創作BL「青い月に啼く」5(後)
人間と魔の混血種が住む民族区域が舞台
混血種が自治のため結成した「凶徒(マフィア)」のとあるファミリーの話
混血種
人里に住む者は殆ど人間と同じ生態だが、身体能力や見た目に強く血統が現れる者もいる
青い月が昇る夜、本来の魔の姿に戻るとされている
登場人物
スターシステムを採用し「鹿書房」こと伍月鹿作品のキャラクターが別人として登場します
私が唯一心を許し、愛せる人。
私がこの手で抱きしめることができる、愛する人。
そんな存在がいれば、月が何色だって構わないのだ。
「いい子」
彼は、赤く染まった唇で、そっと囁いた。
冷たい指先が、熱を持つ。
触れ合った身体が微かに脈打ち、まだここにいることを伝えてくれる。
ソマギは、不思議な吸血鬼だ。
目の前で血が流れるのを見ても、平然とした顔を崩さない。人間や混血種の者と同じように食事をする。様々な能力を持ち、どんなことだって器用にこなすのに、自分の机は片付けられない。
彼の美学は吸血鬼が持つ残虐な一面を覆い隠し、彼は人間の法律に喜んで従う。
かつては多くの仲間を従えていたようだが、いまは私一人だ。
顔を替え、名前を変え、住む場所を変えてきた。
そのうち流れ着いた自治区に留まることを決め、黒徒の行く末を突かず離れずの立場で見守り続けている。
本当は、自治区で起こっていることに興味などない。
回りくどいやり方なんてしなくとも、ソマギなら疑わしい者を見つけ、罰することができるだろう。
敵ファミリーを壊滅させることなんて彼にとっては簡単で、朝食の時間を遅らせる必要もない。
だが、彼は私に「待て」と言った。
仲間の為に動け、とも言った。
私は従うだけだ。
どちらにせよ、もう私には彼しかいないのだから。
青い月が昇る。
吸血衝動を抑えるために交わす口づけは、あまり好きではない。
でも、ソマギから与えられる生気や血の味は不思議と甘くて、いつの間にか夢中になってしまう。
知らずに零れていた涙を、ソマギがすくった。
美しく整った顔に笑みを浮かべる。
私に優しく触れ、まるで朽ちる前の銀食器に触れるかのように、恭しく全身で包み込む。
「私の、可愛いアサリ」
高くもなく、低くもない響きで囁かれる。
彼の声は特別な特徴があるわけでもないのに、心地よく耳に残る。他にない、唯一無二の私だけの音楽だ。
どこかの部屋から、古いジャズの曲が聞こえてくる。
そのスローテンポに合わせて体を揺らしたソマギが、最後に私の髪を整えた。
彼に磨かれた私は、何度でも輝ける。
◇◇
トウシが動くのを見た。
ラムネの傍にゼンが立つ。
司令塔のヘリックスは今朝から具合が悪そうで、会場の隅でぽつんと立つ背中に覇気がない。
それ以外に問題はなさそうだ。
ナオトの肩を叩いて、時が来たことを知らせる。言いたいことにすぐに気がついた元天使は、にこやかにその場を切り上げて輪から離れた。
「ねえアサリ。あの人が君のことを気に入ったって」
彼が示すのは、さきほど輪の中にいた男らしい。
そっと振り返ると、こちらに手を振っているのがわかった。
「……吸血鬼が物珍しいからじゃないですか」
「そうじゃないよ。アサリって本当に自己評価低いよね」
「敵組織の人間に口説かれても困ります」
「宴の夜は無礼講じゃん」
そうは言っても、いまの私にマスター以上に興味を抱く相手はいない。
目を逸らすと、ナオトはくすくすと無邪気に笑った。
今日のナオトは、羽を隠すつもりがないらしい。
しおれた羽を微かに揺らした彼は、私の背もついでのようにくすぐる。
「宴はいいね。愛に溢れている。毎日やればいいのにって思うよ」
「確かに、毎日こうなら争いはなくなりますね」
呑気な言葉に、適当なことを返す。
実際、宴の間に友好的にできるならば、普段できない理由はないだろう。
だが、人は集まると争いたがる。競いたがる。こればかりは外も中も関係なく、平和な楽園である自治区でも小競り合いがなくならないのが現実だ。
上機嫌に歩くナオトは、会場の中でもよく目立った。
背中が大きくあいた服に、倒錯的な羽。色気そのものを振りまく彼の笑みに、多くの者が振り返って道を開けた。
