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思い出したくないけど、思い出してしまう忘れ物の思い出

先日放映された民放ニュースの特集で、私鉄の忘れ物センターの一日が紹介されていた。その量と種類の多さには驚くばかりだ。そしてそれらを丁寧に処理してお客様に返している担当者の方々にはまさに脱帽の思いである。

中でも興味があったのは、AppleのAirTagを入れておいた財布に関するエピソードだった。

紹介された忘れ物センターは大阪の鶴橋にあるのだが、忘れ物を探しにきた人は奈良から来たという。自宅からAirTagが信号を発した場所を頼りに忘れ物センターにたどり着いたというではないか。

果たして忘れ物センターでiPhoneからAirTagを鳴らすと、忘れ物の中でAirTagの音がしたのだ。

AirTagはそういうものなので、当たり前といえば、当たり前なのだが、目の当たりにすると少なからず驚く光景である。

ちなみに、見つかったのはAirTagだけで、じつは財布は落としたと勘違いしていたというオチがついていた。

ところで忘れ物といえば、私は人のことは言えない。私も30年以上前に大事なものを新幹線の車内に忘れて、関係者に大いにお世話になったのである。

当時私は、派遣業を主業とする会社に勤めていた。その会社には、「派遣部門」以外に「受託部門」があり、そこでは人を派遣するのではなく、企業から受託した案件を社内で対応していた。私はその部門に所属していたのである。

ある時私は、横浜にある計測装置製造会社から依頼された、新しい計測装置のデータ処理基板の試作品の製作を担当した。担当は二人で、私がハードウェアを担当し、もう一人がソフトウェアを担当した。

「受託部門」への依頼は、大概が短納期案件であり、納期前になると徹夜で仕上げるのが常だった。

そしてその日も徹夜で基板を仕上げて仮眠と取った後に、大阪市の谷町四丁目の事務所を横浜に向けて出発した。前泊の予定だったので、時間には十分に余裕があった。

新幹線内ではゆっくりとくつろぎ、前日の疲れもすっかりとることができた。これで、翌日からのお客様への納品も気持ちよくできそうだ。

新幹線が新横浜に到着し、私たち二人はホームに降りた。やがて扉が閉まり、新幹線は東京に向けて動き出した。その光景をぼんやりと眺めながら、階段に向かって歩き始めたその時、もう一人の担当者が私に、「納品する基板は?」と尋ねた。

「えっ?」と自分が持っている荷物を確認して、私は青くなった。

基板を入れていた手提げ袋がない。新幹線の荷物棚におき忘れたのだ。

慌てて乗務員室に行き、忘れ物をしたことを伝えて、東京駅(もしくは新幹線)に連絡を入れてもらった。そしてしばらく待った後に、無事に荷物が確保されたとの連絡が入った。

よかった・・・・

もしも基板が紛失していたら、何のために横浜まで来たのかわからない。いやそんなことよりも、もう一度製作するとなるとお客様の納期に多大な影響を与えてしまう。本当に見つかってよかった。

私たちは新幹線で東京に移動し、東京で無事に試作品の基板を受け取ることができた。そして心の底から安堵した。基板を保管してくれていた方に何度もお礼を伝えて、乗務員室を後にした。

当日のホテルは横浜にとっているので、基板を大事に抱えて、もう一度新幹線で横浜に移動するため下りのホームに移動した。

そして、そこに停車している下りの新幹線に乗った。新幹線の壁にもたれて開いた扉の外を見るでもなく見ていると、乗車した新幹線の停車駅を見ていたもう一人が、あわてて私に向かって叫んだ。

「この新幹線は新横浜には停まらんで!次は名古屋や!」

その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、発車の合図がホームに鳴り響いた。二人は慌てて扉から外に飛び出し、同時に扉が閉まった。

全く何をしているのやら。全て私のミスである。

もう一人がいなければ、基板も無事に手元に戻ってきたかどうかわからない。そして、もしも基板が返却されたとしてもその後には、意味もなく名古屋と新横浜を往復しないといけなかったのだ。

忘れ物をしないようにその場を離れる際には、持ち物を確認する。また、思い込みで行動しない、などこの日に得た教訓は大きい。まるで子供のような話でお恥ずかし限りだ。

ところがそんなことを経験してもなお、私の忘れ物ぐせは治らなかったのである。その話はまたいずれ。

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