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短編小説を読む⑩

カバンにさっと入る厚さの文庫本が好きで、気ままに集めていました。目安は大体200ページくらい。

年をとり、目が悪くなって小さな文字が読めなくなる前に、持っている本を読み切りたい!そんな思いから、少しずつ、文庫本を読んでいます。

今回読んだのは183ページの本。三編の短編小説が収められています。

『蛇を踏む』
川上弘美
文春文庫


ある日ミドリ公園に行く途中の藪を歩いていたサナダさんは蛇を踏みます。

「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。
「踏まれたので仕方ありません」
今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。

はじまりから、もうすごいです。
踏まれた蛇が喋りだし、人間になるというのは本当は不気味なことだと思います。幻想的な話になるかと思うとそうでもなく蛇が踏まれると人間になるのは昔から決まっていることのようにサナダさんは女を見送っています。

家へ帰ると、やはり女はご飯を用意しており、「私はヒワ子ちゃんのお母さんよ」というのです。ここではじめて読者は彼女がヒワ子という名前だということを知るのです。蛇が全て知っているのです。

蛇を踏むということは蛇と契りを交わすことなのでしょうか。蛇は50過ぎくらいの女なので、50過ぎの男に踏まれたら妻だというでしょう。同性だから親子になったのでしょうか。

とにかく変な世界なのにヒワ子も、蛇に取り憑かれたようになってしまう勤務先の数珠屋の奥さんのニシ子さんも普通に社会生活を送っているのです。
川上弘美の作品の面白いところは、気持ちの悪いような不思議なようなことがぬるりと日常に入ってくる、それを平易な言葉で淡々と書いていることだと思います。その世界を当たり前に私も受け止めます。受け止めて、いつも気持ちよくなるのです。

ヒワ子は、蛇が化けた女と首を絞めあいながら部屋ごと流されていきます。女はどうしても、ヒワ子を蛇の世界に連れていきたいのです。
「踏まれたらおしまい」というのは、自分もおしまいだけど踏んでしまったヒワ子もおしまいだという意味でしょう。

藪を歩くときは蛇を踏まないよう気をつけようと思いました。



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