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#3 伝説のシスターが教える「好き」と「愛する」の違いとは?
国民的ベストセラーとして一世を風靡した『置かれた場所で咲きなさい』。著者の渡辺和子さんが逝去された現在も、幅広い読者に読み継がれています。しかし、この作品に「続編」があることを、みなさんはご存じでしょうか? 『面倒だから、しよう』は前作で語りきれなかった、より深いメッセージが詰まった「隠れた名作」。そんな本書から、中身を少しだけご紹介しましょう。
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相手の価値に「惹かれていく」
私が教えている大学には、児童学科があります。その学科の学生たちに、なぜその学科を選んだかと尋ねますと、「子どもが好きだから」と答えます。
それに対して私は、「それも結構です。けれども、好きだけでは子どもたちと接することはできません。好きだけでなくて愛してください」と話します。私たちは、「好き」と「愛する」の違いを知らないといけないのです。
愛するということは、対象の価値に惹かれていくということです。例えば、暑い時は日陰に惹かれ、寒い時は日向に惹かれていくように、自然に惹かれていくもの。誰かを愛するということは、その人に魅力を見つけて、それに惹かれていく。つまり、相手の価値を知ってそこに惹かれていくことなのです。
私にも、食べ物の好き嫌いはあります。私はピーマンが好きではありませんが、他の修道女たちの中には、ピーマンが大好きな方もいます。ピーマンは色とりどりで栄養価も高く、その割に安価というように、さまざまな価値があります。私には、その価値を否定する権利はありません。
それと同じことが、人間関係でもいえます。どうしても肌が合わない人がいます。しかしながら、もしそうだとしてもその人の存在価値を否定することは許されないのです。嫌いな相手でも大切にする、否定しない、価値を認めることをやめてはいけないのです。
「本当の愛」とは何か?
もう一つ、愛について間違えがちなことがあります。学生が「シスター、私の彼はとても優しいんです」と私にいいますので、「どう優しいの」と聞くと、「携帯で連絡すれば、どこでも迎えに来てくれるし、欲しいというと、大抵のものは買ってくれる」。
しかし一人に優しくて、他の人に冷淡だとすれば、それは本当の優しさではありません。そんな優しさは愛と呼べないのです。自分の好きなものだけを愛するのであれば、それは自己愛です。
本当の愛は、全世界とのかかわりとしての愛です。マザー・テレサはとてもいいお手本を示してくださいました。何の報いも見返りも求めず、人々が見捨てておく孤児、ホームレス、人々が嫌がる病人、貧しい人々に愛を注がれました。そうした愛が心の中に育っていくことが大事だと思います。
本当に愛と呼ばれるものは厳しいものです。ドイツの社会心理学者であるエーリッヒ・フロムは、「愛というものは、単なる情熱ではない。それは一つの決意であり、判断であり、約束である」と述べています。
私は相手の何を愛しているのか、私の何が愛されているのか、それがなくなった時も相手を愛し続けることができるのか、という醒めた眼で客観的に判断する。そのうえで忘れてはいけないのが温かい心、相手を許す心なのです。