赤いかんざしの秘密…祖母の過去をたどる感動の物語 #2 金継ぎの家
高校生の真緒と暮らす祖母・千絵の仕事は、割れた器を修復する「金継ぎ」。進路に悩みながらも手伝いを始めた真緒はある日、漆のかんざしを見つける。それを目にした千絵の困惑と、故郷への思い。夏休み、二人は千絵の記憶をたどる旅に出る……。ほしおさなえさんの『金継ぎの家 あたたかなしずくたち』は、癒えない傷をつなぐ感動の物語。その始まりを抜粋してお届けします。
* * *
本多通りをぶらぶら歩く。知らない骨董品店を見つけ、ふらっとはいった。雑貨店のようなモダンな造りで、置かれている品も手に取りやすい価格の小物が多かった。
棚をながめていたとき、隅に置かれた小さな漆器に目が留まった。木目が透けた香合だ。
これは、飛驒春慶……?
飛驒春慶とは飛驒高山のあたりで作られている漆器だ。木目を見せることが主なので、箔絵や蒔絵、螺鈿などの加飾をほどこすことはない。つるつるに仕上げた木地に何度も透き漆を塗り、磨き、塗り、磨き、とくりかえす。漆の力で表面に琥珀のような艶が宿り、木目がさらに浮きあがる。
母が高山の生まれで、飛驒春慶の塗師の家系だったのだ。家に漆があったから、曽祖母はよく人に頼まれて器を繕っていて、母はそれを手伝ううちに繕いを覚えたらしい。高山の家から受け継いだものもあり、大森の実家にはいくつも飛驒春慶の器があった。
だが、飛驒春慶は岐阜県のものだ。石川県には輪島塗や山中塗など有名な漆器が多い。棚に置かれたほかの漆器はおそらく輪島塗か山中塗で、黒や朱のもの、蒔絵や沈金などの細工がほどこされているものばかり。透けた艶を持つのはこの香合だけ。輪島塗や山中塗にも透き漆を使うものがあるのかもしれない。
それに、赤いのも気になった。うちにある飛驒春慶は木そのものに近い黄金色のものばかりだ。やはり別の産地のものなのだろうか。
店の人に訊くと、飛驒春慶と言っていいだろう、と言う。飛驒春慶は黄金色の艶を持つものが主流だが、ときどき赤いものがあって、紅春慶と呼ばれるのだそうだ。ただし、この器は飛驒高山産ではないらしい。
金沢の茶道家の持ち物だったが、その人が亡くなって家族が手放した。家族の話によれば、その器は以前高山にいた塗師がよそで作ったものらしい。茶道家はその塗師の器を気に入って、いくつも持っていたのだそうだ。
だから、技法的には飛驒春慶なんですが、産地は別なんですよ、と店の人は言った。
なぜかどうしようもなくその赤に引きつけられた。茶道をするわけでもなし、香を焚くこともないが、ただ飾っておくだけでもうつくしい。少し高いが、買っていくことにした。外で夕食をとり、数日分の食料品の買い物をすませて帰宅。暗い部屋に電気をつけ、買ってきたものを冷蔵庫に入れる。
外で夕食をとり、数日分の食料品の買い物をすませて帰宅。暗い部屋に電気をつけ、買ってきたものを冷蔵庫に入れる。
いつも大勢の人に囲まれる職場にいて、そのことを苦に思ったことはないのだが、ひとりきりで過ごす時間も悪くない。ふだんは見ることのない自分の内面に目を向け、気持ちを整理できた気がした。
だが、それも今日一日だけのこと。明日からはまたしばらく休みがない。
そういえば、真緒は明日が終業式だったはず。ダイニングの椅子に腰かけ、家に電話をかけた。
電話には母が出た。母も真緒も元気にしているみたいだ。金継ぎもあいかわらず繁盛しているようで、お客さんの話をあれこれ聞いたあと、真緒に代わってもらった。
真緒も春休みが終われば高校二年生。そろそろ進路のことを真剣に考えなければならない。さりげなく訊いてみたが、まだなにも決まっていないみたいだ。真緒は素直だが、少々呑気で、がむしゃらなところがない。そこも心配なところだ。
試験の結果を聞くかぎり、英語は苦手なままのようで、今学期の成績もあまり期待できない。とにかく、明日成績表をもらったら、写真を撮って送ってね、と言うと、ええー、と小さく叫んだあと、わかった、としぶしぶのように言った。
あんな調子で大丈夫なんだろうか。春休みやゴールデンウィークは休みを取るのがむずかしいけど、平日に二連休を取って、一度東京に戻らないと。母に話しても、真緒の人生なんだから、お前が焦ってもしょうがないよ、と言うんだろうけど。
ため息をつきながらお湯を沸かし、お茶を淹れた。カバンからさっき買った香合を取り出す。
きれいだな。
なめらかな手ざわり。透けた木目。つややかな赤。なぜかその赤に見覚えがある気がした。どこで見たのだろう。家にある春慶の器はみな黄金色なのに。
――返しなさい。
母の厳しい声が耳奥によみがえり、はっと香合を見直した。この赤。
