#3 このままでは妻が壊れる…大人も泣ける山田悠介作品!
愛する息子・優を病気で亡くした泰史と冬美は、ある会社を訪れる。そこで行われているのは、子どものレンタルと売買。二人はリストの中に優そっくりの子どもを見つけ、迷わず購入を決めるが……。100万部を超えるベストセラー『リアル鬼ごっこ』をはじめ、若者から圧倒的な支持を受けている山田悠介作品。本書『レンタル・チルドレン』は、「大人も泣ける!」と評価の高いホラー小説です。その冒頭を特別に公開します。
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2
十月三日。月曜日。今朝は妙に肌寒く、七時半にセットしたアラームが鳴る前に目覚めた。隣に冬美はいない。朝食の支度をしてくれているのだろう。
泰史は布団を雑にたたみ、仏壇の前に正座した。
目を閉じると、優との思い出が蘇ってくる。だが瞼を開けると、現実に引き戻される。その一瞬がいつも辛い。
「おはよう。行ってくるよ」
優に言葉をかけて、クローゼットからスーツを取り寝室を出た。洗面所で顔を洗い歯を磨き、髪をセットしてキッチンに向かう。
冬美が、テーブルに朝食を並べているところだった。
「おはよう」
「おはようございます」
か細い声が返ってくる。
「昨日は……」
悪かったね。そう謝る前に、一瞥もくれず、冬美は洗いものを始めてしまった。泰史は椅子に座り、箸を持った。そして一人寂しく、白いご飯を口に運び始めた。
思わずため息をつく。いつまでこんな暗い生活が続くのか。何とかしてやりたい。冬美のために。だがどうしたらいいのか正直分からない。いつかは時が解決してくれるのだろうか。もう少し辛抱すればいいのか。
朝食を終えた泰史はその場でスーツに着替え、仕事用の鞄を手にした。
玄関まで、冬美は来てくれない。以前は優と一緒に毎日見送ってくれたのに。
靴を履いた泰史は、行ってきますと一応声をかけ、扉を閉めて鍵をかけた。まるで一人で生活しているようだった。気持ちを切り替えるには、仕事のことを考えるしかなかった。小田急線新百合ヶ丘まで徒歩十分。泰史は重い足取りで駅に向かった……。
職場まで約四十五分。泰史は以前と変わらず、GWという外車の世田谷支社に勤務している。主な仕事は店での販売、そして営業だ。この日は、自分が担当している客の故障車を取りに行くことになっていた。アフターケアも欠かすことはできない。
満員電車を降り、駅の改札を出る。交通量の多い道路を渡り徒歩五分。ショーウィンドウに飾られている何台もの高級セダン車が目に映る。最低でも五百万円以上するものばかりだ。ライトが尖っているのが特徴で、白と赤を使ったエンブレムが車に品を持たせている。もちろん、泰史の所有車はGWだ。優が死に、ほとんど乗らなくなってしまったとはいえ、今の車には優との思い出がいっぱい詰まっている。何年経っても手放すつもりはなかった。
社員専用口と書かれた扉を開け、同僚たちと挨拶を交わしながら、デスクにつく。早速資料の整理をしていると、今年二十四歳になる赤川早紀がコーヒーを持ってきてくれた。
「里谷さん、おはようございます」
「おはよう。いつもありがとう」
「私の仕事はこれくらいしかありませんから」
早紀は冗談を言って、他の社員の元にコーヒーを運んで行った。後ろ姿を眺めているうちに、冬美との出会いを思い返していた。
当時の彼女に何となく似ている。髪型やスタイル。そして、冬美も朝のコーヒー係だった。いつも笑顔でいてくれたのだが……。
「おい里谷。里谷」
自分の名前が呼ばれていることに気づき、泰史は我に返った。
「は、はい」
周りを見渡すと、上司の平田栄治が手招きしている。険しい顔からすると、何かミスをしてしまったか。スキンヘッドだから余計迫力がある。
平田の前に立った泰史は、生唾をごくりと呑み込んだ。
「里谷」
低くて嗄れた声が心臓に重く響く。
「はい……」
平田は、周囲に聞こえないように小さくこう言ってきた。
「一昨日だったんだろ? 息子さんの三回忌」
意外な言葉に泰史は戸惑った。
「え、ああ、はい」
平田は腕を組む。
「もうあれから二年だな。お前も大変だな」
「いえ……」
「冬美君の様子はどうだ。一周忌の時以来会っていないが、少しは元気になったか?」
「大丈夫です」
「そうか。まあ辛いだろうが、頑張れ」
普段、滅多にこのような台詞を言わない平田から勇気づけられ、泰史の胸は熱くなった。
他のみんなにも心配されているのかなと思うと、申し訳ない気持ちになった。早く自分たちが立ち直らなければならない。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げ、自分のデスクに戻る。そして、顧客の故障車を取りに行くため、外出する準備を始めたのだった。
