#4 夫婦がすがった「人身売買」…大人も泣ける山田悠介作品!
愛する息子・優を病気で亡くした泰史と冬美は、ある会社を訪れる。そこで行われているのは、子どものレンタルと売買。二人はリストの中に優そっくりの子どもを見つけ、迷わず購入を決めるが……。100万部を超えるベストセラー『リアル鬼ごっこ』をはじめ、若者から圧倒的な支持を受けている山田悠介作品。本書『レンタル・チルドレン』は、「大人も泣ける!」と評価の高いホラー小説です。その冒頭を特別に公開します。
* * *
泰史は首をかしげる。
「レンタル・チルドレン?」
「ああ。優を忘れろと言ってるんじゃない。ただ、子供の面倒を見れば、お前も冬美ちゃんも、少しは元気が出るんじゃないかと思ってな」
話の内容が全く把握できない。
「ちょっと待ってくれよ。何なんだい? その、レンタル・チルドレンって」
「俺も、知り合いから話を聞いただけだから、詳しくは知らないんだけどな。どうやら、捨てられた子供を集めて、一定期間、その子供たちをレンタルしている場所があるらしいんだ。それで、もしその子が気に入ったら、購入できる仕組みになっているらしい」
捨てられた子供を集めてレンタルしている? しかも、購入だって?
人間をモノ扱いしているではないか。そんな場所が、日本に存在するのか。信じられない。
「その知り合いが、実際に今、子供をレンタルしているんだよ。その人たちも、お前と同じように子供を亡くしてな。ずっと寂しい思いをしてきたんだ」
「そうなんだ……」
「どうやら、一年以上前から、その『P. I.(プレジャー・インビテーション)』という会社はレンタル制度を始めたそうなんだが……どうだ?」
「いきなりどうだって言われても」
興味がないわけではない。子供の面倒を見ることで、冬美が元に戻ってくれるのなら。
しかし、実際本当に? 闇の組織ではないのだろうか?
兄は、鞄から一枚のメモ用紙を取り出した。そこには、住所と電話番号が書かれてあった。
「一応、その会社の住所を渡しておく。とりあえず、見に行ってみたらどうだ?」
「あ、ああ……」
せっかくなので、泰史はメモを受け取り、ポケットにしまった。
「お待たせしました」
ウェイトレスがパスタを持ってやってきた。
「おおー、うまそうだな」
兄はフォークを手にした。が、泰史の目にはパスタは映っていなかった。
レンタル・チルドレン……。
本当にそんな会社が。
帰ったら、冬美に話してみるか。
4
この日の仕事を定時で終えた泰史は、七時半に自宅に着いた。
兄と別れてからも、ずっと例の話が頭から離れず、仕事に集中できなかった。気がついたら、会社を出ていたのだ。
家に着いたというのに、妙に緊張している。冬美は、どう思うだろうか。そう考えると、なかなか扉を開けられなかった。
「ただいま」
思いきってドアを開け、声をかけても返事はない。靴を脱いだ泰史はスリッパに履き替え、まず洗面所に向かった。
顔を洗い、スーツから楽な普段着に着替える。早速話してみようと、明かりのついている和室に向かった。
冬美は、ただ一点を見つめながらアイロンをかけていた。
「ただいま」
部屋に入ると、冬美はスーッと顔を上げた。
「お帰りなさい」
目にも、声にも力がない。
「アイロン……かけてたんだ」
分かりきっていることをついつい口にしてしまった。
「ええ……」
すぐに会話が途切れてしまう。
「あの……夕飯は?」
一言一言に気を遣う。自分たちは本当に夫婦なのだろうか。
「テーブルに」
「そう……ありがとう」
切り出すタイミングを失ってしまった。泰史はその場に立ち尽くす。冬美は、無言でアイロンがけの作業を進めていく。
「あのさ、今日ね、お昼に兄貴と会ったんだ」
「……正史さんに」
「ああ。いきなり呼び出されてさ、忙しいのに困ったよ」
泰史は、ハハハと空笑いする。それに対して、返事はない。
「なあ、冬美」
泰史の表情が、真剣なものに変わる。
「……はい」
「子供、欲しくないか?」
説明よりもまず、単刀直入に訊いてみた。すると冬美の顔に変化があった。微かだが、目がピクリと動いたのだ。
「実はさ、兄貴にこんな話を聞かされたんだ。一定期間、捨てられた子供を預かることのできる会社があるみたいでね。今、噂になってるらしいんだよ」
レンタル、という言葉は聞こえが悪いので言わなかった。
「いい機会だと思うんだ。冬美さえよければ、一度見に行ってみないか?」
「結構です」
即答だった。
「ど、どうして」
「私は、優以外、考えられません」
「分かってる。それは分かってるよ。でも、これ以上、今の君を見ていられないんだよ」
「どうしてです?」
「どうしてって……」
冬美の右手が、ピタッと止まった。
「私は、普通ですよ」
普通のはずはないだろう。泰史はその言葉を呑み込んだ。
「と、とにかく、預かる預からないは別として、見に行くだけ、行ってみないか?」
そう説得すると、冬美はしばらく考え、小さく首を縦に動かした。
「分かりました」
泰史は、ホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、今週の土曜に行こう。いいね?」
