1 報 告
(1)曽我部真裕(リーダー)「『情報流通の健全性』と憲法」
 伝統的な憲法論では、表現の自由の尊重のため、情報空間への国家の介入は最小限にすべきだと考えられてきた。しかし、情報流通の健全性確保、あるいはデジタル立憲主義の実現に向けた国家の取組が憲法上の責務であるとする考え方(以下、「責務説」という。)への転換を目指すべきである。
 なぜなら、現在のような自由放任主義の下では、情報空間の無秩序化が進行し、個人の自由や民主主義等に対する危険が生じているし、デジタルプラットフォーム(以下、「DPF」という。)に対抗する存在は国家あるいは国家の連合体のみであるから、情報空間への介入が、任意の政策的要請であるのみならず、憲法上の責務であることを示す必要があるからである。理論的な根拠としては、知る権利を例にとれば次のようになる。これまで、知る権利の名の下で、個人が、生存をし、自己実現をし、民主政に参加することができるための情報を得る「権利」が保障されると考えられてきたが、これは結局、情報空間にこうした情報が供給されている状態を確保することが国家の憲法上の責務であることを示すものである。もっとも、責務説を採用したとしても、これは表現内容規制が広く許容される趣旨ではない。表現「環境」アプローチ(参照、水谷瑛嗣郎「思想の自由『市場』と国家」法律時報92巻9号(2020年)36頁)が中心である。
 責務説を採用した場合、論点となりうるいくつかの事柄が生じる。これらは一例にすぎないが、表現の自由に関わる諸論点を、再考しつつ、国家介入の限界を再考する作業が求められる。第一に、思想の自由市場論の再構成、である。従来、思想の自由市場論は国家の不介入を要請するものであった。そこには当該理論が成立するための書かれざるを前提が存在していたはずであるが、今日ではそれらの妥当性は失われてきている。国家介入の余地は、従来考えられてきたよりも広いのではないか。第二に、表現の自由の保護領域、である。たとえば、偽情報は「あらゆる形態における虚偽の、不正確な、⼜は誤解を招くような情報で、公共に危害を与えることを意図し⼜は利益を得るために、設計・表示・宣伝されたもの」と定義されるが、危害意図のある情報発信が表現の自由の保護領域に含まれるとすることは決して分明なことではない。もっとも、危害意図の有無は一見しては分からないため、規制の際にはより複雑な考慮の上で設計する必要はある。第三が、表現の自由の保障のありかた、である。たとえば、個人の表現とDPFによる「表現」(参照、最決2017年1月31日民集71巻1号63頁(Google検索結果削除請求事件)「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する」)のように、表現の自由に含まれる表現の扱い方にはグラデーションが存在するのではないか。
 責務説を採用したとしても、国家介入の手段自体は憲法上特定されておらず、政策的選択の余地は広い。差し当たり、DPFへの規制と基本的情報の供給確保の2つが柱となる。もっとも、DPFに対抗できるのは国家あるいは国家の連合体のみであるとしても、現在の日本にはそのような準備は整っていない。そのため、国家の規制能力(専門的知見、人員、権限、予算、技術力等)の強化が必要となる。仮にDPFによる自主規制を基本路線に据えるとしても、国家規制の可能性という圧力がなければ実効的な自主規制は実現しないため、なお国家の規制能力の強化は求められる。

(2)上本翔大(専任研究員)「総務省における誹謗中傷・偽情報対策等に関する議論のレビュー」
 デジタル空間における情報流通を取り巻く環境の特徴として、これまで、次のようなものが指摘されてきた。すなわち、①報道機関に属さない市井の人々であっても、容易にかつ匿名で、情報の発信や拡散が可能である、②アテンションエコノミーと呼ばれる経済システムが台頭しており、コンテンツの「質」よりも「刺激性」が重要となっている、③フィルターバブル現象やエコーチェンバー現象が生じている、等である。このような特徴が引き金となって、デジタル空間では誹謗中傷や偽情報等の問題が深刻化している。
 このような背景から、総務省では、プラットフォームサービスに関する研究会、誹謗中傷等の違法・有害情報への対策に関するワーキンググループが発足され、誹謗中傷や偽情報等の対策に関する議論が続けられている。そして、これまでに公表されている報告書の中で、誹謗中傷や偽情報等の対策に関して官民が連携して取り組んでいくべき様々な方策が示されている。この中で、繰り返し強調されているのが、DPFによる自主規制が基本路線である、ということである。表現の自由に対する萎縮効果を避けるため、国による直接的な関与(表現内容規制)は望ましくはない、とされる。たとえば、DPFに対して削除義務を課すことや、個別のコンテンツを削除しなかったことに対して罰則を設ける法的規制を導入することには、極めて慎重であるべき、だとされている。他方で、DPFによる自主規制の透明性やアカウンタビリティを確保するための国家介入はありうるとされており、今般の国会でプロバイダ責任制限法の改正によって成立した情報流通プラットフォーム対処法はこうした介入の一つであると考えられる。
 また、同じく総務省では、デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会が設けられ、そこでは、①情報空間が健全であるとはどのような状態のことか、②健全性を確保するための国家の役割は何か、③削除の「お願い」といった形態をとった国家による実質的な「強制」となっていないか、④DPFに対する過剰な介入となっていないか、等の点について検討を続けることが必要であるとされている。これらの諸論点に加えて、報告者は、公職者が有権者のSNSアカウントをブロックすることを憲法学の観点からどのように規律するかという論点にも関心を寄せている。

2 ディスカッション
 報告に引き続き、参加者の問題関心の共有が行われ、今後の議論の方向性及び深掘りしていく論点を確認した。差し当たり、以下の諸点が今後の議論の方向性及び深掘りしていく論点である。
 
①問題領域を具体化し、どのような弊害が生じているのかを明確にした上で今後の検討を進めるべき。
②情報空間への国家の介入は責務なのか、政策的に許容されているにすぎないのか。→国家の介入は責務であると考えたとしても、具体的にどのような効果・内容・指針が導かれるのか。
③アクセルの部分(国家による積極的な介入)とブレーキの部分(国家介入の限界)を併せて考察すべき。
④有害情報の削除等に関するjawboning(国家からの強い要請)について。→「お願い」と実質的な「強制」の線引きをどのように考えるか。
⑤虚偽表現は憲法上保障されているのか、その場合はどの程度の保障か。
⑥公職者が有権者のSNSアカウントをブロックすることについてどのように規律するか。
⑦DPFが享受する憲法上の権利についての議論の深化。
 

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