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バス停とオムライス

都心から遠い田舎駅、その駅前で喫茶スワンを経営しています。お客様は多くても日に20人ほどで、人の少ない地域なのでその客は、常連さんばかりでした。それが近頃、森のあたりに大規模な施設ができるらしくて、現場へ向かう、ガタイの良い方達が度々食事や休憩に来られます。特に、現場監督の田岡さんは、カツ丼が大変気に入ったようで、10人ぐらいで来て全員カツ丼と飲み物といった具合で、嬉しいテンテコ舞いも又、度々でした。

ある夜、終電も過ぎて、店じまいをしていると、田岡さんが見えた。「マスター悪いけど夕飯いいいかな?」もちろん悪いわけがない、テーブルの準備をして、水を二つ用意する。田岡さんは女性を連れていて、女性は小さな子供を連れている。3歳ぐらいで、可愛い男の子だ。カツ丼二つオムライス一つ、オレンジジュースとコーヒー二つ。一度片付けてしまった台所だったので手間取り、会話を少し聞いてしまった。「食事したら送っていきますから、もう来ないでくださいね」「いやです!雄太には父親が必要です」「でも、佐竹は父親じゃないですよね!奴は貴方と付き合ったこともないと言ってるんですよ」 雄太くんはチラチラこちらをみてくる。急いてオムライスを作り、持って行った。大人2人が無言で食事する横で、雄太くんは大騒ぎ、「これ、美味しいよ!ママ少しあげようか?いいの、僕全部食べちゃうよ」だって、ケチャップまみれの顔で言うんです。ジュースおかわりサービスしちゃおう。器を下げコーヒーを出すと、大人2人の話し合いは、白熱しており、2人揃ってタバコを吸うので雄太が可哀想でした。サービスのジュースの氷をカラカラ言わせて雄太に合図を送ると、エイッと椅子を降り、タバコの煙から逃げて、コチラに来た。後ろで田岡さんがチョットこちらに会釈を送ります。温かいタオルでケチャップを拭き取りジュースを飲む雄太を見ていると、別れた娘を思い出す。前妻も娘も元気で幸せなのは分かっているのですが、雄太くんの幼い横顔を、チョット懐かしく見続けてしまうのです。

遊び下手のおっさん相手に、満腹な雄太がウトウトし始めた頃、話終わった2人が会計を済ませ、田岡さんは頭を下げつつ母親は雄太を抱えて去って行きました。遠のくテールランプを見送ってから、店の灯りを落としました。

それから、暫く経った早朝。田岡さんが佐竹さんと2人で、来店しました。その時にお二人がしてくれた話です。

雄太君の母親の小島紗子さんは、前の現場の食堂の人だった。他に店のない地域だったので、全員が、そこで食事をしていた。店員は3人居たがその1人が紗子だった。当時店員の名前も知らなかったが。チョロチョロしている雄太は、みんなの人気者だった。雄太は特に佐竹に懐いて、遠くからでも見つけると「サタケェー」と叫んでブンブン手を振っていた。

そんな工事も終わり、次の現場が此処だったのです。先週、親子は現れたのです。午前のバスで来て、佐竹に弁当を持ってきたと言うので、現場は動きが止まってしまいました。佐竹は絶対受け取らないと拒否したのですが、紗子さんは大泣きして座り込み、足元には、疲れて泣いている雄太君がいます。本当に困ってしまいました。前の職場で、紗子は佐竹に結婚してほしいといってきたのです。理由は好きだからでは無くて、雄太が懐いているからだそうだ。彼女の言い分は、「雄太には父親が必要なの、どうして分かってくれないの」だった。何度断っても承知しなくて、いつも佐竹の定食のオカズだけ一品多く、佐竹はそれを必ず残していた。そうしているうちに、前の工事最終日が来た。困り果てた佐竹は、みんなのいる前で、はっきりと、この申し出を断った。部屋にまで来ると言う、余りの執念さに俺たちを証人にしたつもりであった。紗子は泣きながら頷き、納得したと思ったのです。そして現在、親子は毎日バスでやってくる。現場監督の田岡さんに説得してもらったが埒が開かず、結局、彼1人別の現場に行くことになった。佐竹さんは朝の5時に、リクエストのカツ丼を食べ尽くし、お世話になりましたと、私に頭を下げてくれて、4トントラックで去って行った。田岡さんはコーヒーの残りを飲み干すと、少し寂しそうに森の現場へ出かけて行った。翌日の昼、午後からの臨時作業の人たちで店は満員に近かった。「カツ丼とコーヒーね」「カツ丼とあとハニートーストね」「カツ丼と…」カツ丼が大人気だ。

