「OCEAN!!」第3話


3、アドバイス
 
 あの日……峰倉の本心を聞いてから1週間。
 「湊也、お疲れ~!!」
 「お疲れ。」
 「素っ気ないなぁ、湊也は。幼稚園か小学生のときの湊也だったら、“楓香ちゃんもお疲れさま”って、笑顔で返してくれると思うんだけどなぁ。」
 幼稚園か小学生のときって、一体何年前のこと想像してんだか。
 俺が峰倉のことを楓香呼びしてたってことは、そのとき俺は峰倉に“湊くん”って呼ばれてたんだっけ。
 こんなにも長い付き合いになるなんて、あの頃は一度も考えたことなかった。
 「悪いけど、俺はもう峰倉を楓香呼びするつもりなんてないからな。お前ももう俺のことを“湊くん”なんて呼ばないだろ?」
今日もいつもどおり水上バイクの練習が終わり、夜7時過ぎ。夏なので、まだ真っ暗という感じでもないが、あたりはだんだんと暗くなりかけている。
 「あ、呼んでほしい?私はいつでも呼べるけど。なら、今からでも湊くん呼びしようか?」
 「断固拒否!」
 「何よ、自分から言ってきたくせに。っていうか、“湊くん”、“楓香ちゃん”って呼び合ってたなんて、過去の私たちすごくかわいくない?」
どこがだよ、とツッコみたくなるのをガマンして、立ち止まった峰倉に俺はかまわず駅に向かって歩き続ける。
今日の峰倉はテンションが高めだ。何かいいことでもあったのだろうか。
「ねえ!駅まで一緒に帰ってもいい?」
「別にいいけど、お前駅まで行ったら遠回りじゃないか?」
 俺は大学への通学のために引っ越したので、駅まで行って電車に乗らないと行けないが、峰倉はこの近くなので駅へ行く必要はない。まあ俺だって、実家に帰るなら峰倉の家とまったく同じ方向だ。
 「いいの!私から誘ってるんだから。」
 「そっか。」
昔から、小学校の下校にしても中学校下校にしても、水上バイクの練習後にしても、峰倉と一緒に帰るのは変わらなかった。おかげで中学生の頃なんかは周りの連中らに“お似合いカップル”だのと茶化されることもしばしばあった。大学に入って、俺が独り暮らしするようになってからは、一緒に帰る機会も少なくなったが。
 高校も大学もお互い通っている学校は違うから、一緒に帰ることももうないだろうとか思ってたんだけどな。でもまあ、峰倉と一緒に帰り道を歩くのは悪くない。
「なぁ峰倉、なんか今日いいことでもあったか?」
 それだけ少し気になったので、峰倉にさりげなく聞いてみる。
 「あっ、わかっちゃった?今日は、私のずっと待っていた本の発売日!」
 あ、それだけ……。
 嬉しそうなというか、待ちきれないというか、そんな笑顔を浮かべる峰倉。
 いかにも“いいことありました”感が出ていたから、峰倉だったら“告白されたの”とでも言うのかと思って心の準備をしていたのだが、それは不必要な準備だった。
 「何よ。好きな本の発売を楽しみに待っていたらダメなわけ?」
 「そんなことをは一言も言ってないだろ。……駅に行くのはそのためか?」
 「そう!私、この本の主人公に憧れているんだー。」
“芯のある心の強さを持っていて、すごく優しくて、壁にもいっぱいぶち当たるんだけどそれに真っ正面から向き合って乗り越えていく。水上バイクやってる私に共感できるところもあって、この本から今色々学んでいるんだ。毎日が上手くいかないときとか、元気ないときにこの本を読むと主人公にすごく元気をもらえる。私ね、この本の主人公が今最も憧れている人なの。だからこの主人公みたいになりたいって、ちょっと努力してみることもあるんだけど、理想と現実は別だからなかなか上手くいかないね。――――――”
峰倉が俺に話す声はとても生き生きとしていた。
“現実は理想と違ってなかなか上手くいかないが、それでも理想に追いつこうと峰倉は努力している“、それが何よりも伝わってきた。
「峰倉も元気が出ないときとかって本当にあるんだな。」
