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年賀状、お中元、お墓参り…やめると人生はもっとラクになる

『人は死なない』『おかげさまで生きる』などのベストセラーで知られる、元東大教授で医師の矢作直樹さん。臨死体験や「あの世」の存在、日本の伝統文化の大切さなどを積極的に発信してきた方ですが、最新刊『「ねばならない」を捨てて生きる』は「ウィズコロナ時代をどう生きるか」がテーマ。あふれかえるモノ、人間関係、健康情報、虚礼などを捨て、よりシンプルに生きるヒントが満載の本書より、一部を抜粋してお届けします。

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なんとなくフェードアウトでいい

年賀状も暑中見舞いもお中元もお歳暮も、出す必要性を感じません。

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暴言でしょうか? 伝統的な挨拶だからやるべき──、国民の義務だと思う方はそういわれるかもしれませんが、私は出す必要を感じないという話です。

年賀状についていえば、出さなくなってもう五年になります。

その前から前年にいただいた方に出す方式を採っていましたが、三〇〇〇通を超える年賀状を毎年いただく上に、エクセルでのリスト作成、毎年のように発生する名簿の入れ替え、変更点のチェックと修正作業が大変だったため、徐々に返事を出す数が減り、ついに出さなくなりました。

後ろめたい気持ちはありました。年賀状を出さないことに対してではなく「ちゃんと区切りをつけず、なんとなくやめてしまった」ことに対してです。

でもある日、その話を知人に打ち明けたら「五年も出していないのだから今さらご挨拶を出すのは変だ」と笑われました。彼いわく、こちらが五年出していないのに年賀状をくれる人はその人の都合で出しているのだから、一切気にしなくていいのだと。ちなみに彼は周囲に年賀状をやめる宣言をして私より前にやめましたが、それでも毎年、少しだけ受け取るそうです。

暴言ついでにいうと、年賀状を一切やめてから快適です。

習慣的に年賀状をやりとりしている人が大半でしたから、知らないうちに私の中で巨大化したひっかかりが一気に解消された感じです。

せっかく本書執筆の機会をいただいたので、ここで宣言します。

不肖、矢作直樹。年賀状をやめました。これまでいただいた皆様、心から感謝を申し上げます。私の動向や連絡についてはSNS(公式ホームページ、フェイスブック、ツイッター)をご覧ください。宜しくお願いします。

お墓参りはしたいときにする

ご先祖様を怖れるのもやめましょう。

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宗教行事に執着しない、こだわらないと先述しましたが、これはその延長線上にある考え方です。とくに日本人は伝統的に畏怖心が強い。

ご先祖様への感謝と同時に心のどこかで怖れている人もいるでしょう。自分はちゃんと供養できているのかという不安、怒られないかという心配。まじめに先祖供養を行なう方々ほど、そういった恐れを持つ傾向があります。

お墓参りをしないといけない、法要を行なわないといけない。「ねばならない」という気持ちが強いほど自分を追い込み、やがてはストレスに変わります。本来は苦しみを消す立場なのに、逆に促進してしまうのが宗教かもしれません。

よく耳にするのが法事や法要の料金。一般人がわからないからと結構なお金を頻繁に取ろうとするお寺も多く「金額が少ないとご先祖様が悲しみますよ」などと平気で口にする宗教者もいます。人の道を説く資格はありませんね。

中には終活の墓終いで数百万もの離檀料を要求されたケースもあります。そんなことをするから宗教からどんどん人が離れるのがわからないのでしょうか。

まじめな読者にお伝えします。

お墓参りも法事も自分がやれる範囲でやればいい。お参りはしたいときにすればいいし、できなくてもいい。宗教法人が文句をいうなら離檀すればいい。今は離檀専門の業者が多くあります(お寺と一切会わずに安く手続きできる)。

お寺がうるさいから、あの世がうるさいから、そう考えるのもやめる。

お寺がうるさいのは自分たちの収入を増やすため。あの世はそもそもうるさくありません。宗教とは人間が作った癒しの仕組み。この世限りの演出です。

くれぐれも距離感を誤らないこと。適度に距離をとり、執着しないことです。


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