#127_利益は健康な体から出るウンチである

先日紹介していただいた、長野の伊那食品工業の社長の著書に書かれていたのがこの言葉である。

日本にある企業の99%は中小企業。
わたしが住む県でも、その事実は変わらない。
日本経済を支えてきたのはこのような中小企業である。

著者で社長の塚越寛さんは、このように問い続けている。
「会社とは何のためにあるのだろうか。」
「会社にとって成長とは何だろうか。」
これは、学校現場でもそのまま活用できる問いだと思った。

「学級とは、何のためにあるのだろうか。」
「学級にとって、成長とは何だろうか。」
わたし自身がこれを問い続けることが、そのまま学級づくりの柱になるように感じた。

子どもたちにとって、幸せとは何だろうか。

二宮尊徳の言葉に、こんなものがあるそうだ。

遠きをはかるものは富み
近くをはかるものは貧す
それ遠きをはかる者は百年のために
杉苗を植う
まして春まきて秋実るものにおいてをや
故に富有り
近くをはかる者は
春植えて秋実る物おも尚遠しとして植えず
唯眼前の利に迷うてまかずして取り
植えずして刈り取る事のみ眼につく
故に困窮す

二宮尊徳

子どもたちにとっての幸せは何だろうか。
やりたいことをやることが幸せなのだろうか。
やりたいことが、未来を創ることに繋がったとき、きっとそこに幸せがあるのだろうと思う。

だからこそ、一人一人の好きを見つめたい。
一人一人の個性を見つけたい。
子どもたちの幸せを求めることと、子どもたちの未来が繋がる学級づくり・学年づくり・学校づくりがしたい。

きっとこれが、わたしの幸せ、なんだな。

「利益は健康な体から出るウンチ」
この例えは秀逸だと思う。
ウンチを目的にしてはいけない。
でも、健康であれば毎日出る。
これがウンチである。

学校現場にとっての「利益」とは何だろうか。

これはきっと、学力であり、仲のよさであろう。
学力を上げること、子ども同士が仲良くなることが目的ではなく、一人ひとりの個性を生かして響き合う教育ができていたら、これらも相関的に上がっていくのだと思う。

幸せを希求した先にみえる未来。
このnoteを綴る先に、子どもたちとわたしたちの幸せの交差点が見えることを願ってやまない。



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