この前で、峰倉でも悩んでいるんだって知ったはずなのに、やっぱり俺の中で峰倉も俺と同じような悩みを持っていると言うことが未だに信じられなくて、思わずつぶやいてしまった。
 「そりゃあるわよ。この前のこと覚えていないの?」
 「それはさすがに覚えてる。」
 “逆に忘れられねぇよ”と心の中では付け足しつつ、あえて口には出さないでおく。
「けど、理想があるから私はそれを追い続ける。だって、私の憧れの主人公がどんどん成長していくんだもの、私だって前に進んでいかなきゃ。」
 「そうか、やっぱり峰倉は――――――」
 “やっぱり峰倉はすごいな”、そう言おうとしたが言葉にはできなかった。まだ峰倉に尊敬の言葉を伝えるのは、俺にはまだハードルが高い。
 「私が何よ。」
 「何でもない。ただ、お前も色々と頑張ってるんだなって。」
 「当たり前でしょ。世の中、頑張ることで達成感とか成長っていうものがあるんだから。この本の主人公みたいな人が私の前にいてくれたらいいのに。湊也はいいよね、憧れの人に会おうと思えば会えるんでしょ?」
 峰倉の何気ないセリフに、俺は言葉に詰まる。
 “会おうと思えば会える”か……。俺自身がりっくに言ったことと同じだ。
そうだ、俺はお兄さんに会おうとしていない。心の底では会いたいと、会って話したいと思っているのにもかかわらず、色々と会わない理由を見つけて会おうとしていない。
 この峰倉の言葉に対して、俺が言うべきことは……。
 そのときちょうど峰倉の目的地の駅前の書店にたどり着いた。
 俺は開きかけていた口を、開き直して言葉を発する。
 「じゃあここまでだな。今日もちゃんと主人公に影響受けろよ。」
 「その言い方っ。……うん。今日は付き合ってくれてありがとね。」
 「いや。俺も一応通り道だし。じゃあな。」
 そう言って、俺は改札に向かって歩き出す。
 「待って、湊也!」
 俺が振り返った先には、俺に必死に語りかける峰倉がいた。
「ちゃんと会って話した方がいいと思う、自分のために!今の湊也には、憧れの人に会って話すことが一番の湊也自身の問題の解決策だと思う!」
 なんでお前がそんなに必死なんだよ。
そう、ツッコみたくなるほど峰倉の顔は必死だった。
まるで、思うような結果が出なくて……それ以前に自分の理想とはほど遠い自分の実力に絶望を感じて、必死にもがいているような俺を助け出そうとするように。
「……それがこの前、湊也が私に聞いてきた答えかな。」
その峰倉の笑顔が、小さい頃の峰倉と重なった。見ていて安心するような優しい笑顔に。
同時に俺は気づいていた。峰倉がこんなにも俺に必死に、“憧れの人に会え“と勧める理由を。
“追い求めていた理想の、本当の自分のスピードをしっかり出せるよ。きっと。”
 
 家に帰って、リビングの電気をつける。
 その次にするのは……、
メッセージアプリを開くことだ。
 もう何年も連絡を取っていなかったせいで、探している相手の連絡先はずいぶんと下へスクロールしなければ見つからなかった。
 トーク画面を開こうと相手のアイコンをタップする指が震える。
 「最後にメッセージのやり取りをしたのは、約4年前……最後に会ったとき、か。」
 “今日はありがとうございました。海誠さんと話せてとても楽しかったです。高校、頑張ります。体調に気を付けて海誠さんも頑張って下さい”
 “こちらこそありがとな、湊也。湊也も体調に気を付けて頑張れよ。また色々な報告、待ってる”
 結城海誠――――――
 その名こそが、俺が小1のあのとき出会ってずっと憧れ続けている“あのお兄さん”だった。
 緊張しているのが自分でもはっきりわかった。
 俺は深呼吸して、文字を一文字ずつ丁寧に入力する。余計なことは書かずに、ただ本心を。
 “久しぶりです。突然ですが、今週の日曜日会うことってできますか”
 彼の既読が付いたのは、俺が送信ボタンを押してわずか5秒後のことだった。


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