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地形も残る貴重な宇佐美の石丁場


丁場とは何か

 先日、伊東市生涯学習課が主催する、令和6年度生涯学習講座「市民大学<伊東の歴史巡り」に参加してきた。3回にわたって開催されるもので、第一回目は宇佐美にある、江戸城の石垣に使われた石丁場(いしちょうば)跡地を見学する。
 午前中はコミュニティセンターで石丁場について学んだ。「丁場」とは作業現場を意味する言葉とのこと。石を切り出す作業をする場所だったので、「石丁場」と呼ばれた。大部分は石丁場の石だが、なかには海岸で採れる石もあり、こちらは「浜丁場」というのだそう。
 江戸城築城の際に使われた石の大部分が、宇佐美をはじめとする伊豆産といわれている。

巨大な石は大噴火で流れ出た溶岩

 座学のあとはいよいよ石丁場へ。伊豆半島は海岸から少し離れるとすぐに山になる地形だが、ここ宇佐美も同様で歩き始めて間もなく山道へと入っていった。
 伊豆で採れる石は、約70万年前にあった宇佐美火山の噴火により流れ出た溶岩が固まってできたものが、さらに土の中で風化していったもので、これぐらい年月が経っている石は石垣に向いているのだという。
 石を発見すると、採れるだけ採っていく。石がなくなると、少し上へ移動し、さらに採石をするといった具合に、下から上へと進んでいく。出てきた石は、その場で適当な大きさに割ってから降ろすことになる。

克明に残る刻印

「C」の字で残る石丁場

 宇佐美の石丁場の特徴は、なんといっても斜面をえぐるように掘った跡が明確にわかる状態で残っていることだ。石丁場として残っている箇所は各地にあっても、たいていは石だけがある状態で、地形まで残っている場所は少ないのだという。
 何気なく歩いていると見落としてしまうのだが、なるほど案内をしてくれた市の職員の方が示した場所を見ると、ローマ字の「C」の字のようにぐいっとえぐられているのがわかる。そのえぐられた状態の上方と、なだらかになっている下方をつないだ線が、本来の斜面だった場所なのだそう。(残念ながら良い写真が撮れていなかった)

巨大な石が残る。石の下部に点線のように刻まれているのは、石を割るための矢穴(やあな)

間一髪、残った場所だった

 実はこの場所、とある民間企業が所有しており、バブル期にはゴルフ場になる運命だったのだという。紆余曲折しているうちに、今度はSDDGsの観点から現状維持したほうが環境保護という、企業イメージアップにつながるのではないかとの判断が下された。間一髪、無残に開発されることを免れた貴重な場所だ。
 一度壊したら二度と同じには復元できない。特に自然環境はそうだ。こうして地形が残っているとはいえ、本来あったはずの道や境界線は調査研究、あるいは歴史案内の目的で人が入るたび曖昧になってしまったり、消失したりしている箇所もあるという。

急な斜面のわずかな場所を見つけて休憩したり寝たりしていたのだろうか。

丁場は缶詰状態の働きづくめ

 今とはまったく労働環境が異なっていた江戸時代。宇佐美では2つの藩の石丁場があったが、お互いが交わることはもちろん、地元の人と交わることも禁じられていた。
 作業をするために国から連れてこられた人々は、作業が終わるまでは一度も下山を許されなかったという。食事は江戸にある大名の屋敷等から調達した食材で賄われ、風呂も川の水で代用したか入らず、眠るのもその辺で雑魚寝。雨が降ってもしのぐ場所はない。納期までに決められた量、規定通りの石を納めるべく、働きづくめの日々だった。
 えぐられた場所に立ち、作業跡がほぼ当時のままで残る斜面や石を見ていると、過酷な環境下で働いた人々の荒い息遣いが聞こえてくるような、不思議な感覚に陥った。 

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