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#4 シスター渡辺和子さん語る「老いは神さまからの贈りものです」

今いるところが、あなたの居場所。そこで根を伸ばし、大きく、美しい花を咲かせなさい……。多くの読者に感動を与えた国民的ベストセラー、『置かれた場所で咲きなさい』。刊行から8年がたち、故・渡辺和子さんのメッセージがふたたび光を放ち始めています。心迷いがちなこのご時世、今こそ読み返したい本書から、胸に響く言葉をご紹介します。

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歳を取るのがイヤな人へ

誰しも歳は取りたくないと思いがちですが、ある時、次のような言葉に出合いました。「私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから」

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この言葉に出合って以来、私の心には、「財産となるような歳を取りたい」という思いが芽生えました。そして、自分らしく生きるということ、時間を大切に過ごし、自分を成長させていかなければならないのだということに、改めて気付かされたのです。

肉体的成長は終わっていても、人間的成長はいつまでも可能であり、すべきことなのです。その際の成長とは、伸びてゆくよりも熟してゆくこと、成熟を意味するのだといってもよいかもしれません。

不要な枝葉を切り落とし、身軽になること、意地や執着を捨ててすなおになること、他人の言葉に耳を傾けて謙虚になることなどが「成熟」の大切な特長でしょう。

世の中が決して自分の思い通りにならないこと、人間一人ひとりは異なっていて、お互い同士を受け入れ許し合うことの必要性も、歳を重ねる間に学びます。

そして、これらすべての中に働く神の愛に気付き、喜びと祈りと感謝を忘れずに生きることができたとしたら、それは、まぎれもなく「成長」したことになり、財産となる歳を取ったことになるのです。

成長も成熟も、痛みを伴います。自分と戦い、自我に死ぬことを求めるからです。一粒の麦と同じく、地に落ちて死んだ時にのみ、そこから新しい生命が生まれ、自らも、その生命の中に生き続けるのです。

「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ」

財産として残る日々を過ごしたいと思います。

老いをどう受け入れるか?

今まであまり意識しなかったもので、このところ、いやでも意識せざるを得ないのは、「老い」ということです。

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いまだに教壇に立ち、管理職もさせていただいてはいますが、八十五歳になって、しみじみ思うのは、「若い時には何でもなくできていたことが、できなくなった」ということです。

イエスが、ご復活後、ペトロに仰せになった言葉が身に沁みます。「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、歳を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められて、行きたくないところへ連れて行かれる

本当にそうです。かがんで自分の靴の紐を結ぶことがむずかしくなったり、階段を前にして、ついエレベーターやエスカレーターを探したりしている自分に気が付きます。とにかく、思うままにならなくなっているのです。

若い時には、時間さえあれば、あれもしよう、これもしたいと考えていたのに、時間があっても、する気にならない自分に気付き、「老い」を意識させられます。八十五年も使ったのですから、部品が傷むのは当たり前と、頭ではわかっていても、ふがいない自分を受け入れるのは、易しいことではありません

上智大学の学長を務められたホイヴェルス神父は「最上のわざ」という詩の中で、老いについて、「人のために働くよりも、謙虚に人に世話になり……まことのふるさとに行くために。自分をこの世につなぐ鎖を少しずつ外してゆくこと」と書いておられます。かくて「老い」を意識する時、人は柔和で謙虚にならないといけないのです。

「老いは神の賜物」といい切れる自分にはまだ到達していませんが、いつか、そのように意識できる自分になりたいと願っています。


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