里美とイモオト/愛しの娘

海に面したリゾートマンションの最上階に住んでいた。賑やかな盆休みも終わり、子供達の夏休みも、そろそろ終わる。静まり返った浜辺は、人影も無く、ただ暑いばかりの夏は続いていた。

昼過ぎ、食後のコーヒーを飲みながら海側の窓から下を見ると、今日もまた、姉妹仲良く手を繋ぎ、海岸から大通りをこちら側に帰って来る2人が見える。お姉ちゃんは学校おわったのかな? お姉ちゃんは中学1年生で名前は、里美(さとみ)さん、妹は4歳で、睦美(むつみ)チャンだ。

2人はよく一緒に、一階のコンビニ近くで遊んでいた。このマンションは1階部分がフードコートの様になっていて、コンビニ・レストラン・郵便局まであり、リゾート客の需要は、大抵間に合う様になっていた。私が里見ちゃんと出会ったのは、コンビニの前だった。人気のないテーブル席の隅に1人で座っていた。明らかに額にすり傷があり、血が出ているし、痣もある様に見えた。どうしたの?と聞くと、なんでもないと言う、病院連れてってあげようか? ヤダ! 即答されてしまった、じゃあ、お姉ちゃん家へ行って手当てしてあげようか? コクッと頷く、手を引いて、この上だからねと、立ち上がらせた時、物陰から、ピュッと小さいのが飛び出して彼女にしがみ付いた、目にイッパイの涙、彼女は、これイモオトと私に言った。

手当てしてみると、傷そのものは軽症だが、転んだり、ぶつかったりしたのでは、こんな擦り傷はつかないだろうと考えてしまう、だって痣は結構あちこちについていたし、古いものらしい黒い痣もあったので、然るべき所に相談したほうがいいよね、などとモヤモヤした。一方、2人は特大サブレーとアイスココアでご機嫌だ!ビスケットのカスを追って、動くルンパを追いかけ回し、捕まえた睦美によって、ルンバはマルちゃんと命名された。ちなみに私は里美ちゃんによって、トトロと命名された。3人で遊んで、剥がれてしまったオデコの絆創膏を貼り直してあげると、睦美が、私も!私も!と言うので、オデコに貼ってやった。もう帰る!と言うので、下の階まで送って行くと、サブレの残りの入った袋を下げて、マンションの裏へ走って行った。

部屋に戻ると、夕方の薄暗さに驚く、子供って居るだけで明るくって、なんか良かったなあ、息子は3人いるが、もう大人だ、音沙汰ないのは元気な証拠!なんて思っている。足元をマルちゃんが動き回っているし、窓ガラスに映った自分をみて、あら!本当にトトロだ!傘をさしてみたりもした。

その日以来、痣のことも気がかりで、いつも姉妹の姿を探していた、里美は私を見つけると、トトロー!と駆け寄って来た、里美は中学1年生なのに体が小さくて、5年生ぐらいに見えた。性格もとても幼くて可愛い、睦美は本当に小さくていつもお姉ちゃんに張り付いていた。
里美には、度々小さな傷があるので、怪我をした理由を聞くが、転んだとも、ぶつけたとも言わない、いつも「なんでもない」と言うのだ。親のことも全く教えてくれないのだ。

気がかりなのは、もう一つ、里美に、学校へ行っている形跡がないことだ。
里美にしつこく聞いて困らせると、睦美が「バーカ」と言って来るが、これが可愛いのだ。いつの間にか、クッキーとキャンディを持ち歩くのが習慣になってしまった。

在宅の仕事がやっと一段落した午後、窓の外を眺めると、姉妹が海岸からこちら側へ横断歩道を渡って来るところだった。どうやら睦美が泣いている様で、

里美に引きずられながら暴れている。
1階のフードコートに降りると、閉店後の郵便局前に並んだベンチの薄暗がり、その隅っこに隠れて2人でヒソヒソ話をしている。そっと近づくと、こんな会話が聞こえて来た。