おかげで、混雑した空間でも歩きやすい。こういうのをモーセの海割りというのだったかとぼんやり考える。
映画も神話も興味がない私にとって、言葉以上の感動は生まれない。
会場を進むと、目的の人物はすぐ見つかった。
きらびやかに着飾った集団の中で、ルーの平凡なスーツは、ナオトとは別の理由で目立っていた。
売れない探偵を自称する彼は、薄給を理由に自分を着飾るのをいつも嫌がるのだ。
私達に気づいた彼は、鹿角がついた仮面の下でもわかるようにはっきりとほほ笑んだ。
「ルー先生。チトラは?」
ナオトが尋ね、ルーは短く「知らない」と答えた。
「ヘリックス班が動いてます。ラムネさんも」
「うん、皆いま着いたみたいだね」
「ゼンさんのあのえっぐい傷って、ラムネさんがやったって本当?」
「ほら、こないだ、行方不明になっていた件で……」
噂話に花が咲いた二人がこそこそ話すのを聞きながら、そっと意識を集中させる。
この会場程度の規模ならば、不審な者の足音を追うのは簡単だ。
優れた聴力は、吸血鬼が持つ能力の一つだ。光に弱い者も多いようだが、少なくとも私は蛍光灯程度の灯りで目を眩ますことはない。
他にも、この体になって得た能力は無数にある。
しかし、吸血鬼に味覚はない。
会場に並んだ豪華絢爛な食事にはひとつも興味を持てない。ついでに睡眠欲や性欲も人間だった頃より希薄になったが、不便はしていない。
ソマギが聞けば、淡白な私を叱るだろう。会場内に並べられた馳走は、彼が数か月前から計画して用意させたものである。
今日、ソマギは主催として身動きができない。
代わりに手足になるのが私の役目だ。
パーティーを楽しむつもりは端からなく、獲物を物色する暇もない。
幸い、血は足りていた。辺鄙な自治区に留まる利点は、新鮮な血がその気になればいくらでも手に入るところである。
「そういえば、アオイの姿がないね」
「煙草だって。今日はショウがいないから、イライラしてるんじゃない」
ルーの問いかけに、ナオトが答える。
今日、特別な理由がない限り、ソルジャーの任務はカポレジームの護衛だ。チトラからの命令で、上司は命に代えても守るように言いつけられている。
かといって、目立った行動をすれば、宴の参加者に警戒を悟られる。
攪乱のために会場内に散らばったブルーガーネットは、まるで星座のようである。
自分の胸にもつけたバッチを思わず触る。
ファミリーに伝わるベキリーブルーガーネットは、不思議な宝石だ。
普段は月のように青いのに、光があたると赤く染まる。
ソマギはそんな宝石を気に入っていて、よくバッチを磨いているのを目にする。
気まぐれで根無し草のようなマスターを、数十年同じ場所に留まらせる理由だ。
石に込められた意味を私も胸に刻んで、再び周囲の警戒を続ける。
ふと、聞き慣れた音が近づいてくるのがわかった。
振り返ると、トウマの車椅子が近づいてくるところだった。すっかり宴に慣れた様子で挨拶する彼に場所を開け、さりげなく彼を輪の中心に入れる。
「チトラにご挨拶をと思ったのですが」
「ボスはまだ来ないから、僕が聞くよ。あの人間の様子は?」
「僕の前ではなんとも」
「まあ、そうか。トウマ、君にもいろいろ苦労をかけたね」
ルーがにこやかに言うと、人間のアソシエーテは面食らったように謙遜した。
その実、ルーは相手にそういった態度を取らせているに過ぎない。
人は、相手が設定した舞台で自分の役回りを演じさせられているものだ。ルーがにこやかに褒めれば相手は彼の役に立ったと勘違いし、ルーが眉を下げて謝れば、自分の労などなんてことないことだと答えるだろう。もし、彼が素っ気なく相手に答えたとすれば、相手は彼の役に立つために躍起になるに違いない。
ルーの強みはそうやって、返事一つで自分への印象を変えることだ。
彼がどうやって相手をコントロールしているかまでは知らないが、彼のそういった複数の顔は、どれも嘘偽りがないのも確かだった。
件の話術に人間が引き込まれるのを見ながら、微かに動いた気配を探る。
仮面と商談で巧妙に隠しているが、明らかにこちらを注目する気配がある。
