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時間よ、止まってくれないか…この小説を書くために、NHKを辞めました #4 ガラスの巨塔

巨大公共放送局で、三流部署ディレクターからトッププロデューサーにのし上がった男がいた。手がけた『チャレンジX』は、視聴率20%超の国民的番組となり、特別職に誰よりも早く抜擢される。しかし、天皇と呼ばれる会長が失権すると事態は一転し……。元NHKプロデューサー、今井彰さんの『ガラスの巨塔』は、組織に渦巻く野望と嫉妬を描ききった「問題小説」。その存在意義が問われている今こそ読みたい、本書の一部をご紹介します。

*  *  *

息をするのも惜しい。時間よ、止まってくれないか。

二十日はかかる仕事をたった五日間で、それも誇れるものに仕上げる。西は、呻きながら作業を続けていた。

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映像を何度も転がす時間はない。一発か二発で六十分の番組時間にしなければならない。編集マンの豊川はまだ二十代の若者だった。映像のインからアウトまで必要な部分を細かく指示を出す。映像素材の中からワンカットを手術室の医師のように慎重に切り取っては、思いのたけを込めてナレーションを書いた。西の目には強い活気が漲っていた。

俺みたいなディレクターの手足として、特集グループのエリートたちが働いている。おそらく一生に一回限りのことだろう。

高揚感があった。

時折、ディレクターたちが用件を伝え作業の進行状況を覗きに来たが、多くを語らずに消えてゆく。

真行寺は全く姿を見せなかった。皆が邪魔をしないよう、この編集室の作業を固唾を呑んで見守っている。ただ一人例外がデスクの黒原だった。日に二度、昼と夜に弁当を届けに来ては話し好きなのか、だべり始める。

「本当に嫌になっちゃうよ、真行寺部長ときたらまた和食弁当かと文句を言うんだぜ。俺も苦労しているんだぜ。ハンバーグ弁当にサンドイッチも入れているのに。西君は分からんだろうが、弁当選びにもセンスがいるんだよ」

一刻も早く出て行って欲しかったが、相槌代わりに西は尋ねた。

「真行寺部長はどこにいるんですか」

それきたとばかりに黒原が話し始めた。

「そりゃ、大変だよ。上層部のところを宣伝に飛び回っているさ。報道局がろくなものを出していないから、この番組があたれば、お上からの覚えもめでたいはずだ。出世に関わるから真行寺部長も必死だよ」

真行寺の名前を出したせいか、黒原は辺りを憚るように見回すと、腰を上げて西に囁いた。

「でもあの人は怖い人だから注意しないとね。君も大変だろうけど、まあ頑張りなさい」

黒原が持ってくる弁当に西はほとんど箸をつけていなかった。

腹が突き上げられる感覚で食欲が全く湧かない。放送日まで三日を切っている。丸二日間寝ていなかったが、背骨に杭を打たれたように、目だけ冴え渡っていた。

共に作業を続ける編集マン豊川に疲労の色が濃い。西は声をかけた。

「豊川ちゃん、少し寝ろよ。持たないぜ。連中が会社の前のホテルをずっと押さえているはずだ」

渋る豊川に重ねて言った。

「三時間後に起こす。寝なさい」

豊川が出て行き、編集室はがらんと殺風景になった。編集機と、コメント書き用の小さな机、試写と仮眠にも使うソファ、あとは壁にパイプ椅子が数脚立てかけてあるだけだ。ソファが曲者で、時に眠りに来いと誘う。

西はラッシュ(映像素材)をモニターに流し始めた。アメリカの田舎町が写っていた。その光景を見るたびにアメリカでの日々が蘇る。誰にも言っていなかったが、決して楽なロケではなかった。

ペンシルベニア州イーストロックヒル、ダーデン夫妻が暮らす町は、丘の上から見渡すと木立の間に家が点在する典型的なアメリカの田舎だった。町のあちこちには、監視塔を背にした男のシルエットが描かれた旗が立っていた。POW(プリズナー・オブ・ウォー)、戦争捕虜の無事を祈るものだった。人口三六〇〇人の小さな町は一人の男の帰還を待ちわびているようだった。

イーストロックヒルに着いて間もなく、西は戦争捕虜の家族を取材することが不可能だと悟り、愕然とした。アメリカ国防総省ペンタゴンは、ベトナム戦争で捕虜家族が情報戦や反戦活動に使われた苦い経験から徹底的な報道管制を敷いていたのである。

