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苦しみの原因を「私」の外側に置くことは、癒されないという確証を得ようとすること

あなたのために過去についてのあなたの心を変えることができる聖霊に、 過去を預けなさい。しかしその前 にまず、あなたは自分が過去に何を表象 させてきたのか、そしてなぜそうしたのかを、充分に理解しなければなら ない。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.763). 中央アート出版社. Kindle 版.

私は、私の苦しみの原因を私の外側に置くことで、それが癒されないという確証を得ようとした。しかし、過去は既に過ぎ去っており、過ぎ去っているからこそ、それは無であり、幻想である。幻想は存在せず、よって真の癒しはそこでは達成され得ない。

私は、過去を利用して、過去に罪があると信じることで、癒されることが不可能な、罪深き神の子を表象させてきた。ひとえに、私は解放されたくないからだ。そう、私はきっと許されたくも、解放されたくもないのだ。分離を手放さず、特別な存在として生き続けたいのだ。

だが、私はこれを訂正したい。自我が導く先に、狂っていない世界などなく、私はそれを再三と見せつけられてきた。自我の言う事に、今更信を置く事なんてどうしてできようか。

原因は私の外側にはない。それは私の内側にある。

私が理解しているのは、これだけである。私が理解すべきなのも、これだけである。これ以上私はには何が理解でき、理解できていないかを判断しない。それは、私のではなく、聖霊の中に保たれているからである。探す必要もない、なぜなら探すという行為は過去を信じることだからである。

「探しなさい。されど見つけるなかれ」

自我のこの囁きに、何度過ちを繰り返してきたか。
もういい。もう探さない。見つけたいからこそ、探さない。
既に与えられているからこそ、探さない。信じて、受け容れるだけでいい。

そうですよね、キリスト。

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