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『龍にはならない』第21話 行く先にソファ

 次の日は、魔女が朝からパンを焼いた。
 私は焼き立てのパンをただ食べた。それから二人で庭掃除をした。草むしりをして、花の名前をいくつも教えてもらった。
 二人でお昼を食べた後、私はリビングの掃除をした。ソファとお別れをするために。

「掃除をするなら、何もかも捨てよう」

と、魔女が言う。

「執着、していたのかもしれない。ここに夫と住むはずだったから」

 その夫は「あの電車」に乗って、あちらの世界へ行ってしまった。それからそのまま手を出せずに来たと言う。
 魔女と二人、屍みたいに置きっぱなしにされていたリビングのものを全てゴミ袋にまとめて、床を拭いた。

「きれいになりましたね」

 掃除を終えて、さっぱりしたリビングを眺める。真ん中のソファの存在感が更に大きくなった。

「私のソファだけ残りましたね」

 そういうと、魔女はにやりと笑った。

「私のソファ?」

 私は大きく頷いた。

「はい。私のソファです」

 魔女はふいにキッチンへ行くと、引き出しから箱を取り出し、私に渡した。

「では、これも差し上げます」

 箱を開けると、小ぶりなランタンが入っている。

「次来るときは、これを持ってきてください。魔除けになります」

「ありがとうございます」

 自然と笑みがこぼれる。魔女も笑っている。

 それからも私たちは穏やかに過ごした。言葉は少ないけれど、午後の少し強い風に揺れるカーテンも、庭のモッコウバラの黄色も、夕飯を作る魔女の後ろ姿もただ穏やかだった。
 夕方に根岸が来て、私は帰ることになった。別れはあっさりしていたけれど、それはまたすぐに会えることを、お互いにわかっていたから。

 あちらとこちらの狭間の世界から戻って私がしたことは、まず退職届を書いて、出すこと。それから部屋の掃除と、次に何をしたいか考えること。 
 自分はどうせ人から愛されない。
 そんな考えで人生の選択をするのを、やめること。だって、それは親の態度から私が勝手に感じて、信じたことだから。
 私の手はもう青くない。私は龍にはなれない。龍になって、空を飛ぶことはない。でも、きっと見えない翼みたいなものはあって、空を飛ぶみたいに自由な気持ちだ。だから、私は龍にはならない。両親に愛されなかったとわかって、腑に落ちて、それでようやく自由になれたなんて、ちょっと笑ってしまう。

 魔女や和馬には、毎週会いに行っている。他愛のない話をしに。根岸に連れて行ってもらっているけれど、きっとそれもなくなる。
 だって、今の私が選んた道は、あの家の、あのソファにつながっているから。


終わり
 

 

 


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