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受験勉強について

受験勉強といってなにも気負う必要はないと思う。1日サボったからといって自己嫌悪に陥る必要もない。それで不合格になったからといって、その無駄にした日々に思いを巡らすだろうか。いや、懸命にペンを走らせて余すところなくその1日を完走し切ったという日々を真っ先に思い出して、不合格者は泣くのである。

仮に1日サボるとする。それじゃあそのまま明日もサボり、明後日もサボろうかなどと出来る方が逆に凄い。むしろそういう度胸のほうが受験勉強に必要だったりする。常人の苦痛は努力の結果が芳しくない時よりも、一日を怠惰に過ごした時の方が強烈で、それを平然と耐えれるものは、たとえ模試などの結果が悪くても、明日には自分のペースを乱さないまま勉強を開始出来るということになる。

逆に、サボる経験のない者は、メンタルもかなり未熟であろうし、浮き沈みの激しい過酷な受験期を味わうことだろう。

僕の同級生の例をあげよう。

N君とK君は同じ文系難関国立大を目指していた。学部は違えど、ほぼ同じ難易度だった。加えていうなら、2人とも高3の4月の学力は大体一緒だった。(2人はまったく仲良くないので、ここで僕が勝手に比較して、そんなプライベートまであけすけにするのはちょっと申し訳ないけど)

N君は受験の天王山である8月でも普通にサボっていた。僕とよくカラオケに行ったりサイゼでぺちゃくちゃ喋ったりそこで申し訳程度の勉強をしたり……本当に受験生なのかというほど彼は受験についての話をしなかった。学校の授業ではまったく内職せず、休み時間は散歩と称してよく違う棟のトイレまで僕を連れ出したりした。そんな調子であっても、彼はやる時はやる男だったので、ぎりぎりではあったもののちゃんと合格した。

K君はかなりコン詰めて勉強していた。内職についても休み時間の過ごし方についてもまったくN君と逆である。しかも朝5時に起きて、夜11時に寝る。多分休日なら13時間、平日でも普通に10時間は勉強していたと思う。そして模試の結果をよく僕に見せてくれて、これが上がり、これが下がって、これはまあ順当だな、ああでもこれは!と絵に書いたような一喜一憂も同時に見せてくれた。彼の努力は凄まじいものだった。使いすぎて古雑巾みたいにべらべらで色の禿げおちた単語帳を見た時は鳥肌が立った。それに対して僕の綺麗な単語帳……。

K君も受かった。正直、K君が落ちていたとしたら、受験戦争というものが破綻しているも同然である。

結果としてN君もK君も受かったわけだけど、僕が思ったのは、受験勉強に対する姿勢など本当に自由でいいということだ。

気楽にやれば落ちるということは絶対ないと思う。これは日本人の戦前教育がまだ根付いている証拠ではないだろうか。無理をして頑張れば必ず勝つと思っている。しかし結果として日本人は死ぬ気で戦争をしたのに敗北した。それに現代の観点で見れば、やたらと残業を強いる風潮があるくせに、一向に経済は豊かになっていないではないか。

なにも僕はK君を蔑んでいるわけではない。しかし、肉体を極限まで切り詰めるのはよろしくない。例えば睡眠不足であったり、栄養不足であったりするのは。

しかしその受かった時の2人の爽やかな顔は今でも忘れられない。K君はもちろん号泣していたけれど、N君まで泣いていたのには驚いた。

頑張れば何でも良い。N君でもK君でも最後まで受験勉強を頑張ったという確固たる事実は既に充分価値のあるものなのだ。綺麗事に思うかもしれないが、恐らく世の中には1年間も頑張れない人の方が多い。

ただやっぱり受験勉強は元気にのびのびと挑んだ方が良い。K君の受験期間は本当に見るに耐えなかった。まだ高3の若造のくせしてそんな無理などしなくていいのだ。自分にとって良い方だけを取り続けるべきだ。そして自分にとって最良なこととは健康であることだと思う。

まだ僕は若いけど少し真理に近付けそうな気がする。人間は植物のように日光の当たる方へとただ貪欲に伸びていくだけで充分幸せになれる。だから1度ペンを休めて散歩してみてはどうだろうか。

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