ネットがない時代のほうが幸せだったのかな?
昔は読書が趣味で、100ページ以上あるぎっしり書かれてた本を熱中して1日で読んでいたのに、成長していくにつれてどんどん何事にも短期的に飽きる癖ができてしまった。
今では、本を3ページ読んで辞めてしまう、
な〜んか飽きてしまう、面白くないたった3ページ読んだだけで脳みその中で最後の結末を予想して、いいやとなってしまう。
最近は、動画のショート動画とかで、時間をかけずに内容把握ができてしまうから、時間をかける楽しさとか、じっくり理解するという"思考する楽しさ"ができなくなってる自分が自分で嫌になる。
スマホ中毒なぐらいスマホ見てるけど、それは楽しいからとかじゃなくて、習慣だからというのと今、常にあることを考えたくないから、スマホの情報を見て誤魔化しているだけだと思う。
人間関係とかもLINEがあるから固定されて、新しい人と関わる機会がないのかなとか思う。
ある程度メッセージができない環境のほうが、人同士が直接話すことをもっと大切にしていたと思う。
浅い関係の人と遊ぶと結構な確率でスマホを見る人が多いと思う、なんとなく会話が途切れちゃったな..となったらスマホをその間に見ちゃうとか..
人に聞かなくても、インターネットで情報が手に入ってしまうからこそ年配の人とかに話を伺うのが貴重な体験と思えなくなっている気がする。
インターネットのおかげで、昔の時代背景がある程度知ってしまえるからだと思う。
ネットとかじゃなくて、専門家とかそういうのに詳しい知り合いとかを当てにして生きていたのほうが新しい人に会う機会が多かったんだろうなと思う。
何も考えずにただ人と話すという時間がもったいないと感じている人も増えている気がする。
なんというかみんなベースとしてあまり人が好きじゃないのかなという人が多い気がする。
スマホができてから、短期的に情報を集める中毒になっている気がしている。
実際に足を運んで生でその現象を見たりするのってすごく大切なことだったと思う。
スマホって、すごく便利だし絶対に手放せないしネットのおかげですごく快適に生きれるようになったけど、人間的に幸せだったのは、どの時代なんだろうといつも思う。
便利と幸せは一緒じゃないし、不便だったからこそ体験できたものもあると思う。
スマホが便利だからこそ、人生の時間がほんとにスマホを見ている時間が増えていると思う。
便利になればなるほどそうなってしまうんだろうなとも思うし、二度とない時代にはならないだろうなとも思う。
スマホというものが無くなっても、また新しいそのような、何ができてしまうんだろうな〜って寂しく感じる。
学校とかで、LINEとかないからこそ体験できた明日何話そうかなとかワクワクしてる時間とか、もう二度と会えない悲しい別れとか今思えば、すごく人間らしい時間を生きれていたと思う。
LINEで話せなくなるからこそ、泣くことができたし、人って大切って気づけた。
小学生の時にその経験ができただけでも価値があったと思う。
幸せに生きることが他人と比べてどうかという視点に変わっていってる気がする、スマホがあると上には上があって焦ってしまうけど、今生きているだけでかなり幸せなんだとじっくり感じれなくなるし、豊かが幸せじゃないし、自分が理想としてる生活を実際にしてみると案外幸せじゃなかったりする、流れに任せて何も考えず満足しているって考えられるのは、幸せだしそのままでいいって言葉って大切だよな〜って思う。
スマホって人と比べてしまう情報が多いから苛まれるけど、実はほとんどの人そのままで幸せなんだって思える情報が集まったり、いい情報が集まるような環境になれば、スマホの情報も変わってくるのかなと思う。
今はせかせか生きろ的な情報が多くて疲れる。
ネットがある世界とない世界どっちが幸せだったんだろう
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