今週の私 4/10-4/16 寄る年波
その昔、平均寿命が50年という時代があったらしい
今年で48歳になった私が、その時代に生きていればどう思ったろうか
現代の平均寿命はそこからさらに30年近く伸びているらしい
まだそんなに生きなければいけないのか、、、というのが正直な感想である
30歳、40歳を過ぎて、少しずつ老いというものを実感し始めてはいたが、今年は何だか一気に年を取った気がしている
先月末に引いた風邪はなかなか治まらず、弱っているところに週替わりで別のアクシデントが起きる
今は腰痛のターンである
今日は馴染みの整骨院に行って来たが、劇的に改善されたわけでもなく、しばらくは続きそうな気配がある
来週は別のトラブルで泌尿器科を受診することになっていて、診断結果によるが新たな通院が始まる可能性は十分にある
いったいいつになったら全快するのだろうか、とため息も出る
明らかに疲れやすく、そして、回復はしづらくなってきている
今の年齢でこの有様
年を重ねれば、この頻度も増え、一つのターンも長くなるのだろうと思う
平日は仕事に明け暮れ、休日は医者に通う
仕事だっていつまでもやっていけるものではない
若い世代が入ってくる
その度に私は追い出される側にスライドする
このご時世、定年までいられれば御の字であろう
給料が減ったとて再雇用してもらえるのならば上々だ
リストラにあう可能性だって十分にある
この年で転職などまだ出来るものなのか
出来たとしても収入は激減するのだろう
長生きをして幸せになれるのは、健康体であり、なおかつ金銭的な余裕がある事が条件なのだ、とつくづく思う
そのどちらも持てそうにない私には、長生きの権利などただただ残酷でしかない
どうにも明るい未来をイメージできない
そこまでして生きる事に何の意味があるんだろうかと思う
私には特に「これをやらずには死ねない」という事はない
強いて言えば「明日、私は誰かのカノジョ」の最終話は見届けたい思いはあるが、そう遠くないうちに実現しそうなので、実質、無いに等しい
家族が存命である以上、自ら旅立つ選択をするつもりはないが、迎えを拒む気持ちは余りない
であれば、思う存分、不健康に生きれば良いものだけれど、いざ、不健康に見舞われると、健康でありたいと思ってしまう
誰もがそうだとは思うが、いざ旅立つときには、痛く、苦しくない方が良い
もしくはその時間が極限に短くあって欲しい
だから生きている間は健康でありたいと思う
けれど、健康であればあるほど、迎えは遠のいてゆく
人間ってやつは、、、
そう思う
結局のところ、人生などと言うものは、自分でどうにかなるものではない
ただひたすらに流されてゆくほかはない
最近、読んだ小説でこんなセリフがあった
『誰でも人生の初心者』
そうか、と思った
世の中に溢れる成功談、失敗談
勝ち組、負け組
流される者、抗う者
それは誰かの物語であって、私の物語ではない
誰かになる必要はない
比べるからこそ辛くなる
私は私であれば良い
私の物語を書けるのは
私しかいないのだから
進むも地獄、引くも地獄
それを極楽に変えられるのは
世界で私だけなのだ
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