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#5 優しい人ほど相手を「100%」信頼しない…その意外な理由とは?

今いるところが、あなたの居場所。そこで根を伸ばし、大きく、美しい花を咲かせなさい……。多くの読者に感動を与えた国民的ベストセラー、『置かれた場所で咲きなさい』。刊行から8年がたち、故・渡辺和子さんのメッセージがふたたび光を放ち始めています。心迷いがちなこのご時世、今こそ読み返したい本書から、胸に響く言葉をご紹介します。

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人は一人ひとり違うもの

私は今、大学生に、「人格論」という授業を教えています。

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人間は一人ひとり「人格」、「Person(パーソン)」なんだと。自ら判断して、その判断に基づいて選択、決断して、その決断したことに対しては責任をとる、そういう人がパーソンと呼ばれるに値する。

右を向けといわれてただ右を向き、一人では渡らないのに、みんなが渡るから赤信号でも渡る。そういう人は人間だけれども人格ではない、というような話をしています。

「人格」である限りは、あなたと相手は違いますし、違っていていいのです。相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。「君は君 我は我也 されど仲よき」という、武者小路実篤さんの言葉があったと思います。そういう気持ちが大事なのです。

自分が一個の人格である時、初めて他人とも真の愛の関係に入れるのです。みんな自分は自分、あなたはあなた。私と違うあなたを尊敬する。相手の人も、自分と違う私を尊重してくれる。そして、その間に愛というものが育っていきます。一人ひとりは別なのです。

失恋にしても、あなたの失恋した時の淋しさと悲しさと、失恋をしたお友だちの淋しさと悲しさは違います。しなかった人と比べたら、ある程度、理解できるかもしれないけれど、「私も経験したからわかるわ」といい切るのは思い上がりではないでしょうか。

この間学生に、「お父様を亡くした友だちに何と声をかけてやったらいいでしょうか。シスターだったら何といわれますか」と聞かれました。

私が答えたのは、「ただ傍にいて手を握ってあげていたらいいと思う。何をいったら相手が慰められるだろうかじゃなくて、あなたの、本当に相手を想う気持ちが大事なんだから。手を握らないでも傍にいてあげるだけでいい」と。

「『私も父親を亡くしたのよ。だからあなたの悲しさはよくわかるわ』なんていうことはあまり安易にいわないようにしなさい」と。

あなたがお父様を亡くして悲しかったその悲しみと、お友だちがお父様をお亡くしになっての悲しみとは、決して同じではない。お互い別々の人間だから、共通するところもあるけれどもわかり切れないところもあるのです。

相手を許す「ゆとり」を持つ

人間は決して完全にわかり合えない。だから、どれほど相手を信頼していても、「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておきなさい」といっています。

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人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなる。100%信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。

「あなたは私を信頼してくれているけれども、私は神さまじゃないから間違う余地があることを忘れないでね」ということと、「私もあなたをほかの人よりもずっと信頼するけど、あなたは神さまじゃないと私は知っているから、間違ってもいいのよ」ということ……。

そういう「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。

間違うことを許すという「ゆとり」。それは、教師との間にしてもお友だち同士にしても大事なことです。

この話をすると、学生たちが初めは「えっ?」という顔をします。「シスターは不信感を植えつけるのですか」「シスターのことだから、120%相手を信頼しなさいというと思っていた」と。でも「その2%は許しのため」というと納得します。

私でも、100%信頼されたら迷惑だといいます。私も間違う余地を残しておいてほしいから。誠実に生きるつもりだけれど、間違うこともあるかもしれないし、約束を忘れることもあるかもしれない。そういう時に許してほしいから。


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