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『龍にはならない』第17話 盗むな
何で?
せっかく前に踏み出せそうだったのに。
仕事を辞めて、新しいことへ飛び出そうとした矢先に、何で?
光の塊は急速に密集して巨大な人型を作り上げると、私の腕を引っ張ってズルズルと家の外へと引きずり出す。突然のことに声をあげることもできず、ひたすら抵抗しようともがくと、巨大な人型から分裂したの幾つかの光の玉が腹や肩や脚にぶつかってくる。その鈍い痛みに気を取られ、体勢を崩すのを見逃さない。光の人型は力任せに私を引きずり、有無を言わせず出発してしまった。
「何しても無駄」
女の声がどこかから聞こえてくる。腹が立つけどその通りだった。暴れてもねじ伏せられてしまう。混乱、焦り、怒りは、体を強引に引きづられる痛みとともに恐怖と絶望へと変わっていく。
妖精の女の先導で光の人型は魔女の家の庭を通り過ぎ、田んぼへと向かう。私は目を疑った。田植えを終えた水田の真ん中を貫いていたのは線路だった。来たときにはなかったのに、1本の線路が田んぼの真ん中を突っ切ってどこまでも続いている。
私は引かれるまま、あぜ道を歩く巨大な人型に力なくついていくしかなかった。足を止めると光の玉が容赦なくぶつかってくるから、歩くしかない。立ち込める土の匂いと水の匂いに泣きそうになる。誰か助けて。でも、誰も来ないことはわかっている。何だかどうでも良くなってくる。
「そろそろだね」
風、もしくは水の妖精の声がする。今はもしかしたら光の妖精かもしれない。黙ってついていくと、田んぼの真ん中に駅のホームが現れた。すでにホームでは乗客が並んで電車を待っている。コンクリートのホームの端っこに普段鉄道関係者使わないような小さな階段があって、それをのぼってホームに立つと、影は一斉に私を見た。
影たちが口々に囁いているけれど何一つ聞き取れない。日本語に聞こえるのに理解できない。わかっているのは、これから電車に乗せられて、あちらの世界へ連れて行かれてしまうことだ。
「どうしてこんなことをするんですか?」
ご機嫌な様子でフワフワと宙に浮かぶ妖精に向かって、巨大な光の人型に拘束されたまま訊ねる。
「今の生活に不満でもあるんですか?」
ここまできたら本当のことを言うだろう。私は本当のことを聞きたかった。
「生き返りたいだけ」
妖精の女は答えた。
「あなたの体が欲しいから、わたしの代わりにあなたの魂があちらに行ってほしいの。魔女はそれをさせてくれないから、あなたみたいに迂闊で弱い子を連れて行く」
その顔はどこか苦しげだった。少し怒っているようにも見えた。
「本当は無理やり、力任せにするのは嫌なのに。何で言うことを聞かないの? わたし良い子なのに」
さっきまで自信満々に話していたのに、何故傷ついた顔をするのだろう。傷つけられたのはこちらのほうなのに。もしかしたら罪悪感だろうか。
「あなたは良い子なんだろうね」
私は彼女を見ていたら切なくなってしまった。
「一生懸命生きていたんだろうね。だから、そうじゃない他人に腹を立てる。頑張らない人を許せない。頑張って生きられない人間を許せない。自分と同じじゃない人を許せない」
私みたいにウジウジしていて、みすぼらしい人が特に許せないのだろう。腹の底にあるものは大して変わらないのに。認められたくて一生懸命なのと、諦めたのとの違いだけなのに。
「かわいそうだね」
言ったと同時くらいに光の玉に頬を殴られた。
(そりゃそうだ)
上から目線でわかったことを言って煽ってしまったのだから。こんな風に傷つけるのは良くないことだ。
「あんたより、わたしが生きている方が良いに決まっている」
女は吐き捨てる。
「ごめんね」
謝るけれど、これは逆効果だった。むしろ怒りを買ってしまい、もう一発光の玉が後頭部にぶつかり、視界が暗転しかける。
下に見ていたやつに謝られるのは屈辱なのだろう。その下に見ていたやつの肉体を姑息なやり方で盗まなければならないなんて。それでも私は言わなければならない。
「私も生きたいから、勝手に奪わないでほしい」
そこに見た目は関係ない。親も仕事も関係ない。頑張った人は何をしていいわけじゃない。頑張ったからって奪っていいわけじゃない。
「どんな理由があっても、私の人生を盗むな」
「それは……」
妖精の言葉を遮りアナウンスが流れる。
マモナクデンシャガマイリマス
アブナイノデキイロイセンノウチガワヘ
オサガリクダサイ
いつの間にか電車は迫っていた。風を起こしてホームへ進入した車両の中には、すでに黒い影の乗客が乗っている。これに乗ったら私も影になってしまうのだろうか。
「そんなの嫌だ」
最後の力を振り絞って暴れたけれど、光の人型はびくともしない。そんなことはわかっていたけれど、暴れずにはいられない。何がオサガリクダサイだ。下がっている場合ではないんだ。
「帰って仕事辞める! 1週間は何もしないで部屋でダラダラしてやる!」
わけもわからず叫んでいた、その時だった。強い風が上空から吹き付けた。虹色の鱗がパラパラと落ちてくる。
「魔女!」
虹色の翼の龍が空からこちらを睨みつけていた。こちらを一瞥すると猛スピードで降りてきた。急降下した龍は光の人型に体当りして私をもぎ取る。妖精をちらりと見て、私を抱えたまま何も言わずに飛び立ってしまった。あっという間の出来事だった。
ホームはぐんぐん遠ざかっていく。影の群れは電車に吸い込まれ消えていくのが見えた。巨大な光の人型は姿を消し、妖精の女は見つけることができない。
風を受けて空を翔けて少し寒かった。龍に引っいているのでそこだけ温かい。
「どうしてついて行ったんですか」
前を向いたまま魔女が言う。声が少し怒っている。
「変な小さい女に無理やり連れ去られたんですよ」
こんな目にあって責められるなんてひどい。あんまりだ。
「めちゃくちゃ怖かったんです。何度もボコられたんですよ」
正直に吐き出したら今更怖くなった。あの場所から解放されたことで、麻痺していた恐怖が全身に行き渡る。消えていた痛みも同時に現れる。
「私、ボコられました」
もう一度言うと痛みと混乱で私はわあわあ泣いてしまった。
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