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「さん付け」でいいじゃないかって思うんですが、どうなんでしょう?

先日NHKで、ある市役所が名札を「漢字」のフルネームから「ひらがな」の名字のみに変更したというニュースが流れていた。市長の名札も名字をひらがな表記することで、名字で呼んでもらいたいとのことだった。

利用者から親しみを持って欲しいということに加えて、個人の情報を最低限にすることで後々の「カスタマーハラスメント」から職員を守るという理由もあるそうである。いずれにしても大いに良いことだと感じた。

表記がひらがなになって相手を呼びやすくなると、その呼び方は当然「〇〇さん」となる。そこで本題の「さん付け」の話である。

職制で呼ぶ文化

会社や自治体などの組織には職制があるが、わたしの前職では上司を呼ぶ時にはその役職で呼ぶのが一般的だった。「〇〇部長」とか「〇〇室長」などである。中には、名前を呼ばずに、「部長」や「室長」という具合に職制のみで呼ぶ社員もいた。

ちなみに、私は前職に在籍していた約20年間、ずっと「さん付け」で通した。それは、最初に入社した企業の文化がそうだったからである。つまり、私は会社で働いた約40年間を通して「さん付け」だったということだ。

「さん付け」運動

メールも、社内向けの書き出しは「〇〇 部長」や「〇〇 室長」などではなく、「〇〇さん」だった。そんなある日、世の中の動きをうけて、社内で社員の「さん付け」運動のような話が持ち上がった。そして、すぐに私のところに本社の総務部から意見をもとめるメールが届いた。

「『さん付け』で呼ぶことをどう思いますか」と聞かれて、「役職に関係なく意見を交わすための基本ではないか。呼ばれている役職者がこれを拒むのであれば、それは自らの役職に固執しているという情けないことである。」という主旨の返信をしたことを覚えている。

その後驚いたことに、この「さん付け」運動が経営会議にかけられたと聞いて、呆れて開いた口が塞がらなかった。どれだけ暇な会社なのだろう。

そしてこの「さん付け」運動が、経営会議で否決されたというのである。その理由が「役職で呼んで欲しい役職者もいるから」だったそうだ。開いた口は完全に地面に着いた・・・。

ギフォード・ピンチョー著・訳)清水紀彦
「企業内起業家(イントラプルナー)」

ギフォード・ピンチョー著・訳)清水紀彦「企業内起業家(イントラプルナー)」の中にゴア・アソシエイツ社(現在のW. L. Gore & Associates社)のことが記述されている。

「ゴア・アソシエイツ社でリーダーを見つけるのに苦労はいりません。人が自然にリーダーについていくのです。」と創設者のビル・ゴアは言っている。こんな簡単なことができるのはゴア・アソシエイツ社では、管理職を無理に作り上げずに、その代わり自然にリーダーが生まれるように努めているからである。ここでは、普通の組織にあるような権威の飾り物は存在しない。それぞれの「従業員」は、全て仕事仲間(アソシエイツ)なので、肩書きがひとつもないのである。

ギフォード・ピンチョー著・訳)清水紀彦「企業内起業家(イントラプルナー)」

また、こんなエピソードがある。

ゴア・テックスの開発に行き詰まり、デュポン社から引き抜かれたピーター・ギルスンが出社当日に自分の肩書は何かと質問をするとビルは「もちろんアソシエイトさ。みんなと同じにね。」と答える。ピーターが「じゃあ、人には私のことをなんと説明したらいいんですか」と重ねて尋ねると、ビルは「ピーター・ギルスンだと言ったらどうかね。」と答えた。そして、納得がいかないピーターにビルはこう言う。

「みんなのところへ行って、六ヶ月だけ彼らの言うことに耳を傾け、観察するんだね。そして、君によい考えがあるときは、提案をだす。もし私の見込みどおりならば、六ヶ月か八ヶ月もすれば、きみのことを、グループを率いて問題を解決する適任者だとみんなが認めるようになるさ。」
そして、そのとおりになった。

ギフォード・ピンチョー著・訳)清水紀彦「企業内起業家(イントラプルナー)」

まとめ

この話は極端な例かもしれないが、自らの役割をそれぞれの社員が見出し、それを周りが認めるような組織には「肩書き」などはいらないと言う点は大いに納得する。

逆に肩書きにこだわる社員で構成される組織とは、それぞれの活動に自主性がなく、全ての社員がやらされ感で動いている鈍重な組織ではないだろうか。

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