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【小説】全身を濃紺に染める夜(微ホラー)③

 ③『夜空に飛び込めば』

 急いで買い物を済ませた。エコバッグの重みも感じず、上の空でスーパーを出ると夜風がひんやりと顔を撫ぜていく。遠くには月がいる。

 店の外へと踏み出した私は思わず足を止めた。出入り口付近に設置されたリサイクルボックスのそばにK子がいたからだ。

「どうしたの?」

「様子が変だったから」

 K子はあくまで自然な笑顔を浮かべて近づいてきた。

「一緒に帰ろう?」

その提案にうなずいた。見覚えのない血の着いた刃物を抱えたまま一人で帰るのは恐ろしすぎる。

「顔色悪いよ?」

「うん。まあ」

 県道沿いのやや広い歩道をK子の足並みに揃えてゆっくり歩く。帰宅するスーツの男性やら仕事終わりであろう速歩きの女性やらが追い抜いていく。

「奈桜は大学?」

 K子が張り付いた笑顔で訊ねる。

「うん。まあね。K子は?」

「就職した。奈桜はいいなぁ。私も進学したかった。長女だし、貧乏だし、進学したいなんて相談すらできなかった」

「そうなんだ……」

 そんなことを言われても困ってしまう。

(そうだった)

 久しぶりだから忘れていたけれど、K子は悲劇のヒロインになるのが好きな人だった。

「私ってね、親も厳しくて体も弱くて男運もなくて友だちにも裏切られて昔から苦労をしていてもう大変なの」

と、聞きたくもない不幸話を楽しそうに話し続ける人だった。
 K子と話したいこともなくて、気まずい沈黙に挟まれる。すると、

「ごめんね」

 K子が不意打ちを仕掛けてきた。

「なんで?」

「切り裂き魔の話がそんなに怖かったかなぁと思って。悪いことをしたよね?」

「ううん、違うよ」

「でも明らかに態度が変わったから」

 ごめんね、とは謝罪の言葉ではない。たぶん探りを入れるための先制攻撃だ。何故切り裂き魔の話を聞いた途端顔色を変えたのか、K子は聞きたいのだろう。

「夢を見たから」

 わたしもこの先制攻撃を受けて立とう。空の月がほんのり夜空を照らしていて、あの夢の空と繋がっていく。

「切り裂き魔の夢を見たから」

 わたしの言葉にK子は黙った。夢を見た、なんて。どうせ信じていない。なんて返せばいいのかわからないのだ。

「夜の満員電車の中で誰かが女の腕を切りつけられた。血が出て止まらなかった。居合わせた医療関係の仕事をしていそうな人が一生懸命止血していて、それを60くらいの、おばあさんって呼んだら怒りそうな女が泣きながら見ていた」

 K子は何も言わない。そんなの嘘でしょ?と、笑って流しそうなものだけど、思いの外真剣な顔をしていた。

「私の夢の内容はネットの記事と情報はあっている?」

 試しに訊ねてみる。K子は静かに頷いた。

「奈桜。犯人見たの?」

「見ていないよ」

「そっか」

 K子は再び黙る。そんなに真剣に受け止められると困る。どうせ夢なのに。どうせ関係のない、預かり知らないことなのに。わたしのカバンの中のカミソリまでもが真実味を帯びてしまうではないか。

「わたしが犯人なのかもしれない」

 思わず吐き出していた。心にも無いはずなのに、どこかで自分を疑っている。否定してほしくて「犯人」なんていう言葉が溢れてしまったらしい。言った後笑えればよかったのに、頬は固まったまま動かなかった。なんて返したらいいか悩んでいるのか、K子の沈黙は続く。わたしが歩道を歩く足音だけがうるさい。

「事件は1週間前」

 ふと、K子が切り出した。

「22時頃に起きたけど、奈桜はその頃何をしていた?」

「もう家にいたけど」   

 K子の真剣な眼差しに押されて普通に答えていた。

「家族といたの?」

「ううん。一人。父親は単身赴任でずっといないし、母親はその日出かけていて一人だった」

「誰か訪ねてきたりしなかった?」

「どうだったかなぁ。そんな夜に……あ! お向かいの黒川さんが訪ねてきた」

「そんな夜の時間に?」

「そうそう。昼間ベランダに干していたバスタオルが黒川さんの家の庭に落ちたらしくて。届けに来てくれた。黒川さんとは少し喋ったくらいだけど」

 よくよく思い出すと、そんなことがあった。不思議と忘れていた。

「じゃ、アリバイありだね」

 力強く頷くK子。

「奈桜は犯人じゃない」

 何故か手柄を得たように得意げだった。

「うん」

 少しほっとして、わたしたちは夜道を歩く。さっきより月明かりが優しい。

「奈桜、これ」

 小さく鈴の音がした後、K子が唐突にわたしの手のひらに何かを押し付けてきた。

「お守り。変な夢を見ないように」

 紫色の小さな袋に知恵守りとかいてある。それを見た途端、妙なざわつきが胸に押し寄せる。突然渡されたお守りに実物以上の重みを感じてしまう。

「でも、これってK子のでしょ?」

 訊ねても、K子は静かにわたしを見るだけだった。穏やかな、まるでお地蔵様みたいな顔で。

「それじゃあここで。奈桜、気をつけてね」

 そういうと、煙のように消えてしまった。
  立ち尽くすわたしの視線の先で、何台もの車が県道をスピードを上げて通り抜けていく。


続く

 

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