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出世を選ぶか、約束を選ぶか?…この小説を書くために、NHKを辞めました #5 ガラスの巨塔

巨大公共放送局で、三流部署ディレクターからトッププロデューサーにのし上がった男がいた。手がけた『チャレンジX』は、視聴率20%超の国民的番組となり、特別職に誰よりも早く抜擢される。しかし、天皇と呼ばれる会長が失権すると事態は一転し……。元NHKプロデューサー、今井彰さんの『ガラスの巨塔』は、組織に渦巻く野望と嫉妬を描ききった「問題小説」。その存在意義が問われている今こそ読みたい、本書の一部をご紹介します。

*  *  *

その日から撮影が始まった。

おそらく世界中で、この瞬間に、こんなロケをしているのは俺だけだろう。小さな家に通い続けることがこんなにも充実した気持ちにさせてくれる。

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この取材がどう結実するのか、それともしないのか、全く分からなかったが、西はディレクターとして至福の時を味わっていた。

一日ひとつだけでいい。

西は焦らないことに決めた。夫婦のゆるやかな時間に自分たちを置かなければ撮れないと感じていた。壁際に張りついたカメラマンが日常だけをフルショットでおさめる。ラジオから流れてくる戦争のニュースに顔を歪める父の顔、情報が入らない苛立ちからか額に深い皺を寄せ、雪の降りだした庭を見つめる母。二人の深いため息がときに聞こえる。

その静寂に溶け込むように西はインタビューを重ねた。戦争の無意味さ、サダムへの恨み、そして息子の無事を祈る思いが記録されていった。

数日に一度、夫妻の元にペンタゴンから連絡が入った。何か異常はないか、メディアの取材が入っていないか、確認するためのものだった。そのたびに、夫妻は何の取材も来ていないと慌てたように電話を切った。

その老いた背を見るたびに、西はいたたまれない気持ちで一杯になった。

夫婦にとって毎日訪れる自分が、暮らしの中で、欠かせない存在になっている。東洋から突然来た異端者を家族のように受け入れ、かばおうとしている。

ペンタゴンの警戒は当然のことだった。家族の姿や話が、情報戦にも反戦活動にも使われた歴史が、ベトナム戦当時のアメリカにはあった。

さらに夫妻は気づいていないが、西は恐れていることがあった。

メディアの戦争といわれた湾岸戦争である。イラク側も当然、アメリカをはじめとする世界の報道を注視し、メディア戦略を立てているはずだ。その証拠が、多国籍軍の圧倒的な有利さを伝える報道に対抗する形で、イラク国営テレビはジェームズ・ダーデンたち戦争捕虜の無残に腫れ上がった顔を流した。イラン・イラク戦争で捕虜になった人間の手足を切り取り、戦場に投げ出して相手の戦意を奪おうとした陰惨な手法と同じだ。

もし、夫妻の映像がメディアに流出し、サダム・フセインを厳しく非難する父親ロバーツの声がイラクに届いたら、捕虜になっているジェームズがいかなる扱いを受けるか、考えただけでも震えがきた。

ある日、西は夫婦を前に話した。

「私たちを親切に受け入れてくださって感謝しています。ひとつだけ約束をさせてください。私は息子さんが救出されるまで、ここで撮らせていただいた一切の映像をテレビに流さないことを誓います」

夫妻は突然の話に戸惑った顔をした。ペンタゴンからの電話のことを気にしているのだと思い違いをして安心した表情になった。その約束が間もなく大きなトラブルを引き起こす。

西が夫妻の家に通い始めて二十日あまり経っていた。

西たちは、隣町のモーテルに宿を取っていた。夫妻の家まで車で三十分、ベストウエスタンという、アメリカによくあるチェーンのモーテルだった。

その日の取材を終え、モーテルのベッドに横になった瞬間、けたたましく電話が鳴った。相手は全日本テレビ番組局教養部の金崎プロデューサーだった。何回かしか話したことはないが、西の取材の責任者であり、髭面のいかめしい顔をした男である。

西は三日に一度、全日本テレビの湾岸戦争事務局に取材状況を報告することが義務付けられていた。捕虜家族を撮影していることは伝えてあった。

金崎は用件を切り出した。

「捕虜家族の取材をしているそうじゃないか。順調か、頑張っているな。ところで今まで撮った映像を丸ごとキャプション付けて送ってくれ。そこはワシントンとニューヨーク支局のちょうど中間ぐらいだろう。車で走れば六、七時間で着くだろう。どっちの局でもいいから、今から車を飛ばして、映像を国際伝送してくれ」

西は凍りついた。

猫なで声だが、有無を言わせぬ響きがあった。戦争が始まって一カ月あまり、ニュースの素材が払底していることは明らかだった。西の取材報告に目をつけたのだろう。だが、送ればたいへんな事態になる。

