「OCEAN!!」第2話



2、 理想と現実
 
 「なーんか、湊也らしくない。いつもの張りがないというかそんな感じ?」
 「なんだよ……。」
 水上バイクで海の上をぼんやり走っていると、幼なじみの峰倉(みねくら)楓(ふう)香(か)が話しかけてきた。
 峰倉とは幼稚園からの付き合いになるので、かれこれ16年もの付き合いになるが、性格はほとんど変わっていない。例えば、こうやって茶化す感じとか。
「ふぅん、湊也って負けたらこんなへこむタイプだったっけ?湊也だったら、負けるのも慣れてるんじゃないの?」
峰倉の言葉はいい意味でも悪い意味でも心に刺さる。だが今回は悪い方で刺さった。
「たしかに最近の俺は負け続けているけど、慣れているわけじゃない!お前は、悪くたってベスト10には入っているもんな。俺はお前がうらやましいよ。」
「あ、ゴメン……。」
「いや、いいんだ。俺も今日は自分に張りがないなーってわかってたから。それと、俺も言い過ぎた……。」
この前の日曜日の協議会、俺は決められたコースを周回してスピードを競うクローズドコース競技の部に参加して30人中24位という下から数えた方が早い順位だった。その原因は、たぶん思うようにハンドルを切れなかったからだと思う。練習ではどれも上手くできていたことが、本番になると必ずどこかミスをする自分が腹立たしい。
「……でもっ!これだけは言わせて。いつまでもへこむな、さっさと次のことを考えろ!私だって、悩んでないわけじゃないんだから……。」
急にビシバシモードに入ったと思ったら、普段は聞くことのない峰倉の弱音が聞こえて、なんて言えばいいのか言葉を探す。だが、峰倉は水上バイクのスピードを上げて、空中で一回転しながら行ってしまったのでその必要はなかった。
「しっかりしな!世の中で戦うってことは、こういうことなんだからね!」
俺と峰倉はほぼ同じタイミングで水上バイクを始めたが、参加している競技は別だ。峰倉はクローズドコース競技ではなく、演技の点数を争うフリースタイル競技に参加している。
水上バイクと一体になって、空中で回転したり跳んだりと見ている方は迫力満点であるが、やる方は失敗すれば命の危険があるし、相当な体力と精神がいる。もちろんクローズドコース競技にも命の危険があり、体力や強い精神も必要だ。だけど、フリースタイル競技は水上バイクと一体になる分、もっと気を引き締めなければならない。気を引き締めた上で、どれだけ迫力のあるパフォーマンスを披露するか、自分の実力が出せるかがとても大切になってくる。
俺も過去に何度か練習で峰倉と同じように空中で一回転してみたが、何度やっても怖い。だからそれを何度も繰り返す峰倉を正直すごいと思っている。
“世の中で戦うってことは、こういうことなんだからね!”か。
つまり“思うような結果じゃなくても、その競技会のことは忘れて、次の競技会に向けて練習して色々考えろ”ってことだ。
峰倉の声で、この言葉が脳内に再生される。
 俺だって、悩みたくて悩んでるんじゃねぇっての。
 軽くため息をついたが、あっけなく波の音でかき消された。
 あぁー、もうっ!
 俺はやけくそになって、水上バイクのスピードを上げる。練習、というよりストレスを発散するように。
 そして俺はぼんやりと過去を思い返していた。
 過去に俺は一度だけ競技会で優勝したことがある。あれは、水上バイクの競技会に出場し始めて、5回目だっただろうか。
 あのときの俺は、ただただ水上バイクを楽しんでいた。
ほどよい緊張感もありつつ、俺は周りの人間と競うことが楽しかった。前の競技会のときよりも、練習のときよりもタイムが速くなっていることに達成感があって、すごく楽しかったんだ。
 それがだんだんと周りの人間に勝てなくなってきて……勝てないだけならまだよかった。周りの人間の実力が圧倒的に高くなったのか、それとも俺の実力が低くなったのか、競技会に出場しているはずなのに、周りの人間が見えなくなって、取り残されてしまったような孤独感を味わうようになった。
 あのお兄さんのように軽々と水上バイクを走らせて、卓球とか水泳の選手が人に感動を与えるように、自分も水上バイクで周りの人間に感動させられるようになりたい。
実際あのお兄さんは現役時代、水上バイクで感動を与えた。というのはあとから知ったことだ。
今ではもう無名なのかもしれないが、そうやって水上バイクで人を感動させて人の心を動かせるようになりたい。そのためには、競技会で勝たなければならない。
しかし、そんな理想など叶えられないほどに競技会で実力を残せなくなったのだ。
その頃からかもしれない。俺が常に勝つことを考えて水上バイクに乗るようになったのは。
 「ねぇ、聞いてる?湊也がぼんやり水上バイク走らせてたら、こっちが困るの!」
 峰倉の声で、はっとわれに返る。
 「ゴメン、考えごとしてた。」
 「あぁー、もうっ!今日の湊也は見てられない!」