里美が「急がないと、怖いのが来るって言ったでしょ!怖くて、痛いんだよ」
そして睦美の襟を掴んでグイッと小さな肩を露出させた。次に、小さく折った割り箸と白い糸を取り出した。なんだろうと見ていると、糸を肩に置いて、折った割り箸で抑え、糸の端を指に絡めてビュット引いた。息を呑んでしまった。これは、痛いだろう、なのに睦美は声も出さない、ただポロポロと涙を流し。小さく痙攣しているのに、里美は「これよりずっと痛いんだよ、だから早く死んじゃわないと大変なのに」睦美は「ごめんなさい、でも、ヤ!なのぉー!」と泣き声を上げはじめた。里美はティッシュで鼻をかんでやり、「今日はもういいや」と言った。睦美は里美を見て「本当?今日はもうシガナクテ(死ななくて)いいの?」なんて聞くのだ。里美が睦美の手を引いて歩いて行く、声も掛けられなくて、ただ後を付けてしまっていた。

マンションのエントランスを通り抜け、裏に出ると。細いアスファルトの道をしばらく歩き、2階建てアパートの1階、階段横の部屋へ入って行った。すぐに灯がついたので、親はまだ帰っていなかったのだろう。

疲れた!一旦冷静に考えよう、お家が分かっただけでいいや、今日は帰ろう。

食材を大量に買って帰って来た。ケーキとか色々美味しいもの作って、明日は絶対に姉妹を捕まえる。その夜は眠れる気がしなかった。一晩中お菓子作りをした。出来上がったお菓子の山と、甘いバニラの香りの中で濃く入れた緑茶で、自分に気合を入れた。朝の海を眺めていると、姉妹が海岸に出かけるのが見えた。まだ朝の5時だ。何をするつもりだ。大急ぎで1階へ下り、後を追った。

姉妹は、崖から海に下りる狭い階段に消えた。階段の影になった所で、拾って来たらしい泥だらけの人形を並べ、里美が「ネッ!この子達が一緒だから平気でしょ」と言うと、睦美は「ヤダお人形さん、ヤダ、死ぬのヤダ」と泣き始めた。出よう!私は持って行った日傘をバッと広げた。

「コンニチハー、トトロだよ」2人ともびっくりして見上げている。里見のほほからは、また血が出ている。里美が「帰らないと、帰らないと怒られるから」と言うので、里見の前にしゃがんで言った。「怒られる様な家には帰らなくてよろしい!ずっとトトロの家に居なさい」里美は「本当に?」と言うので、大きく、何度も頷いて見せた。「さあ!トトロのお家に帰ろう」と言って、手を引いて帰った。睦美は、ずっと里美に張り付いている。まるで私から里美を守ろうとしている様に、怖い顔を作って私を睨んでいる。

そうか!睦美にとって、里美は一番身近な大人なんだ。何をされても、泣かされても、一番頼っているんだ。まだ5歳だもんねえ

部屋に着くと、バニラの香りと山盛りのクッキー、さらにトドメのホールケーキを見て、固まる里美、満面の笑顔になる睦美。本当なら朝食の時間ではあるが、本日ばかりは、大甘作戦です。食べていい?食べていい? の連呼にオッケーを出して2人の手を拭いてやる、大はしゃぎの中学生と年長組をしばらく眺めて、コーヒーで自分を落ち着かせる。やがて、クッキーの山は消え、ホールケーキを2㎝ほど残して静かになった。ごちそうさまかな?と言うと、トトロおばちゃんの分だと言うので、美味しくいただいた。朝早かったので、お腹いっぱいになった睦美は眠そうだ。ソファーに横にならせて、タオルケットを掛けるとぐっすり眠ってしまった。