会社から十キロほど離れた顧客の家に到着した泰史は、代車を引き渡し、故障車に乗って会社に戻っていた。
どうやらエンジンのかかりが悪いのと、電気系統に問題があるようだ。修理完了予定日が分かり次第連絡すると伝えたが、修理の人間がどのような判断をするかで、その日にちは変わってくる。
車を工場に入れ、修理担当の人間に内容を説明し、キーを預けた。
「じゃあよろしくお願いします」
工場を出て気がついた。いつからだろうか、携帯が鳴っているではないか。ポケットから取り出し、表示を見て、何だよ、と洩らした。
相手は三つ上の兄、正史だった。仕事中だというのに、一体何の用だ。どうせ、たいした話ではないだろう。兄はちょっとしたことでもすぐに報告してくる癖がある。今日は休みなのだろうか。出版業は自由なんだと、前に言っていたことがあるが。
「もしもし? どうしたの」
自分に似た声が、受話器から聞こえてきた。
「おう、泰史。今どこにいるんだ?」
泰史は顔をしかめる。
「会社に決まってるだろ。で、何?」
「そうか。今、お前の会社の近くにいるんだ。どうだ、飯でも。なあ、行こう」
昔からこの性格は変わらない。相手のことを一切考えず、いつも強引に誘ってくる。
「まだ昼休みじゃないんだ。一人で行けばいいだろ」
「なら待ってる。大事な話があるんだ。お前に聞いてもらいたいんだよ」
「大事な話? だったら一昨日話してくれればよかったじゃないか」
「あの日はそんな時間なかったろ」
胡散臭い。どこまで信用していいものか。
「今、目の前にスパゲティー屋が見える。分かるか?」
頭の中で地図を描く。
「ああ。パン屋の隣だろ?」
「そうそう。そこで待ってるから。いいな? 絶対来いよ」
「行けたらな」
泰史は携帯を切り、頭を掻いた。とりあえず、行ってみようか。泰史は軽い気持ちで、兄に会うことに決めたのだった。
3
十二時二十五分。泰史は、兄の待つスパゲティー屋の扉を開いた。カウベルの音が店内に響く。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
若いウェイトレスにそう訊かれ、泰史は首を振る。
「いや、待ち合わせを……」
「おい泰史。こっちこっち」
兄が手を振っている。泰史はウェイトレスに目で合図し、席に向かった。泰史は、兄の向かいに腰掛ける。丸いテーブルに、組んだ両手をドスンと置き、
「何の用だよ」
と尋ねた。
「まあまあ。そう焦るなって。とりあえず何か注文しようぜ」
メニューを見せられ、適当に決める。
「仕事は?」
兄は、水を飲みながら訊いた。
「あるよ。会社に戻る途中だったんだ」
「そう」
編集者というのは、スーツを着なくていいのだろうか。茶色の薄手のセーターにジーンズを穿いている。頭には黒い帽子。ほぼ普段着ではないか。髭だって生やしているし、身なりは本当に自由なのだろうか。堅苦しい格好がただ嫌なだけなのではないだろうか。別に自分とは関係ないが。
「昨日、母さんが来たよ」
話すつもりはなかったが、心のどこかでは、誰かに愚痴を聞いてもらいたかったのだろう。無意識のうちに言葉が出ていた。
兄は、心底嫌そうな顔を浮かべた。
「またか。で、何だって?」
「子供をつくれって。里谷家を継がせたいんだ。兄貴には全く期待してない様子だったよ」
兄は今年で三十七だが、未だ結婚していない。家庭を持ったら嫁に縛られるだけだといつも言っている。
「期待されなくて結構。俺は一生独身貴族を通すよ。それよりもあの人、何考えてんだかな。冬美ちゃんのことも少しは考えてやれっつうの。優が死んでまだ二年しか経ってないんだぞ」
「確かに。でも昔からああいう人だったから」
「ほっとけほっとけ。言わせておけばいいんだ」
「ああ……」
子供の頃から兄とはいつも考え方の違いで衝突していたが、母のことに関しては意見が一致する。
少し、胸がスッとした。来てよかったのかもしれない。
それにしても、よく見ると兄も年を取った。目尻には皺ができ、帽子からはみ出ている髪にも、白いものが混ざっている。腹も少し出てきている。ハンドボールで全国大会に出たのが嘘のような体格になってしまった。まあ、三十代も後半なのだ。仕方ないか。
「どうした?」
泰史は目をそらし、水を飲んでごまかした。
「お前もかなり疲れてるみたいだな」
「そ、そうか?」
疲労が顔に出ているのだろう。
「考えすぎもよくないぞ。お前の悪い癖だ」
返す言葉がなかった。泰史は、苦し紛れに本題に移した。
「それで、話って何なんだよ」
「ああ。そうだったな。お前……」
「うん?」
「今、噂になってるらしいんだが、レンタル・チルドレンって知ってるか?」
兄の口から、聞いたこともない言葉が飛び出した。