顔は勿論認識できないが、姿や恰好で古くからこちらのファミリーを敵対する組織の人間だとわかる。
「ルー、聞いてもいいですか」
トウマが声を落とす。
近くにいるのは揃いのバッチをつけた者だけだ。
トウマから見えない位置で頷くと、ルーは自身で決めたかのように自然に頷いた。
「宴は無礼講だからね。なんでも聞いて」
「あの人間ですが……、狼人間を探しているのではないかと。それも、限りなく始祖に近い存在を」
「へえ。どうしてそう思った?」
「ミノルとの会話です。彼らは混血種の研究をしているのでしょう」
ミノルとタカヒロが外の大学で知り合ったことは、情報として皆が承知していることだった。
ミノル自身も何者かの陰謀に巻き込まれたこと、裏付けもとれて情報屋の潔白はチトラが保証したこと。
タカヒロと名乗る男を、ジャンが人間と判断したこと。
頭に叩き込まれている情報が、今宵を左右する。
「どうして狼人間に興味があるんだろうね。昔、人間を虐殺した伝説が外にもあるんでしょう?」
ナオトが自然な調子で会話に加わる。
愛嬌のある彼の顔立ちに、トウマが息を呑む。人間に天使は認識できないはずだが、ナオトはそうしようと思えば信仰を持たない人間とも会話ができるのだ。
彼の羽を盗み見るのがわかる。
誘うように揺れる羽音を聞きながら溜息をつくと、少し離れたところでシナノがこちらを見ているのに気づいた。
「さ、さあ……、理由まではわかりませんが、もし彼に会いに来たのなら、このまま放っておいていいのでしょうか」
意識の外で、トウマのおずおずとした声がする。
ジャンの名を口にした人間は、私にも同意を求めたらしい。視線を戻すと、ルーの瞳もこちらを向いているのに気づいた。
「あの子のこと、トウマに話したの?」
「あ、アサリさんではなく、ソマギさんが教えてくださったんです。事故にあった所為で、少し不安定な子だと」
彼が語るのは、先日のソルジャー行方不明騒動のことだろう。
シナノに届いた痕跡を元に、ソマギがゼンの居場所を特定した。ジャックが出向いたときにはすでに姿を消していたが、その後、無事持ち場に戻ったらしい。
ラムネはゼンの勝手な行動を叱り、ゼンは以来、顔に大きな傷を残している。やっと人間らしい皮膚の色が戻りつつあったが、傷に慣れない者が見れば二度見では済まない有様だ。
ゼンの傷を手当したジャックも「あれは酷い」と呆れていた。
傷自体はあまり深くないようだが、派手に腫れるように計算された暴力だと医師は判断していた。
それらのやりとりをソマギの職務室で聞いていたトウマは、面識がないながらも、ソルジャーのルーガルーの存在が強く印象に残ってしまったらしい。
私がルーに嘘をつく必要は、いまのところ感じなかった。
正直に肩を竦めると、敏い相談役は正しく意図をくみ取ったようだ。トウマに対する親し気な様子を少し崩し、中性的な瞳から光を消した。
「そう。貴方が知っているのは、それだけ?」
「え、ええ……」
「ならいいや。ジャンは今日、誰といるんだっけ」
「うちのボスだよ」
トウマとナオト、それぞれに低い声で尋ねたルーは、気のない様子で返答を受け止めた。
明らかに下がった彼の温度は、巧みに部外者を締め出し、確かな線引きを足元に落とす。
「なら、問題ないね」
やがて何事もなかったかのようにほほ笑んだ彼は、戸惑うトウマにそれ以上語ることを許さなかった。
強引に終わらせた会話は、彼の誘導で別の話題に移る。
怯えがこちらに届く前に、私は意識を外に戻した。
そろそろ会場の上手側では余興が始まる頃合いだった。
配置換えにスタッフが動く中、ヘリックス班が会場の入り口を固めたのがわかった。
「 」
ふと、耳に声のない音が届いた。
シナノの声だ。
警告にしては穏やかで、愛嬌のある彼の物言いに、ソマギが聞いていたなら声を出して笑っていただろう。
それは、終わりの始まりを告げる声だった。
窓の外で青い月が輝く。
その美しくとも不気味な輝きに、私も思わず目を細めた。
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