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『死についての思索』マガジン

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死について考える日常の思惟。 これはいわゆる「おれは、いつ、どこで、どうやって死ねるのだろうか?」といった退屈な実験的実践的文章であり、ある日突然おとづれる、その、不意打ちの打…
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2023年8月の記事一覧

死についての思索(36)---没入は死への欲求とセイムである。

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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10か月前
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死についての思索(35)---私は笑いの連続体である

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(34)---社会は無数の個人を殺害しながら無限に肥えてゆく

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(33)---殺戮すべきは『己の阿呆』である

 今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、ど…

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死についての思索(32)---業績への熱意は実に生命的である

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(31)---芸術的人間は生命の逸脱者である

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(30)---その、世界、の無数の跨ぎ越しによって、世界を平らにせよ

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どうやって、いつ、どこで、だれと、死ぬのだろうか?」 ということは、私にとって一番重要な問題である。 そして、もちろん、死の問題は、あなたにとっても重要な問題であるはずだ。なぜなら『あなたも、いつの日か、どこかで、だれかと、どうにかして、その、死、を跨ぎこさなければならない』からである。 私は、死についての問題を過去の文章を引用しながら、加筆的に思索する。 そうして、いわば意図的に、過去

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死についての思索(29)---芸術家は、今、己の首を締め上げなければならない

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(28)---その、あなた、のそばに蔓延っている有害者

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(27)---死に在っている、と、生き在っている

 今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、ど…

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死についての思索(26)---「コギト・エルゴ・スム(Cogito ergo sum)」

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(25)---われわれは、つねに、すでに、もう、死にたがっている

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(24)---幽霊への挑みと幽霊への身売り

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どう…

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死についての思索(23)---私の首は、おそらく天翔けるであろう

今日も私は正直に語らねばならぬ。 正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。 「私は、どうやって、いつ、どこで、だれと、死ぬのだろうか?」 ということは、私にとって一番重要な問題である。 そして、もちろん、死の問題は、あなたにとっても重要な問題であるはずだ。なぜなら『あなたも、いつの日か、どこかで、だれかと、どうにかして、その、死、を跨ぎこさなければならない』からである。 私は、死についての問題を過去の文章を引用しながら、加筆的に思索する。 そうして、いわば意図的に、過去

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