#5 「なぜ死にかけている人に薬を与えるの?」…マザー・テレサの答えとは
国民的ベストセラーとして一世を風靡した『置かれた場所で咲きなさい』。著者の渡辺和子さんが逝去された現在も、幅広い読者に読み継がれています。しかし、この作品に「続編」があることを、みなさんはご存じでしょうか? 『面倒だから、しよう』は前作で語りきれなかった、より深いメッセージが詰まった「隠れた名作」。そんな本書から、中身を少しだけご紹介しましょう。
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「私はこれからも与え続ける」
一九八四年にマザー・テレサは日本を訪問され、私は通訳をさせていただきました。その時のことです。マザーのお話の後、一人の男性が質問をなさいました。
「私はマザーを非常に尊敬しています。しかし一つ、わからないことがあります。なぜ少ない薬や十分とはいえない人手を、手当てしても死んでしまうに違いない危篤の人たちに与えるのですか」と。その男性は暗に、無駄ではないですか、とおっしゃりたかったのでしょう。
マザーの診療所は本当に貧しく、わずかな薬しかありません。そして世界中から集まったボランティアの方々が懸命に働いていますが、それでも世話をしきれないほどたくさんの貧しい人、病気の人、死にかけた人たちがいます。
ですから男性の質問は、ある意味で当を得た質問で、私も通訳をしながら本当にそうだと思いました。どうお答えになるかと思っていたら、マザーは毅然として「私はこれからも与え続けます」とおっしゃいました。
カルカッタに「死を待つ人の家」と呼ばれるマザーの施設があります。路上などで死にかけている貧しい人たちが安らかに死を迎えるための場所です。
そこにいる人たちは、ほとんどが望まれずに生まれた人たちで、人々から邪魔にされ、ついには、自分は生きていても生きていなくても同じだ、むしろ生きていないほうが世のためではなかろうか、神や仏も助けてはくれなかった、そういう思いを抱いた人たちです。
それが「死を待つ人の家」では、生まれてから飲んだことのない薬を飲ませてもらい、受けたことのない温かい人手をかけてもらう。また、名前や宗教を尋ねられ、一人の人間として認めてもらうのです。
「効率」よりも大切なこと
看護の「看」という字は「手」と「目」と書きます。お薬などももちろん大事ですが、看護の原点は温かい手とまなざしであり、そのぬくもりにより人の心は癒され、満たされるのです。
「投薬や温かい手とまなざしの看護を施すと、ほとんどの人が“ありがとう(Thank you)”といって亡くなります。親や世間を恨み、神や仏はいないと思いながら亡くなってもおかしくない人たちが、死の間際に感謝するのです。そのために使われる薬や人手ほど尊いものはありません」とマザーはおっしゃいました。
私たちはとかく、効率的・合理的に考えようとしますが、私は通訳をしながら、自分も大事なことを忘れていたと思いました。
マザーは「死にゆく人たちの最期のまなざしを、私はいつも心にとどめています。そしてこの世で見捨てられた人々が、最期の大切な瞬間に、愛されたと感じながらこの世を去ることができるためになら、何でもしたいと思っています」ともおっしゃっています。すばらしい言葉であり、尊いお気持ちです。
マザーは世界中を飛び回っていましたが、どこにいても心の中には常に貧しい人、病気の人、そして死にゆく人たちへの最期のまなざしがありました。私にはできないことです。その人たちが一生を終える大事な時に、自分は愛された、人間として扱ってもらったと感じてこそ、「ありがとう」という言葉が出るのです。
マザーは、「ほほえみさえ浮かべる人がいるんですよ。それは本当に美しいことです(It is so beautiful)」と、おっしゃいました。お化粧などの表面的な「美」ではなく、辛かった人生を水に流し、感謝の言葉とほほえみとともに死んでゆく、それを「美しい」とおっしゃったのです。
マザーのお仕事は、憐れみをかけることではなく、一人ひとりが人間の尊厳のうちに、生き、かつ死ぬことができるようにという願いの発露でした。