#56_学びの二日間(その2)

25日はKETA(関西教育工学研究会)
「子どもの学びとICT活用を問い直す」というテーマ。
家庭事情で15時過ぎまでしかいられなったけれど、堀田博史先生の(ギャグを交えた笑)ご講演と実践発表3本は本当に聞き応えがあった。

堀田先生の講座は、時折問いを投げかけながら進めてくださった。
「”学びに向かう力”を低学年でもわかるように説明してください。」
「ふり返りは、何をどのようにできたらよいのか?」
「自由進度学習を支えるものは何か?」

うちにも5歳と2歳の子どもがいるけれど、幼稚園での学びの具体をじっくり見たことはない。
堀田先生のお話から、幼児教育で既に探究的な学びの基礎を築いている実態と、その幼児教育と小学校の学びを繋ぐ架け橋をつくることが急務である事実が見えてきた。

うちの子たちが通う幼稚園は、園長先生が「非認知能力を育むことを何より大切にしています」と断言している。
生き物を飼う、野菜を育てる、遊びを通して多くの友達と関わる、土や泥にまみれて遊ぶなど、子どもたちの原体験を何より大切にしていること。
安心の基盤となる愛情を常に注ぐこと。
けんかも学びの一つだから、すぐに仲裁に入るのではなく、時に見守り様子をみること。
異年齢集団との関わりも意図的に設けて学ぶ機会を幅広くつくっていること。

そして、子どもたちの力を最大限伸ばすためにも、先生方にマスクはしないように伝えているそうだ。
幼児期の子どもたちの多くは、相手の感情を顔全体から読み取る。
表情が見えなくなるマスクは、インフルエンザよりもコロナよりも怖い、子どもにとっては害しかないとおっしゃっていた。

「学び」の語源は真似(び)、とは有名な話だが、子どもたちの学びは生活そのものだ。
出会う全ての人やもの、事象から学び続けている。
もし小学校で突然、「この時間はお勉強の時間だから座りましょう」「勉強は座ってするものです」と学びがスタートしたら、戸惑うのが当然だろう。

自分が今まで漠然と考えていたことが堀田先生のお話と繋がって、とても学び多い時間だった。
ここで偶然出会えた、武庫川女子大学の藤本勇二先生にも心より感謝。

個人発表は、矢島義嗣先生・松下翔先生、今度珠美先生の3名。
3名の先生方、どの内容も刺激的だった。
矢島先生は、学校を上げた個別最適・協働的な学習について。
心地よさそうな子どもたちの姿がとても印象的。
松下先生は、年間を通したデジタルとアナログを融合した学習について。
熱の入ったお話に、今まで積み重ねてきた努力がみえる。
今度先生は、デジタル・シティズンシップ教育の事例について。
バイスタンダー(傍観者)ではなく、アップスタンダー(行動者)に。
最後に「自分はどう行動していくか」を示すことで、見えてくる自分の未来。

デジタル・シティズンシップ教育は絶対必要だと思うんだけど、教育課程への位置づけが課題。
「どう行動していくか」を示す時点で道徳科に直接導入することは難しいが、年間通してモジュール的に組み入れられたらいいなあと思う。
教育課程、足し算するのは簡単だけど、余白がなくなってどんどん苦しくなるのよね。
(現任校の今の教育課程では、学級活動が総合や行事に吸収されてしまってほぼできない。おかしいでしょ、この事実。)
文句を言っても仕方ないので、現場でできる活動を模索するしかないよね。

わたしは未だに、教育工学がよくわかっていない部分があるけれど、現段階では「教育活動の中でICT含めたデジタル機器を活用できる部分と思考し練り上げる部分を明らかにしていきましょ」ってことかな、と思う。
今回のお話を伺い、何でもありな部分もあるのではないかと思ってしまった笑
これからも学び続けます。

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