 ヘルメットをしているせいで、峰倉の顔はよくわからないが、声だけで相当怒っていることがわかる。
 っていうか、いつの間に俺のとなりにまた来てたんだ?
 なんというか、今日の峰倉は全体的に不機嫌だ。それもこれもまぁ、俺が関係しているんだろうけど。
 「湊也、今日やる気ある!?なんか考えごともしてるみたいだし、いかにも落ち込みモードに見えるんですけど!さっき自分でも張りがないってわかってるって言ってたよね?じゃあどうしてスイッチを入れないの?」
 ガミガミガミガミガミガミ……。
 「俺だって切り替えたいよっ!!でもこれだけ負け続けたら、落ち込むに決まってんだろ!峰倉は……自分の理想のスピードを出せない俺はどうしたらいいって言うんだよ……。」
 峰倉の説教を聞いていたら、反射的に俺は自分の苦しみを発していた。
 こんなの八つ当たりだってことはわかっている。
 そもそも誰かに話すつもりなんてなかった。自分の中で消化していくつもりだった。
 それなのにもう俺は押さえられなかった。
 「俺の苦しみなんて峰倉にはわからねぇよ……峰倉と俺の悩みは違うんだし。別にわかってもらおうとなんてしていない。でももう放っておいてくれよ。峰倉に言われなくたって、自分にやる気がないのくらいわかってるっての!!」
 峰倉が呆然としている。動揺して言葉を失っているのが、目に見えてわかる。
 「峰倉が俺に“しっかりしろ”、“やる気出せ”、やる気がないなら帰れ“って思っているのもわかってる。でもやる気の入れ方も気持ちの切り替え方も今の俺にはわかんないんだ……。練習をどれだけやったってやり足りないし、なんか納得いかない。……峰倉はこんなことないだろうけどよ。」
 俺は自分を嘲るように笑った。
 そうでもしないと、恥ずかしいことに峰倉の前で泣いてしまいそうだった。
 「さっきも言ったように、私だって悩んでるよ……。」
 今まで聞いたことのないような峰倉の切ない声だった。
 「いっぱい悩んで、逆に悩みすぎてわからなくなって自分にイライラすることもあるよ。だってほら、私って荒っぽいとこもあるでしょ?今も、競技会でパフォーマンスするのは楽しいし色々な人に見てもらえるのは嬉しいけど、やっぱり周りの人たちがすごくてさ。優勝とまではいかなくても、ベスト3争いに加わりたいって思っても、練習で上手くいっていたことが本番ではミスが出て加われなくて自分にイライラしたり、そんな自分に悩んだりしてる。」
 初めて聞く峰倉の心の苦しみだった。
 何もなさそうな顔して楽しんで練習している峰倉でも、自分にイライラしたり必死に悩んだりするんだ……。
 「正直私もさ、自分がどれだけ頑張っても自分の理想に追いつけなくて、どうしたらいいんだろうって今すっごく悩んでる。周りには平気な顔してるけど、全然平気じゃないんだ。でも、自分にイライラしてたり悩んだりしてたりしても、どうしようもならないんだよね……。なんていうか私の場合、余計に気持ちが沈んでいくっていうか“やっぱり自分ってダメだな-”って思ってくるから。だから、私と湊也の悩みって、まったく違うっていうのでもない気がする。多少の違いはあれど、共通点も探せば色々あるんじゃないかな?あーあ、なんでだろうな。なんで上手くいかないんだろ?」
 峰倉の話を聞いて、俺はどうしようもない後悔に襲われた。
 そして必死に頭を下げる。
 「マジでゴメンっ!!俺、峰倉にひどいことしか言ってなかった、お前も悩んでるってのに。俺とお前は違う、って勘違いしてた。ゴメン!」
 いてっ。
 その頭を下げた拍子に、水上バイクのハンドルに頭をぶつける。しかし、実際今の俺はそんなのどうでもよかった。
 俺がいる場所が海の上の水上バイクではなく、陸だったら間違いなく俺は土下座をしていただろう。
 すると峰倉はなぜか突然俺を見て笑い出したのだった。
 「ちょっとやめてよ、湊也。謝らないでってば。スマホが手元にあったら絶対今湊也のこと写真撮ってた。まさか私のこと、本当に信じた?」
 「は?」
 今のは、演技だったってことか?
となると、俺は峰倉に完全にだまされていたのか……?
「ウソウソ、あれは本当のことよ。私の心の底、久しぶりに誰かに話したや。」
 つまりあれは峰倉の本心で、俺はだまされていなかったわけだ。
 ややこしい……。
 「ありがとね、湊也の本当の気持ち話してくれたり、私のこと聞いてくれて。」
 「いや、それは俺が……。」
 「お互い負けずにいようね、自分の格闘に。」
 俺の言葉を遮ってそう言った峰倉の目には薄く涙が光っていた。
 俺にはなんの涙なのかわからない。俺は16年もの付き合いになる峰倉のことをわかってはいなかった。
 ただ1つわかったのは、峰倉も俺と同じように理想と現実の差に悩んでいるということだ。

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