そうだ、うちにもひとつだけ赤い春慶があったんだ。
あれは高校一年か二年のとき。裁縫道具を探していて、いつもは開けたことのない母の簞笥の引き出しを勝手に開けた。探しているうちに小さく薄い箱を見つけ、なんだろうと思って開くと、なかにかんざしがはいっていた。
木でできた素朴な形。赤く血のような色合いだった。見た瞬間、惹きつけられ、目を離せなくなった。
なんてきれいなんだろう。
思わず手に取り、ぼうっとなでた。つややかで、なめらかで、うつくしい。だが、その底になにか激しいものが秘められている気がして、どきどきした。
――なにしてるの。
そのときうしろから声がした。母だった。
――あ、ごめんなさい。裁縫道具を探していて……。
そう言いかけたが、わたしの手のなかのかんざしを見て、母の顔色が変わった。
――返しなさい。
母がすっと手を出す。表情が険しく、口答えは許されない雰囲気だった。わたしは仕方なくかんざしと箱を差し出した。母は黙って受け取り、かんざしを箱にしまった。
――ごめんなさい、ただ、なにかな、と思って。それ、すごくきれいで……。
――二度と引き出しにさわらないで。
母はわたしの言い訳を無視してそう言った。
――人のものに勝手にさわるのは良くないことでしょう。
有無を言わせない口調だった。母は無言で箱におさめたかんざしを引き出しの奥にしまった。それがなんなのか訊くことなどできなかった。
以来、その引き出しを開けたことはない。家に母がいなくても、あのときの顔を思い出すと、とても見る気にはなれなかった。
あのころの母はいつも張り詰めていた。わたしは父と母がうまくいっていないと気づいていた。父は単身赴任中で家にいることは少なかったし、ケンカしているところを見たわけではない。だがたまに帰ってくる父に対する母の態度はぎこちなく不自然だった。
ある日、夜中に目が覚めて、母が台所でひとりで泣いているのを見てしまった。母のつぶやきから父にほかに女性がいるのかもしれない、と思った。足元がぐらぐらして、どこかに落ちてしまいそうだった。
それから、母の暗い表情を見るたびに、わたしの心も凍えた。うちが壊れてしまうのではないかと不安でならなかった。だが、だれにも相談できない。兄たちは両親のことには無頓着だし、母本人に話すわけにもいかなかった。
だが、結局なにも起こらなかった。わたしが大学にあがるころ父は単身赴任から戻り、なにごともなかったかのように暮らしはじめた。だからわたしもそのことを蒸し返そうとは思わなかった。
あの赤いかんざしはなんだったのだろう。あのとき母はなぜあんなに怒ったんだろう。
考えてみると、わたしは母のことをなにも知らない気がする。母はいつも人の話を聞くばかりで、若いころのことも、父とのことも、なにも話したことがない。
指先にあのかんざしのなめらかな感触がよみがえり、つややかな赤い色を思った。
第一章 金継ぎの部屋
1
終業式が終わり、同じクラスの朋子といっしょに学校を出た。
「もう高二かあ。早いなあ。来年は高三なんて信じられない」
朋子がぼやく。
駅までの道はぽかぽかとあたたかく、晴れているけれど、空は少し白く霞んでいる。舗道にできる影を見ているとなんだか眠くなってくる。
朋子の言う通りだ。自分が高二なんて信じられない。中高一貫の学校で、もう四年間が終わってしまったことになる。一日一日は長いのに、ふりかえってみるとなぜか短い。
「こんなんだったら、高校生活なんてすぐ終わっちゃうよお」
朋子がおおげさに嘆く。笑いながらなだめたけれど、わたしもちょっと怖くなった。来年は高三。大学受験? 進路もなにも決めてないのに?
駅から私鉄に乗る。昼の時間帯だから電車はがらがらで、ならんで座ることができた。
「進路、どうする?」
朋子が訊いてくる。
「朋子は推薦希望だったよね?」
「そうだけど……。でもなんか、だんだんわからなくなってきた。わたし、なにがやりたいんだろう」
前かがみになり、膝に肘をついて頭を抱える。
「そうかあ。わたしも全然わかんない。いまのまんま、ふつうに生きていければ、それでいいんだけどなあ」
天井を見ながらぼそっとつぶやく。つり革がぶらぶら揺れている。
「そりゃ、そうできるならそれがいいに決まってるじゃん! でもやっぱ、大学出たらお金自分で稼がないといけないわけじゃない? できる自信、全然ないけど」
朋子がはははっ、と笑う。
「そうだねえ」
まったくだ、と思いながらうなずく。こんな調子でいいわけがない。クラスのなかにはもう志望校をしっかり決めている子もいるんだ。
「ま、おたがい頑張ろう」
乗換駅でそう言い合って、別れた。
◇ ◇ ◇