ニッケコルトンプラザ


 ここには昔、コットン工場があった。その工場が潰れたのか潰されたのか知らないけれどなくなって、ショッピングモールのニッケコルトンプラザができた。なくなった工場の名残を冠したショッピングモールというのは、幽霊的な感じがする。JR本八幡に、なんとなくノスタルジックなデザインの広告があるニッケコルトンプラザ。駅の北口から無料バスが出ていて、暑い日なんかはバスに乗るための長蛇の列ができている。本八幡の駅前にはスーパーもドラッグストアも、ミスタードーナッツもマクドナルドも服屋も靴屋もあるのに、なぜコルトンプラザに行くのだろう。一つは映画館があること。ふかふかの床のシネマ・コンプレックスで、キャラメルポップコーンの香りがして、行き届いた空調、きれいなトイレ、スピーカーと大きなスクリーン、座りやすい椅子で映画が観られる。
 映画を観ることが一種の現実逃避であるように、ニッケコルトンプラザ自体が映画のような、普段とは違う現実がある場所なのである。まず、モールの中にいればずっと暑くないし寒くない、雨にも降られない。そしてフードコートでサブウェイのサンドイッチを食べて、最終閉店セールの靴屋を冷やかす。強い自分の意志で決めた欲しいものなんてほとんどない場所だからこそ、これまでの自分を自分たらしめていたこだわりから解放される。モールに用意してあるものの中から選ばなくてはならず、ついそのゲームに参加してしまう。それに、四方を壁に囲まれている天気さえわからず、このモールの外にある無数の選択肢を想像させにくい。

 休日にコルトンプラザで映画を見て、帰りに下のスーパーで夕飯の材料を買う。何か特別なものを食べるわけではないけれど、これでコルトンプラザの物語の中に取り込まれた一人になれる。
「涼しいし、ついでだから買い物していこう、コルトンプラザで、バスで帰ろう、駅まで連れってくれるからさ」
 建物自体は古いけれど、メンテナンスが行き届いているため清潔感があり、フードコートでは何杯でも冷たい水が飲めて、テーブルを清潔な台拭きで拭けて、手を洗ったら紙ナプキンでしっかりと水分を拭える。七夕になれば短冊に願い事を書き、夏になれば子供たちが噴水ではしゃぎ、冬にはスケートリンクやイルミネーションも楽しめる。それに、コルトン会員になればお得な特典も受けられる。
 ここがまだコットン工場だった頃の、従業員たちの魂の片鱗を想像する。ここで働いていたある人はどんな環境でどんな仕事をして、どんな暮らしをしていたのか。同じ土地に建っているというだけなのだけど、ショッピングモールのニッケコルトンプラザにとって、ここがかつて工場だった頃のエピソードは欠かすことのできない要素である。そのエピソードと、正面入り口の特徴的なアーチ状の看板が、ただのショッピングモールに小説のような含みを感じさせ、それによる影響を想像させる。そしてそれこそが、コルトンプラザ特有の不思議な魅力の根源なのではないだろうか。

 ある時、YouTubeでフードコートで食べまくるという動画にたどり着いた。巨漢の大食いユーチューバーに、ここでいくらでも食べてくれと言う企画で、その場所がコルトンプラザだった。数多あるショッピングモールのフードコートの中からここが選ばれたことに、私はどうしても運命を感じてしまった。コルトンプラザのマックで食べまくり、コルトンプラザの丸亀製麺で食べまくり、コルトンプラザの銀だこでも食べまくっていた。結局、コルトンプラザのほとんどの飲食店を制覇していたような気がする。なぜ、コルトンプラザなのか。このユーチューバーの地元なのだろうか。それとも、ここしか撮影の許可が降りなかったのだろうか。動画の中のコルトンプラザは、閑散としていた。平日なのだろうか、人もまばらなフードコートで撮影される大食いの傍ら、女子高生のグループがおしゃべりしているのが写り込んでいた。

コルトンプラザに行っても映画を観ないとしても、作品の広告が目の端に映るだけでもいい。違う自分になって、その自分がさらに別の世界を許容することになるかもしれない。自分がなくなった世界で、生活用品ばかりが増えていく。駐輪・駐車スペースも広々としている。踊り場も広く、スピーカーからはショッピングモール特有の軽い音のBGMが流れ続ける。踊るのに適した広さがある。よく聞くと何かしらの曲になんとなく似ているような気がする。しかし誰も踊らない。コルトンプラザは、大き過ぎず小さ過ぎない、ちょうどいい大きさの地域の皆様に愛されるショッピングモールとして、老朽化に耐えつつ頑張っている。

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