はい。冬美の声は、吹けば消えてしまいそうなくらい、小さかった。
泰史は頷き、和室を出たのだった……。
5
泰史はこの一週間、レンタル・チルドレンと頭の中で繰り返していた。半信半疑ではあるが、もしかしたら子供を借りることになるかもしれないと考えている自分がいた。少しの期間なら、試してみてもいいのではないかと。
十月八日。約束の土曜日を迎えた。いつもより少し遅めの八時に目を覚ました泰史は、九時には外出の準備を整えていた。
冬美は、リビングのソファにポツンと座っていた。白い厚手のワンピース。髪は、ただ垂らしているだけ。化粧もしていない。それに対して別に何かを言うつもりもない。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
泰史が着ている秋用の黒いポロシャツを見ても、全く反応はなかった。
優が生きていた頃、冬美に買ってもらった誕生日プレゼントだ。今年初めて着たのだが、まるで忘れてしまっているかのようだった。
「今日は、少し暖かいかもしれないね」
この日は雲ひとつない晴天だった。太陽の光が眩しい。こんなにも晴れたのは久々ではないか。
「……そうですね」
泰史と冬美はガレージに停めてある車に乗り込むと、エンジンをかけ、シートベルトを締めた。アクセルを踏む前に、兄から渡されたメモを取り出し、カーナビに住所を登録した。
東京都新宿区……。
番地まで入れると、ナビはすぐに地図を表示してくれた。大通りに面した場所にあるようだ。
内心、緊張している。
泰史は、開始ボタンを押した。あとは案内に従うだけだ。目的地まで、スムーズに行けば一時間もかからないようだ。泰史はハンドルを握り、アクセルを軽く踏んだ。
『三百メートル先、左方向です』
車内で発せられる声は、ナビの案内ボイスだけ。冬美はただ、外の景色を眺めていた。やはり無駄なのだろうか。泰史は今更そんなことを考えていた。
車を走らせてから二十分。246号線の用賀付近にやってきた。家を出て、未だに会話が一つもない。重苦しい沈黙に耐えきれず、とうとう泰史は口を開いた。
「いつ以来かな。二人で車に乗るなんてさ」
「ええ」
冬美は顔を外の景色に向けたままだ。
「どう? 久しぶりに乗ってみて。気持ちいいだろ?」
「そうですね」
全く感情はこもっていないが、彼女の中では気持ちが落ち着いているのかもしれない。
「子供のことは別として、気分転換にもなるし、たまには外出もいいもんだな」
子供という言葉で、優のことを思い出させてしまったか。冬美は口を閉じたままだった。結局、それが最後の会話となってしまった。泰史はただひたすら車を走らせるだけだった。
そして四十分後、『目的地周辺です』と、ナビが告げた。道の端に一旦車を停め、辺りを見渡してみる。しかし、P. I. という会社は見当たらない。すぐそばにコインパーキングがあるのでそこに駐車することにした。何しろ大通りだ。建物が多すぎて車の中からでは確認しづらい。歩いて探そうと、泰史は車を少し前進させて、パーキング内に入った。
エンジンを止めて車から降りた二人は、泰史を先に街中を歩いた。人が多すぎて進みにくいが、泰史の目には他人など映っていない。メモ用紙とにらめっこしながらP. I. という会社名を探す。
二百メートル、いやそんなに距離はなかったろう。
「あれだ」
やはりナビが正しかった。ようやくP. I. と書かれた建物を発見した。
「冬美。あそこだよ」
指差して教えてやると、たいした反応はないが、一応目では追っている。泰史は無意識のうちに歩調を速めていた。
なにやら裏組織ではないかと思ったりもしたが、堂々たる構えだ。ただ、子供を貸し出しているという案内も何もない。会社名も、それとは全く関係ない。知らない人間は、ここがどのような事業を行っている会社なのか、見当もつかないだろう。
泰史は、一歩が踏み出せなかった。白を基調とした三階建ての建物で、ホテルのロビーをイメージさせるほど内装も綺麗だ。
こんな場所で、実際に子供をレンタルしているのか? 到底そうは思えないのだが。
自動ドアの先には受付嬢が座っていた。彼女もこちらに気づいている。
「入ってみようか」
泰史は、オドオドしながら自動ドアをくぐった。冬美も続く。制服を着た受付嬢が立ち上がり、挨拶してきた。
「いらっしゃいませ」
「ど、どうも」
「ご来店ありがとうございます。今日は、初めてでしょうか?」
簡単な返答にも緊張する。
「は、はい。そうなんです」
受付嬢は、笑顔で応対する。
「かしこまりました。それでは担当の者をお呼びいたします。そちらのソファにお掛けになって、この用紙にお名前とご住所をお書きください」
「分かりました」
泰史は用紙を受け取り、ソファに腰掛けた。
空欄を埋めたところで、辺りを見渡してみる。特別何かがあるわけではない。ごく一般的な受付ロビーだ。
どうも落ち着かない。冬美はただ下を向いている。全く興味を示していないようだ。
とりあえず話を聞いて、それでも冬美が〈NO〉なら帰るつもりだった。