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今週の私 4/23-29「経済、回しましょう」

通院がようやく終わった
とは言っても完治したわけではない
むしろ治療は始まったばかりだが、投薬期間が長いため、次回の通院までは数週間が開くというだけの話である

とは言え、ここしばらくは毎週どこかしらの病院に行っていたので、丸一日、自分の自由に出来る休日がようやく訪れるのだと思うと、心も少しは軽くなる

どこにも出かけていないのに、なぜか自宅には服やら靴やらが増えている
毎日のようにセールのメールが届き、つい見てしまう
着るものも、履くものも充分すぎるほどあるが、それでも買う

私の悪い癖である事は承知している
靴は分からないが洋服は間違いなく全身UNIQLOで事足りる
にもかかわらず、UNIQLOの数倍の金額の洋服をUNIQLOとの違いもよく分からないまま買っている

しかも春夏物と言うよりも春物を買っている
1年で1番出番のない、そして、汎用性のない種類だと思う
買ってはみたものの、着ないまま夏を迎えるものもあるかもしれない

典型的な無駄遣いだが抑えられない
身に纏うものを変える
ある種の変身を果たすことで、今の自分を変えたい、今の境遇から抜け出したいという気持ちのあらわれなのかもしれないと思ったりもする

これまでに費やした無駄遣いの金額を積み重ねたらどれだけの貯金が出来ていただろうか?
老後に対する怯えも、今よりは少なかったんじゃないだろうか?
などという思いも頭の中を駆け抜けてゆく

ただ最近、金銭に対する価値観が変わってきていると自分でも感じている

若い頃は金を使うなら、何か形になって残るものが欲しかった
本、洋服、靴、家電、、、
そういうものに金を使った

形として残らないものに金を使うことに抵抗がなかった、、、というか比較的、受け入れやすかったのは食事と旅行くらいな気がする

水商売系の界隈に金を落とすことなど、頭の片隅にも起きなかったし、行ったとしてもひどく無駄な金を使ったような気になった

けれど、歳を重ねるうちに物欲は相対的には薄れ、むしろ形に残らないなにかに金を使うことに意義を感じるようになった

その昔

「モノより思い出」

というキャッチコピーが使われたCMがあったけれど、まさしく、それである

もっと言えば、金銭というものに、金銭以上の価値を見出さなくなりつつある

所詮、金などと言うものは、同じ価値を有するなにかと交換するためのツールでしかない
必要最低限の金があれば、それで良いわけで、死ぬ時に1円以上財布に持っていても、何の意味も無い

その「必要最低限」が死ぬまでにいくら必要なのかが分からないから、貯金をするわけだし、多ければ多いほど良いには越したことはないからもちろん金は欲しい

けれど、そこに執着しすぎて、本当なら今得られる何かを、使うか使わないか分からないもののためにガマンするのはどうなんだろうか?と思うようになった

金は使ってこそ初めてその価値を発揮する
たとえ1円であったとしても、私が使った1円は世の中を流れて誰かの財布の中に入ってゆく
逆もまた然りで、世の中はそうやって互いに互いを支えているのだと思えるようになった

浪費の言い訳にしている部分は否めない
老後が怖くてそこまで思い切って使えない部分もある

洋服の類はずいぶんと断捨離したが、結局、以前より増えている気がする
どれもこれも似たような服ばかり

以前、衝動買いで靴を買ったとき、会計をしながら

「つい買っちゃうんですよねぇ」

などと言ったときに、店員さんから返ってきた言葉を思い出す

彼はうんうんと頷きながら、少しニヤリと笑って

「経済、回しましょう」

そう言った

あぁ、そうか、と思った
何となく憑き物が落ちたような気もした

思えば「無駄遣い」ばかりしてきた
でも、今の私の大半はその「無駄遣い」によって出来ている

私は別に自分のことが大好きなわけではないが、さりとて大嫌いなわけでもない

48年苦楽を共にして来た分身に相応の思い入れはある

「無駄遣い」が、少しだけ誇らしく思える

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