この時までにイラクの捕虜になった者は三十人あまり、メディアの取材から家族を隔離するために軍人が警護している家もあった。それ以外にも一切の取材に応じないよう、ペンタゴンは家族の元に定期的に確認の連絡を入れていた。CNNやABCなどの三大ネットワークでも取材出来ないものが東洋から来たちっぽけなクルーに撮影出来るはずはない。

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事実、夫妻の家を初めて訪ねたとき、西は門前払いを受けた。

翌日、西は黄色いリボンのついた花束を持って、再び夫妻の家を訪ねた。黄色いリボンはアメリカで兵士の無事を願う意味があると聞いたからだ。玄関口に花束と、思いを記した一通の手紙をそっと置いた。

私は日本から来たテレビ局の人間で西悟という者です。息子さんの今回のことを深く案じています。私は現在三十五歳、息子さんのジェームズと同じ歳です。私にも故郷にあなた方と同じように両親がおります。もし私が息子さんと同じ境遇になったら、両親は悩み苦しむと思います。

もちろん、今の私にはあなた方の本当の心の痛みは分からないと言われるかもしれません。しかし、その痛みを少しでも分けてもらえるなら一度会っていただけないでしょうか。決して、カメラを廻したりしません。日本に帰る前に会っていただけるだけでいいのです。

次の日、夫妻の家の扉が開いた。

父親のロバーツは大柄で彫りの深い顔をした老人だった。七十一歳になるという。息子の子供時代の写真を見せると申し訳なさそうに言った。

「取材に応じてはいけないと、軍からきつく言われているんだ。この写真で許してくれ」

礼を返すと、夫妻は西を小さな居間に招き入れた。夫妻としばし雑談にふけったが、捕虜にとられた息子の話は一切しなかった。

母親のジャックリーヌは沈痛な顔をしていた。ポーランド移民の娘で、この戦争が始まるまではプロレスが好きでテレビ観戦するのが趣味だったと語った。

「私は一度だけだけど、ニューヨークのマジソン・スクエアガーデンにプロレスの試合を見に行ったことがあるのよ、いい思い出だわ」

マジソン・スクエアガーデンはプロレス団体WWWFの試合が主催される場所だった。アメリカというお国柄か移民のレスラーに人気が集まった。

西も少年の頃プロレスに熱狂したことがあった。

「ブルーノ・サンマルチノのカナディアンバックブリーカーはすごかったですね。ペドロ・モラレスの連続ドロップキックも面白かったし。あと僕はビクター・リベラも気に入っていました」

西が名前を挙げたレスラーたちもイタリア系、メキシコ系にプエルトリコ出身のチャンピオン経験者だった。ポーランド移民の娘だったジャックリーヌも、そのレスラーたちが贔屓だったらしい。顔をほころばせて、喜んでくれた。

次の日また家を訪ねた。

雑談をしていると、ジャックリーヌが肩をかばう仕草を見せた。西が歩み寄り触ると、こぶのような農婦の肩だった。五十年近く農作業を続け、時折痛むという。西はその肩を、ゆっくりと揉み始めた。指先に神経を込め、凝りを溶かす。子供の頃祖父や親から小遣いをもらうため、マッサージをしたことを思い出した。ジャックリーヌが小さなため息を吐いた。

「あなたは本当にうまいわ、長い間の疲れが消えてゆく、まるで東洋のマジシャンね、毎日でも揉んでもらいたいわ」

家に閉じこもりきりの老夫婦の孤独の中に、自分が入り始めたのを西は感じていた。

その翌日、夫婦と雑談をし、ジャックリーヌの肩を揉んだ後、三人で庭に出た。枯葉が積もっていた。夫妻が枯葉を掃き始めたので、西も箒を手にして作業を手伝った。がさがさと枯葉の音を聞いたとき、西はふと思った。この光景なら撮影しても怒られないのではないだろうか。

車で待機していたカメラマンにシュート(撮影)してくれと告げた。

カメラマンは慌てて準備をすると、掃除をする夫婦の様子を廻し始めた。カメラに気づき、夫妻は少し切ない顔で西を見た。一瞬の沈黙があったが、何も言わなかった。

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