喧騒も過ぎ、片付けも済んで、窓際の席で2人の常連さんが静かにコーヒーを飲んでいる。自分の分のコーヒーを入れ、ゆっくり味わいながら常連さんの方へ歩き出し、ふと窓の外を見るとバス停に雄太君が1人で座っている。バスはあと2時間も来ない、ドアを開けて外に出てみるが、ママが見当たらない(置いてけぼりカヨ)、雄太を見ると泣いていたらしく涙と鼻水でグショグショだ。雄太君と声をかけると目が合ったが、すぐにツーンと顔をそらす(不機嫌ということネ)そこで、氷入りのオレンジジュースを持ち、ドアから覗かせてカランと揺すって見せた。すぐにトテトテと走ってくる。

ジュースを持って常連さんに手招きされ、椅子に座って「あとオムライス」だって、(あと)って何だよと思いつつ、旨いもの覚えていたかと嬉しくなって、イソイソとオムライスを作りました。特急で持っていくと常連さんに鼻までかんでもらって、綺麗な顔になっていました。一生懸命食べている雄太を見ながら、どうしたらいいのか困ってしまった。工事現場も田岡さんの連絡先も知らないのだから、人影まばらな周辺には、紗子さんの姿は見えないし、雄太は「ママはバスで行ったの、ここに座っていなって言ったの」って言ってる。常連客に相談すると、夕方まで待って誰も来なければ、警察呼ぶしかないけど、終バスまでにはママが来るとは思うがネ、私もそう思うので、雄太は店で遊ばせておいた。日も落ちて、食事に来ていた常連が「あれ今日は現場の連中、来てないんだね」と言った。夕飯時は修羅場なのに、変だなと思った。終バスはあと20分ほどだ。かけ回っていた雄太だが、今は、暗い窓の外のバス停あたりを大人しく見ている。心細くなったかな、甘いものでも作ってやろうかなと思っていると、会計をしようとした常連さんが3人ガタッと尻餅をついて、雄太を指差している。雄太は窓に向かって立ち、こちらに背を向けている。横に回り込んで見ると、暗い窓ガラスに雄太が写っていて、その向こうにバス停がある。窓に映った雄太の指が、こちら側の雄太の指に少しずつ絡んできている?モゾモゾと動き、ガッシリと絡んでしまった。思わずスッ飛んで行き、指のあたりのガラスをバンバン殴った。雄太を抱えて、窓から離すと、ドアと窓がブーンと唸り、ガタガタガタッと大きく鳴った。思わず「バカヤロウ」と怒鳴ると、ピタッと静まった。腰を抜かしていると、固定電話が鳴り響き、その音に4人とも飛び上がってしまった。電話は田岡さんからだった。「急にすまんね、警察から頼まれたので、スワンの電話番号も調べてくれたものでね」はい、でなんでしょうか?「今日こっちで大変なことがあってさ、もしかしてだけど、今日紗子さん達親子を見かけてないかい?」雄太なら今ここにいますよ。バス停に1人で座っていたんです。紗子さんは見ていません。と言うと「直ぐ行く」と言って電話は切られた。直ぐにパトカーが2台も来たので驚いて、常連客たちが集まってきた。田岡さんは、雄太に駆け寄ると、生きててよかったと床に座り込んでしまった。田岡さんと、警察官から聞いた話はとんでも無かった。

工事現場は、午後から人手も増やして大掛かりなものになっていた。それぞれの作業位置について安全確認をしている時、関係者以外立ち入り禁止の看板のあたりから、騒ぎが起こった。皆が指さす方を見ると作業場の高い塀の上からまるで、覗き込むようにして、人がぶら下がっていた。塀に隣接した外の電柱で首を吊ったようだ。警察と救急車が呼ばれ、降ろされたご遺体は、紗子さんだった。作業員の間で、雄太は?と言う声が上がり、警察と協力し、周りの森、橋、徹底的に探したが、雄太が見つからなくて、今日は1人で来たのかもしれないと言うので、バス停前のスワンに電話が来たわけでした。雄太無事の知らせを聞いて、取り敢えず皆ほっとしたのです。

警察の人が、雄太を連れて行こうとするが、雄太は大暴れした。「ママがここで居ろと言った、みんな帰ってよ!1人で待ってる」と身を捩って騒いだが、婦人警官にヒョイと抱えられパトカーで行ってしまった。遅れに遅れた工事に、夜間作業をすることになったと言って、田岡さんは40人分のカツ丼を積ん行った。警察官が去り、誰もいなくなった店内で1人片付けをして、消灯前に、あの入り口横のガラス窓に立ち、暗いバス停を見た。腹がたった。腹が立って仕方なかった。もう一度バス停にむかって、バカヤロウと叫んだ。


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