さて、温かい飲み物を入れて、里美とお話しする体制が整った。

里美「私達、本当は帰らなきゃいけないんでしょ? 美味しかったです。どうもありがとう、私かえるから」
私「本当に帰らないでいいのよ、絶対、帰らなくていいの、約束するよ」

里美は、唇を震わせて泣いた。ヒイーヒイーと声を出さずに泣くのだ。私は、長い経験で、こんな風に声を出さずに泣く子供を沢山知っている。親が暴力を振るう等、親に恐怖する子供達だ。睦美が比較的健全に見えるのは、多分この子が盾になっているのだろう、だから里美に聞きたいのだ。

なぜ、睦美を死なそうとするのか、
私「睦美ちゃんの所にやってくる、怖くて痛いものって何?おばちゃんが退治してやるから、教えて! おばちゃん、すごく強いから教えて?」

俯く里美の背中を1時間は摩っていただろうか、やっと里美は顔を上げた。

里美「パパとママが毎日言うの、睦美を海岸へ連れて行って、こう言えって(すごく怖いものが来て、すごく痛い目にあうから、その前に死ななくちゃならない、だから水面で思い切り息を吐いて、顔を水に付けたら、今度は思い切り息を吸えって、そうすれば痛い目に遭わないからって)そう言えって言うの」

里美は涙を流しながら、声をあげて泣いた、叫ぶ様に泣いた。私はもう一度、温かい紅茶を入れ直し、嗚咽がおさまってから、もう一つ聞いた
私「大丈夫、大丈夫、もうパパと会わなくていいよ、おばちゃんがそうするよ。あの糸でビュッてやる痛いやつ、あれもパパが教えたの?」
里美「あれは、ママが私にやるの、いつもやるの。パパは殴るだけなの」
私「じゅあ、ママにも合わなくていいよ、パパにもママにも会わなくていいよ、里美ちゃんはそれでいい?」里美は、思い切りブンブンと首を縦に振った。

疲れ切った里美を抱っこして、小さな体を揺らして“ヨシヨシ”していたら寝てしまい、2人を布団に運び、息子たちに連絡を取った。

数日後、時間の都合がついた息子2人(次男/警察官で空手2段、三男/高校教師で、空手初段)を伴って、里美のアパートを訪れました。前もって連絡を入れていたので、里見の両親は揃って居ました。挨拶する暇もなく、ご両親は「娘を返せ」と、怒鳴って来ましたが、息子2人が身長2メートル越え、加えて、私も170メートル体重トトロ並みなので、怒鳴り声は小さく震えている。

私は目の前のパパに聞いた「何故貴方は自分の娘に、自分の娘の殺害依頼をしたの」すると、ママが答えた。「仕方ないのよ、家賃の更新があるの、この辺じゃもう仕事無いし、借金だってあるのよ」すると警察官の息子が、テーブルをバンッと叩き、「保険かよ、チビを保険に入れたんだな!幼児が溺れて死んだら、保険はすぐに降りるもんなあ!」教師をしている息子が「次の保険の支払いが来る前に、やらせようとしたんだな!だから毎日毎日、里美に脅しをかけて急がせたわけだなァ」テーブルを持ち上げそうになる私を、息子たちが必死に止めてくれた。息子を連れて来て良かった。

結局、親権放棄・接近禁止などを約束させ、変な行動を起こさせないために、まとまったお金を渡し、遠方に引っ越してもらった。


時は過ぎ

小型の台風が此所に到達するらしい、海側のバルコニーに立つと風は湿った雨の臭いがした。遠く海の向こうの方は空が真っ黒だ。駅まで車で迎えに行こうと思っていると、タクシーから娘たちが降りて来る。強風に睦美が里美を抱える様にして来る。もう子供じゃないってことか。バスタオルを用意して待つと、女子大生の里美と、それよりも頭ひとつ大きくなった中学生の睦美が。ワーキャーと笑い、滴を垂らしながら帰って来た。

2人は親に似ず美人だ!水も滴る美人である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?