「たいへん恐縮なのですが、今は送れない事情があるんです」

西は必死に説明した。イラン・イラク戦争での残虐な行為のこと、ダーデン少佐が捕虜となっている状況と父親のサダムへの憎悪の発言、救出されれば放映出来ること――。

だが、話の途中で金崎の裏返った怒鳴り声が耳をつんざいた。

「がたがたぬかすんじゃねえ、三流品のへっぽこディレクターごときが! 今がどんな事態か貴様は分かってんのか。海外に出て戻って来てねえのは、お前だけなんだよ。ぐずぐずするんじゃねえ、馬鹿が! 何をえらそうなことをぬかしやがる。じじいとばばあを撮っているだけだろう! 黙って言われたとおりに送ればいいんだ。放送するかしないかの判断は俺たちがするんだ! いいか、分かったか!」

電話は叩き切られた。

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西は立ち上がると部屋の中をぐるぐると落ち着きなく歩き始めた。悩んだときの西の癖だった。冬なのに汗をびっしょりとかいている。金崎の声がまだ耳に響いている。心が揺れた。

俺みたいな立場の人間が命令に背いたらどういうことになるか。

金崎たちプロデューサーや真行寺企画部長の怒り蔑んだ顔が浮かんでは消える。

おそらくローカル放送局に逆戻りだろう。いやこの先、二度と東京に戻れることはないだろう。一生、這いずり廻りながら無為に歳をとるのか。

十年近くを過ごした小さな放送局と、力を見せることも出来なかった悔しい日々を思い出し、西は絶望的な気分に陥った。

どさりとベッドに腰をかけ、西は撮影したテープが入ったジュラルミンケースの方を見た。

東京の連中だって愚かじゃないはずだ。あれだけ懸命に今は放送出来ないと伝えたんだ、うまくやってくれるんじゃないだろうか? 今からこのテープを持って支局まで走ればいい――。

激しく頭をふった。体がわなわなと小刻みに震えた。

なんて馬鹿なことを考えたんだ。絶対にありえない。連中は必ず放送する。俺はあいつらに一瞬だけほめられ、その後、生涯消えない後悔に苛まれながら生きてゆく。あの善良な夫妻と交わした約束を反故にするなど、絶対に出来ない。

第一に俺はディレクターだ。ニュースの駒じゃない。番組を作るためにここまで来たんだ。

翌朝、西はそのモーテルを出た。他の宿に予約をとると、機材やテープを移した。そして東京の全日本テレビとの連絡を絶った。

三月八日、全日本テレビ番組局フロアー第一企画室――。

夜九時を過ぎたにもかかわらず、企画室に所属する三十人あまりの社員は誰も帰宅しようとせず、忙しげに立ち働いていた。手持ち無沙汰にしている者もいたが、時々周りを盗み見て隣の社員が働いているのを確認すると、見咎められるのを恐れるように、また仕事を始める。

企画室は番組局の局長直轄の管理間接部門で、人事や総務を束ね、時に各部の意見調整を行う中枢部署として位置づけられていた。通常は、番組の制作現場とは異なり、深夜まで残業するのは稀だったが、湾岸戦争が始まって以来、報道局へ送り出す要員の各部への割り振りや予算の配布、たび重なる番組変更の連絡など諸々の作業に追われ、容易に帰ることが憚られる雰囲気になっていた。

真行寺企画部長は大部屋の中央の椅子に深く体を沈めたまま、自慢の銀髪を何度もかき上げる。その仕草が自分をより知的な存在に見せることを熟知していた。

真行寺は東京大学の経済学部を卒業し、入社するやロンドンへの語学留学を希望した。願いはあっさり実現し、ロンドン支局に週に一度だけ顔を出せばいいという破格の待遇を受けた。真行寺の趣味であるクラシックのコンサートに美術館めぐり、会社の金を思うさま使いながらヨーロッパを飛び回り、高等遊民のような暮らしを二年間たっぷりと送って帰国した。

それが真行寺の箔のひとつになり、出世を助けた。番組作りに対して情熱はなかったが、批評家としてなら一流品だという自負と、人を自在に使うことに無上の喜びを覚えていた。

全日本テレビ協会において昇進はある年までおおむね横並びだ。下手に能力を見せれば出る杭は打たれる。嫉妬に狂った連中から怪文書を打たれる。真行寺も一度、賭けマージャンをやっている奴を登用するのかと怪文書を流され、それ以来用心深さを増した。かといって何もしなければ無能のレッテルを貼られる。

ある枠の中で有能に立ち働き、局内に贔屓にし守ってくれるパトロンを作り、そのパトロンを乗り換えながらのし上がってゆくのが全日本テレビにおける出世の早道であることを、真行寺は身をもって覚えた。三十代半ばでデスクになり、特集グループ・プロデューサーから現在の地位まで一気に駆け上った。

本来なら最終責任者は番組局の大田原局長のはずだった。しかし、大振りな性格で、面倒が嫌いなのか、それとも切れ者と評価される真行寺に遠慮してなのか、大田原は自分の仕事のほとんどを真行寺に丸投げし、言いなりだった。それはサラリーマンの生命線である人事権を手放すに等しかった。真行寺は番組局すべてのプロデューサーとディレクターを操れる全権委任者として、威力を振るい続けていた。

大部屋の壁にかかる時計の針は夜九時を指している。ほぼ二日後の夜九時から戦争捕虜家族の特集番組が放送される予定だ。真行寺にとって大事なカードになるはずの、いやそうしなければならない番組だった。

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