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わたしがやるのー、の威力

我が家の観葉植物さん。

まぁまぁ大きめのシマトリネコさんがいます。
正しくはシマトネリコ…なのだけど、もうそこはネコってことになってるので。(我が家だけ)

毎日お水をあげてかいがいしく世話をしているのだけど、私が。

最近世話をやくという作業を趣味にしている長女(本人に自覚はない)
が「わたしがやるのー」と言い出しまして、まぁじゃあ水あげてみてとなりました。
この時点でわたしはぜったい絶対こぼす!!!

と思っているわけですね。だがしかし、
「ダメ」
「こぼすから」
と言う勇気もなく。

結果、じょうろからこぼした…。
だろうよ。ですよね。想定内。
雑巾持ってきておいてよかったーって話。

同じようなことってたくさんあって。1人で着替えたい、自分で牛乳つぎたい、卵割ってみたい、髪の毛切ってみたい、あげく眉毛切っちゃダメ?とか。
やめたまえって思うこと多々。
眉毛に関しては全力でとめたけれども。
あやうし。

どうして即答オッケー!できないのかなって考えた。
結論
わたしの時間が削られるからだなという事実

勝手にやって、勝手に失敗して、勝手に落ち込むならいいんだけど、それが結局後始末として自分に降りかかってくる。
朝の1秒でも無駄にできない時間に、おむつ女子にうんちーって宣告されたときみたいな気持ち。

おおぅ。まじか。激震。撃沈。マッハ対応。

でもこれは起きた事件に対してスピード対応するのみ、な案件。

一方、子どもがやりたいって言うことは高確率で失敗案件。
それの尻拭い、メンタルケアがめんどくさいんだなって気づき。

もー!だから言ったじゃん!
いらいら…

いや、言ってしまう。使ってしまうよ。人間だもの。

じゃあこれをどう緩和すればいいのかしら。むずい。

フルパワーなんだよね。やつらは全部のことに全力、全開で対峙していて、
でも大人はエネルギーの無駄遣いだからどうでもいいことに全集中はやってられない。
省エネ手抜きでいきたい。

お互いの時間と心のゆとりが優しい気持ちを生むなら、5分だけ付き合ってあげようとか決めればいいのかな。
その5分を捻出するのも厳しいときはたくさんあるけれども…

あー、難しい。