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感謝の意を携帯のライトで


4年ぶりに開催!の花火大会

 去る10月21日(土)、4年ぶりに開催となった第45回世田谷区たまがわ花火大会へ友人と一緒に行ってきた。一緒に行った友人は、こういうところでの場所取りにものすごく良い勘を持ち合わせている。彼女はウロウロするでもなくバッチリな場所をパッと見極めてしまう力の持ち主だ。

 今回も「出遅れたかな。もういい場所は残っていないかも」と言いながらも、素早くあたりを見渡し、場所取りシートやビニール紐で囲われた地面の間を縫うようにしてズンズン歩いていく。

 そしてふと立ち止まったところは、幅がわずか50センチにも満たないような場所。二人とはいえさすがに無理でしょ、と思っていると、隣の広いシートでポツンと場所取りをしていた男性が「ちょっと動かしてスペース作りましょう。2人分なら何とかなりますよ」と言って、シートをズズズッと動かしてくれた。

間近でみるど迫力の花火

 お礼を言って、さっそく持参したブルーシートを敷いてみる。譲ってくれたとはいえ狭いでしょう、と思っていたのだが、意外や意外。ブルーシートを2つ折りにした状態で縦長に敷くと、2人座るには十分なスペースが生まれた。

 10月とは思えない暑さが続いていたとはいえ、夜気の冷たさは体に堪える。アルミシートやひざ掛けを複数枚持って行ったおかげで、対策は十分。友人と二人、のんびり寝っ転がったり、持参したお弁当を食べながら開始時刻を今か今かと待ちわびる。

 そうして始まった花火大会。さすがは場所取りの感覚に優れた彼女である。花火は真正面の至近距離からドドンと上がる。遠くから眺める花火もいいが、打ち上がる轟音と共に、巨大な花火を仰ぎ見る迫力はたまらない。

 そしてもう一つの楽しみは、振り返るだけで同日開催の川崎の花火も一緒に見られることだ。今年は水色や淡い緑色など新色に凝ったたまがわの花火大会。対して川崎はニコちゃんマークやハートマーク、ミッキーマウスの形など、いろいろな形が楽しめるという、なんとも贅沢な花火大会である。

新色?淡いブルーやグリーンが目立った今年の花火大会

湧き上がる拍手、そして最後は携帯の光の束

 ドン、ヒュルヒュル~、パーンと大玉が弾けるたびに、どこからともなく拍手が湧き起こる。筆者や友人も、感動するたびに自然と夜空に向かって拍手を送ってしまう。すべての花火に拍手をするというわけではなく、「すごーい」「きれい」と言った言葉を発しながら、あるいは特にそう感じたときに、老若男女問わず自然と拍手をしているようだ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気づけば終わりの時間に。最後の花火が打ち上がり始めた直後から、周りの人々が一斉に携帯のライトをつけ始めた。もう暗くなったから、荷物をしまうのにライトは必要だよね、などと思っていると、携帯を持った手を上げて左右に大きく降り始めるではないか。それも示し合わせたかのように皆、一斉に振り始めたのだ。

間近で見る花火は迫力満点

光の束は、感謝の意

 周囲を見渡すと、遠くの方の人々も同じようにライトをつけた携帯を頭上で左右に大きく振っている。まるで、さざなみのように静かに白く小さな光の粒が、あちらこちらで揺れ始めたのである。

 何が起こったのか分からず、友人に「みんな、何をしているの?」と聞くと「ああ、感謝の意を表しているのよ、ありがとうって。スポーツ観戦とか、コンサートとかでよくやるよね。若い子達は、そういうのに慣れているから自然とありがとうの言葉をライトで示してるんじゃない?」という。

 「誰に向かって?」「ん?主催者だったり、花火を打ち上げてくれた人たちに対してだったり、天気にだったり、いろんな感謝の意味だと思うよ」。
思わず「なんか、すごく日本人的だね」というと、「そうだね。誰にってわけじゃなく、自然発生的にこうやって感謝の意を示すのって、日本人的っていえば日本人的だよね」。

右下に光る無数のライトの波が、最後の花火に感謝の意を送る

言葉にならない感謝の意を伝える大切さ

 迫力ある大きな花火や、変わった色の花火が上がるたびに、拍手をしてしまうのも同じなのかもしれない。

 考古学者の樋口清之氏によると、神社で柏手を打つのは、元はと言えば拍手喝采のなのだという。今では柏手は基本的に二回、伊勢神宮や出雲大社では四回となっているが、「本来は多いほうがいい」のだそうだ。「昔の人にとっては、拍手とか柏手というのは、神を招くという喜びを得るための方法だったと言え」るとしている。

 神への感謝と大げさに捉えなくても、喜びを得る行為は常日頃、無意識にしている。たとえば、ご飯を食べるとき。何気なく言う「いただきます」の言葉には、様々なものへの感謝の意が表わされている。そう思うと、この拍手や携帯のライトを振る行為も、「いただきます」と同じく「喜びを得る」行為なのかもしれない。自分にであり、一緒に見た仲間にであり、主催者や花火を打ち上げた人たちへであり…。

 見えない人へ、美しいものへの拍手やライトを振る行為。言葉で表せない感謝の意を、姿の見えぬ遠くの人へ送る無数の小さなライトの波。暗闇で揺れる白い光の波を見ながら、この日本人的な行為は、いつまでも続いてほしい素敵な行為だなと、不思議な連帯感と共に花火以上の感動を覚えたのだった。

<参考文献>
『神道からみた この国の心』(樋口清之、井沢元彦著 徳間書店 1995.1.31発行)


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