙袋を作る単純作業だ。私物がなくなってガランとした部屋に、袋貼りの材料が運び込まれる。ただひたすら、それ以外にやることがない。
サボって本を読むこともできるが、手持ちの本も冊数制限があり、そんなことをしたら後で読む物がなくなって辛いし、当然、見つかれば懲罰にもなる。知らないうちに、その内職のような作業に没頭してしまった。
朝から夕方まで一生懸命作業をした。ボーッとしていることが辛く、何かに集中していたかったので一心不乱に作業をするのだ。刑務所に行くまでは、この時が自分の人生で一番、一生懸命仕事をしたかもしれない。
懲役で、微々たる賞与金がもらえるというのは知っていた。
ほんの少しだとは聞いていたが、一カ月間働いてその金額を見せられた時には、正直、ここは刑務所なのだと実感させられた。
確か、一カ月みっちり働いて六十円ほどではなかったかと思う。決してそんな金を当てにしていた訳ではないが、自分が一生懸命仕事をした分、その金額の少なさが余計に身にしみた。
大の大人が、一カ月間一生懸命働いてもらえる金がたったの六十円。これならいっそもらわない方がいい。いくら内職仕事で懲役だといっても、あまりにもひどい。
「あれだけ一生懸命仕事したのに、たったの六十円なの? 六万円でも少ないくらいだけど、何かの間違いだよね?」とオヤジに訊いてみたかった。
これでは犯罪は減らない?
刑務所に移ってからは、少しずつ等工が上がりそれに合わせて昇給があるが、もし懲罰に行けば等工を下げられ賞与金も下がってしまう。
最初は“十等工”から始まり、最高は“一等工十割増”。大概の者は、四、五等工あたりで出所してしまうので、出所時に受け取る賞与金も何万円という程度だ。
こっちの場合は五、六年過ぎたあたりで、一等工十割増しになった。
賞与金はその頃で毎月一万一千円から一万二千円ほどだった。もしボイラーや危険物などの免許があり、その部署に運良く配属されれば特別手当がつくそうだ。一万円から一万五千円がプラスされると聞いた。ただし、組関係者は、そのような所には決して行けない。
こっちも出所時は、六十万円ほどの賞与金を受け取った。八年の刑だったのでその金額になった。短い刑の者は、その何万円かを持って社会に放り出される。
刑務所に来るような者は大概、娑婆に出ても温かく迎えてくれるような者はいない。その金がなくなってしまえば、後はお決まりのパターンだ。どこも雇ってくれない年寄りに対しても、扱いは一緒だ。うかんむり(盗犯)の老囚がぼやいていたことがある。
「この歳ではどこも雇ってくれないし、今更何もできない。子供にも愛想を尽かされているので、身寄りなどないも一緒です。泥棒しか生きていく術がないのです。それをするなということは、黙って飢え死にしろというのと同じなのですよ」
返す言葉がなかった。
身寄りもなく仕事にも就けない年寄りなど、賞与金が無くなれば同じことをするしか生きる方法がない。
賞与金をもう少し違った形で活用できないのだろうか?
一般並みにとは言わないまでも、せめて娑婆の三分の一から四分の一ほどの賞与金を与え、それを無駄に使ってしまわないように行政が管理するなどして、出所者の住居やその後の生活の足しにするということができないものだろうか。
本当に大切なのは、刑務所を出てからだ。
何年も拘束されたあげく、たった何万円かの金を渡されただけで釈放されて、行くところもろくにない犯罪ばかりしてきた者がまともな生き方などできるはずがない!
何をするにも金が必要な世の中で、浦島太郎状態で社会に戻った者がどうやって悪いことをせずに生きることができるのだろうか?
建前だけの刑務行政では、決して犯罪件数を減らすことはできない。