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猫の日なので

子どもの頃に飼ってた猫の話をしよう。

彼女は三毛猫で「ニッコ」という名前だった。

誰がつけたのかはわからないけど、いま思うと、祖父だったのかもしれない。
明治生まれの祖父は訛りが強かったので、「ネコ」→「ネッコ」→「ニッコ」になったのかな?
そんな祖父は猫が嫌いだった。
父も母も猫は好きではなく、ニッコを可愛がっていたのは祖母とわたしくらいのものだった。

…書いていて思う、ニッコ、なんでこんな猫嫌いばっかの家にいたんだよ…。

ニッコは賢くて、自分を嫌う人間には近寄らなかった。
でも、祖母やわたしには気を許してくれていたように思う。
呼ぶと必ず来てくれたし、まだこどものわたしに付き合ってくれた。
母親も言ってたが、わたしがニッコと遊んだのではなく、ニッコがわたしを遊ばせてくれてたらしい。
とても大人な猫だった。

ニッコは飼い猫ではあったけど、家猫ではなく、庭の隅っこにあった物置に棲んでいた。
猫は家につく、というけど、そのとおりで、祖父が家を建て替えたときに出て行ったきり、入ってこなくなったのだそう。
物置は昔のままだったので、祖母が仕方なくニッコのお気に入りの毛布などを入れた段ボールを置いたら、そこに棲むようになったそうだ。

さっき「ニッコは呼ぶと来てくれた」と書いたが、家の中にいるわけではないから日常的にどこにいるかわからない猫だった。物置の中の寝床を覗いてもいないことが多かった。
なのに、わたしが庭に出て「ニッコ〜、あそぼ〜?」と声をあげるとどこからともなく現れた。足元に寄ってきて、撫でさせてくれた。抱っこもさせてくれた。
時には、子猫たちを連れて現れ、わたしが子猫を触ることを許してくれた。その時の写真がアルバムに残っている。寛大な猫だった。

ちなみに、庭がとても広くて、池があって鯉が何匹も泳いでいて、池を囲むように小さな丘になっていて、丘にはいろいろな木々が植えられていて、小道もあってよくそこで登ったり下りたりして遊んだし、池にも何度か落ちた幼少期だった。

…趣味がもう成金…

今はもう、池に落ちたわたしを助けるでもなく大笑いしていた祖父も、たまに姿が見えないと思っていたら子猫を連れて戻って庭の隅っこで子育てをしていたニッコもいない。家もないし池もない。

もう一度会えるなら、ニッコと仲良くなった祖父を見てみたいものだ。


あ、トップ画像は鳥羽水族館のスナドリネコ。
ずっと動き回ってたからちょっとピンボケしてるけど躍動感に満ちている。

いつか猫を飼いたいと思っているけど、飼う時はキジトラがいいな。
(三毛じゃないのかよ)

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